26.ドジっ子侍女が皇帝付きの理由
芸術関係の勉強は逃げたことのないエリュは、お昼を挟んでひとつずつ授業を入れることになった。エリュは楽器の演奏が得意で、歌はあまり好きではない。逆にシェンは歌が得意だった。
エリュが弾く鍵盤の音に合わせ、即興でシェンが歌う。音楽を担当する兎獣人のキアス先生は、エリュもよく懐いていた。褒めて伸ばすタイプらしく、ふかふかした手で撫でられることが多い。シェンの正体は秘匿事項であり、片手に足りる人物にしか知らされなかった。
「エリュ様もシェン様もお見事です。今日はここまでにしましょうね。次は別の曲を覚えましょう」
「ありがとうございました」
エリュと並んでお礼を口にしたシェンは、心の中で「合格」と呟く。シェンの正体を公表しないことで、エリュに対する周囲の態度が判断できる。蛇神の庇護を受けたと知っても、無礼な態度を取る者はベリアル達大人の前では隠す。幼女であるエリュやシェンだけの時の態度を判断するため、騙すことになるが言わずに過ごしていた。
他にも大きな理由がある。この隠す判断が生きたのは、突然の出来事だった。お昼を終えて軽く休み、お昼寝前に授業をこなすつもりで手を繋いで歩く。宮殿内は広く、皇帝であるエウリュアレの安全を考えて、私室の場所は公開されていない。授業の時は、ホール近くにある客間を利用していた。
廊下を歩く二人の後ろに従う侍女が、さっと身構える。今日はケイトではない侍女だった。狐の獣人で、ふさふさの尻尾が自慢のミリアだ。よく食器を割っては、先輩のケイトに叱られていた。
「エリュ様、シェン様。お下がりください」
青宮殿の侍女は、礼儀作法や侍女の仕事より戦闘能力が優先される。配属先を決める際の重要な判断材料だった。ドジで食器を割るようなミリアが、皇帝陛下の侍女に抜擢されたのは人手不足ではない。
ぶわっと尻尾が膨らんだ。守るべき主君の前に立ち、身を低くして短剣を引き抜いた。侍女用の膝下まで長いスカートの中は、暗器だらけが当たり前。うっかり足に抱き付くのは危険なほどだった。
揺れて戻るスカートの中に、鞭まで見つけてしまい……シェンは目を細めた。武器としては有効だと思うけど、扱い間違えると主君も危険だ。それ以前に、このドジっ子が扱えるんだろうか。自分が絡まるとか、そんなオチは要らない。妙な心配をする間に、廊下に煙が立ち込めた。
「くさっ」
鼻が利く獣人には刺激が強いらしい。涙目で鼻を摘んだ。苦しそうな彼女の上から網が降ってくる。咄嗟にシェンはエリュの手を引いて数歩下がった。
「シェン」
「今は
何度も教えた言葉を口にする。途端に、エリュは口を手で押さえた。余計なことは喋らない。自分の名前や一緒にいるシェンの名も呼ばない。無理に逃げようとしない。教えられた言葉を思い出し、エリュは叫ぼうとした言葉を我慢した。
「お逃げっ、くだ……」
短剣で切ろうとした網が、金属製のワイヤーだと気づいたミリアが叫ぶ。頷いた二人が踵を返すが、数人に取り囲まれていた。
「怖くないからね。僕が守る」
こくんと頷くエリュは、約束通り言葉も声も、悲鳴さえも飲み込んだ。
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