期待の星

 今日は土曜。一般学生は休みである。

 そんな休日の、まだ仄暗いが、次第に早朝特有の肌寒さと白霧が顔を出し始めそうな時刻。

 

 太陽は眠くて痛い目頭を擦りながら、目の前を歩く人物に威圧的に言葉を発する。


「おいコラ。なんで俺がこんな朝早い時間帯に呼び起こされないといけねえんだ。唐突に電話して来やがって」


 まだ薄暗い頃に呼びされた事に不満を漏らす太陽に、前を歩く人物はクルリと太陽の方へと踵を返し。


「いいじゃないですか。諺で『早起きは三文の得』って言いますし。早く起きて損はありませんよ」


 自分の非常識さを諺を用いて棚に上げる人物は陸上部の期待の星、晴峰御影。

 御影がまだ5時を過ぎた時刻に太陽を電話で呼び出した張本人。

 御影が太陽を呼び出したの理由は、電話越しで口頭で説明を受けていた。


「んで。なんだったっけ。俺に自主練のサポートをして欲しい、だったか?」


「そうです。自主練に誰かサポートしてくれる人が欲しかったので、是非、太陽さんに手伝ってもらいたいんです」


「…………別にいいんだがよ、休日は暇だし。だけど、なんでこんな朝早く? 今日は学校休みだし、昼でもいいだろ。確か休日で陸上の練習がある日は朝練はしないんだったよな? って事は今日は陸上が休みって事になるが」


「おぉ。良い推測ですね。そうです。今日は陸上部の練習はお休みなんですが、生憎、この後に少々私事がありまして、8時ぐらいには出かけないといけないのです。ですので、今日は平常通りに朝練を行います。あっ、いつもはもうちょっと時間は遅いのですが、今日は何となくこの時間にしています」


 納得半分で太陽はため息を吐く。

 現在2人が訪れている場所は、前に太陽が自主練が出来る場所として候補に挙げた練習場。

 こんな早朝故に人の影が自分たち以外は無く、閑散とした空気がこの場を包んでいた。


「まあ、大体の事情は分かった。練習は1人よりも2人、アスリートにサポートが居た方が良いってのも分かる。だからマネージャーってのが存在するんだからな。……だがな、なんで俺? お前と一緒に自主練したいって奴は、誘えば引き受ける奴ぐらい大勢いるだろ。そいつらに頼めないのか?」


「何を言ってるのですか太陽さん。他の人をこんな朝早くに呼び出すなんて酷じゃないですか。太陽さんって鬼畜ですか?」


「俺だったらいいのか、この鬼畜女!」


 言っておくが、太陽は陸上部の関係者でもない部外者だ。

 なら、御影の練習に付き合う義理はないのだが。


「たくよ……俺も大概お人よしだよな……千絵の事はあまり言えないな、はぁ……」


 御影とは一応は友達の関係。

 友達の頼みは断れない太陽は自分の人の良さを恨む。


「まあ、一応、今日は了承したんだから面倒だがやってやるよ。んで。俺は何をすればいいんだ?」


「そうですね。では、まずストレッチを手伝ってください」


 御影はそう言って近くの芝生に両足を広げて座り込む。

 多分だが、御影の背中を押して上体を倒して欲しいのだろう。

 スポーツの知識がない太陽でも流れで何となく察し、御影の背中を軽めに押す。


「1、2、3、4、5、6、7、8。2、2、3、4、5、6、7、8」


 御影が口にする掛け声のリズムに合わせて太陽は御影の背中を押すのだが、御影の掛け声に疑問する。


「……なんだその掛け声?」


「さあ? 昔から周りの人が言ったりしてましたのでなんとなく。なんで8までなのかって疑問はありますが、どうしてでしょう。あっ、次からは強めに押してください」


「強めって、どれくらいだ?」


「私の胸が地面に着く程度で」


「別にいいけど。いいのか? そんな強く押して。ストレッチで怪我とか笑えないぞ」


「これぐらい大丈夫ですよ。アスリートは柔軟性が重要ですから。私を見縊らないでください」


 太陽は御影の言葉を信じて、自分の体重を御影の背中に乗せる様に背中を強めに押す。

 すると、御影の上体は何にもつっかえる事なく倒れ込み、膝は地面の上をピンと伸び切った状態で、御影の胸部は地面に接触する。


「ここまで倒れるってマジで柔らかいんだな。俺ならその半分までしかいかないぞ」


「それは流石に硬いかと。お風呂上りにストレッチを習慣付けてみてください。そうすればある程度柔らかくなりますので。体が柔らかいと色々と利点がありますから、やっておいて損はありませんよ」


 太陽は今度からお風呂上りのストレッチを心がけようと思っていると、上体が倒れる御影は横顔で誇らしげな表情を浮かばせ。


「ふふーん。それで、どうですか? これだけ柔らかい人なんて、初めて生で見たんじゃないですか?」


 自分の体の柔らかさを自慢する御影に対して、太陽は真顔で首を横に振り。


「いや。光もこれぐらい柔らかかったぞ?」


 平然と返され、ドヤ顔から愕然な表情へと変わる御影。


「そ、そうですよね……彼女も全国でもトップだったアスリート……これぐらいの事、出来て当然ですよね……」


 ライバルの失念と自慢気に言った羞恥が重なり、肩を落す御影を流し、背中押しを続ける太陽。

 何気に女子の体を触っているが、昔から光のストレッチを手伝いしていた太陽にとっては今更である。

 だが太陽は、現在の状況と自身が口にした光の名で昔を思い出す。


『ほらほら太陽。私、こんな所まで曲がるんだよ。どう? 凄いでしょ?』


『あーはいはい。凄い凄い。骨がないタコみたいで不気味だが』


『人を軟体動物みたいに言うな、馬鹿太陽ッ!』


 最近、文化祭の係などで太陽の意思とは関係なく、接する様になってから色々と昔を思い出す様になっていた。

 相手は元カノで自分を振った忌まわしきはずだが、それでもやはり今でも忘れられない。それだけ好きだったから。

 御影と沢山関わる様になってから、少しは気持ちが切り替わりつつあるのか、今では光と平然と会話ができる様になってはいるが、それでも光と話す度に胸が抉られそうになる程に辛い。

 やはり……太陽の心に負った傷は今でも太陽を蝕んでいるのだろうか……。


「あ、あの太陽さん……? もうそろそろいいのですが、何か考え事でも?」


 必要以上に背中を押していたのか、心ここにあらずだった太陽に声を掛ける御影。

 悲観的になっていた太陽はハッと我に返り、誤魔化す様に、くくっと笑い。


「いーや、別に何も考えちゃいねえよ。だが、そうだな。どっかの誰かさんにこんな朝早くに呼び出されて眠いのかもな」


「うぅ……それに関しては申し訳ないです。今度前みたいに何かを奢りますので、それでご勘弁を」


「……女子に奢って貰うって、なんだか男として負けてる気がするな……」


 別に男性が女性に奢るって事を信条にはしてないが、それでも易々と女性に奢って貰うと、何処かヒモになった気がして心が廃んでしまう。

 だが、そんな太陽に追い打ちをかける様に訝し気に首を傾げる御影は、


「何を今更ですか。太陽さんは色々と負けてますよ。失恋して未だに金髪のままなんですから、昔の太陽さんに戻ってください、染髪代渡しますので。正直似合っておりません」


「……お前、マジで初めて会った時と比べたら俺に対して辛辣になったよな!? お前、俺の心は思っている以上に硝子のハートなんだぞ!?」


「弄り甲斐がある太陽さんが悪いんですよ。一々反応してくれるから、私に眠っていた加虐心が目を覚ましたのかもしれません。故に、太陽さんが悪いです」


「ここに来て責任転嫁か……。お前……マジで———————!」


 沸々と湧き上がる怒りを叫ぼうとした言葉を太陽は呑み込む。

 太陽が言いかけた言葉はこうだった。


—————お前……マジで光と同じで自分勝手な奴だな!


 何故、最近に光の事を考えたり、思い出すの原因に気づく。

 合宿の時にも千絵とかに言ったはずだ。

 御影と光がどこか似通った部分がある、と。

 容姿や性格がではなく、魂の在り方と言うべきか雰囲気が光と似ている。

 だから、御影を前にすると、まるで昔からよく知る光と対面している様な気になってしまう。


「(失礼過ぎるだろ、俺……。こいつは晴峰御影で、あいつじゃない……けど、はぁ……心を入れ替えないと)」


 又しても目の前の自分ではなく、何処か違う誰かを見ているかの様な太陽を見て、御影は小さく呟く。


「もし、渡口さんを思い出しているのでしたら、私……嫌ですよ」


「ん? なにか言ったか?」


 ボーっとした所為で聞き逃した言葉を聞き返す太陽に御影はあっけらかんとした表情で。


「べーつにです。それよりも時間は有限ですので、練習を始めましょうか。太陽さんにはタイムを計ってもらいたいので、はい、ストップウォッチをどうぞ」


 御影は持参したカバンからストップウォッチを取り出して太陽に渡す。

 太陽はそれを受け取り、ストップウォッチと御影を交互に見て。


「これで走りのタイムを計るのか?」


「そうです。けど、競技のタイムだけでなく、練習メニューのインターバル走でも使います。インターバル走は1人だと、どこか気を抜いてしまいますので、誰かが監視してくれた方が気が引き締まるのです。それに、太陽さんには練習であれ、頑張ってる姿を見て欲しいですからね」


 シーンと静まる空気。どこか気まずい空気が流れる。

 太陽は苦笑いを浮かばせ、プルプルと顔を真っ赤にする御影に恐る恐る尋ねる。


「え、えっと……晴峰? 最後の言葉ってどういうい—————」


「はい、よーいスタート! 全力でゴー、です!」


 顔を真っ赤にして逃げるように走り出す御影。

 太陽は御影の掛け声に思わずストップウォッチのボタンを押して時計を進ませる。

 始まったばかりだが、ペース配分を間違えていないかってぐらいに御影の走りのペースは速い。

 

 御影が逃げた事で質問をはぐらかされた太陽はバツの悪い顔で髪を掻き。


「……マジで、調子が狂うな、あいつといると……」


 面倒そうな表情とは裏腹に、胸の鼓動が早くなっている事に太陽は意識を逸らす。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る