02.お勉強したから絵本を読んで
作法を覚えるなら、幼い頃の方が楽だ。ベリアルは経験上そう考えた。彼自身は実力で成り上がった。そのため、ある程度年齢を重ねてから作法を覚えることになる。
皇帝の側近に相応しい言葉遣い、立ち振る舞い。理屈は分かるが、身に馴染んだ言葉や発音はなかなか直らなかった。苦労して何度も練習し、前皇帝の協力も得てようやく今の話し方を確立したのだ。必要以上に仰々しい言葉遣いになったが、ベリアル本人は満足していた。
無駄な苦労を、主君にさせたい配下などいない。一度身につけてしまえば、彼女の今後の習い事を減らせる。長い目で見れば、エリュのためになるはず。まだ幼い彼女に無理を強いていることは承知の上で、ベリアルは自分が悪者になっても構わなかった。リリンを含め、甘やかすことが上手な者は別にいる。
「ベリァル!」
作法の勉強が一段落したところで、幼女は部屋を飛び出した。庭を横切るベリアルの姿を見ると、満面の笑みでテラスから手を振る。そのまま駆け寄る彼女を抱き止めた。
「ベリァルの言う通りお勉強したから、寝る前に絵本を読んで」
夜寝る前に絵本を読み聞かせてもらう。それはエリュにとって、特別な時間だった。普段は忙しいベリアルも、リリンや他の皆も、頼んだら嫌だと言わない。眠るまで一緒に居て、いろんな話を聞かせてくれるのだから。最高のご褒美なのだ。
「分かりました。ところで、私の名前が発音しづらそうですね。短く呼んでも構いませんよ」
「ベル!」
嬉しそうに愛称で呼ぶ幼子は、ぎゅっと足にしがみ付く。しゃがんで抱き上げた。首に手を回してしがみ付くエリュの髪を撫で、かつての主君を思い浮かべる。前皇帝と同じ色の髪、前皇后と同じ色の瞳を持つ大切な宝――この子に特別な能力がなくとも、愛し慈しむ自信があった。
「あのね、お作法の先生に褒めてもらったの」
本来なら親に報告するべきことを、彼女はベリアルに対して行った。まるで血の繋がった家族のように慕い、屈託なく笑う。戦で全身を返り血に濡らし、赤い悪魔と呼ばれたゲヘナの宰相に甘える者など、他にいなかった。
「では後で見せてください」
「うん」
生まれてたった3年の幼女に、約束の甘いクッキーを与えるために、抱き上げて歩き出した。すれ違う者が一様に頭を下げる姿を、エリュは不思議そうに見つめる。身分の差や立場の違いなど、説明してもまだ分からないだろう。
「ベルは偉い人?」
思わぬ発言に驚く。周囲が頭を下げるのは、ベリアルに対してだとエリュは考えたらしい。間違っていないが、どう説明したらいいか。
「エリュ様が一番上です。その下に私やリリン達がいます」
女将軍として、この国を守る武力の要がリリンだった。圧倒的な強さを誇る者が上位に立つのが、魔族の一般的な常識だ。現時点で唯一の例外が、皇帝エウリュアレである。
「私が偉いの? よく分からない」
困ったような顔をする幼子に、ベリアルは苦笑した。これから育てていく中で、そういったことも覚えていただかないと。
「でもね、私は皆で一緒にいたいだけだよ」
「今はそれで十分です」
虹色がかった銀髪を撫でて、額にキスをした。お返しだと言いながら、エリュが両手でベリアルの顔を挟む。小さな手に抵抗することなく目を閉じたベリアルの頬で、ちゅっと愛らしい音が響いた。
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