<13> 拘束

 ノアとイルハンは後ろ手に縄で縛られると、胴体も縄でつながれ、馬に引かれながら歩いていた。

 さくらも二人が縄で縛られるのを阻止しようと暴れたために、前に手を縛られてしまった。そして馬に乗せられると、隊長らしき男に、暴れるのであればいくら時期王妃といえども容赦はしないと意地悪そうに忠告された。

 さくらは、両手を縛られたことにショックを受けて、大人しくなった。両手の自由を奪われることが、こんなにも恐怖を感じるものだとは想像していなかったのだ。


 しかし、暫くして状況に慣れてくると、心に余裕ができてきた。すると馬の歩く速度が思った以上に早く感じられた。後ろを振りむいてみると、繋がれた二人はとても歩きづらそうにしている。

 さくらは前にいる隊長に向かって、もう少し速度を落として歩くようにお願いした。しかし、隊長はさくらにちらっと眼を向けただけで、意地悪くそっぽを向いてしまった。


 ムカッときたさくらは、大声で隊長を呼ぶと、

「すいませんっ!!もっと速度を落としていただけませんかっ!!」

と怒鳴るように頼んだ。すると隊長は面倒臭そうにさくらの横に馬を並べた。そしてさくらをギロッと睨みつけると、

「私に命令しないでいただきたい」

と冷たく言い放った。その威圧的な態度に一瞬怯んだが、さくらも負けるわけにはいかなかった。

「命令なんてしていません!お願いしているんです!」

 隊長はフッと鼻で笑うと、

「では、その願いは却下です」

と言って、馬を前に進めようとした。

「何でですか!そんなに無理難題なお願いではないと思いますけど!?」

 さくらは慌てて食らいつくと、隊長は、

「簡単だろうが、あなたの意見など聞く気はない。あなたはまだ王妃ではないのだから、この私に意見などできる身分でないことを努々忘れないように」

 蔑視するような目でさくらを見た。そして、

「それに、本日の午後には陛下がお戻りなられる。ゆっくりなどしていられるか」

「え・・・!」

 さくら中で一瞬時が止まった。

 隊長は、改めて品定めするように、さくらを上から下までジロジロ眺めた。

「それまでに身なりを整えた方がいいでしょう。かなり時間を要しないと、陛下のお眼鏡に叶わないのでは?」

 意地悪そうな笑みが、さくらの時間をすぐに動かした。

(感じ悪っ!!)

 さくらは、キッと隊長を睨みつけると、

「失礼ですけど、隊長様!お名前を伺えますか?!」

と叫んだ。隊長は、怯まずに自分をじっと見つめる目に、一瞬狼狽えた。

「・・・何故・・・?」

「何故?何故って、これからとっても御厄介になると思いますので、是非ともお名前を存じ上げたくて!」

 さくらの強い口調から逃げるわけにもいかず、虚勢を張るように胸を張って、

「ガイと申す」

と言った。

「はい。ガイ様ですね。あなたのお名前は絶対に忘れませんので!」

さくらはさらに鋭くガイを睨みつけると、

「本日のこの一連のやり取りは、すべて国王陛下に報告させていただきます。一言一句漏らさず、報告書にまとめて提出させていただきますから」

 わざと職場でのやり取りのように、無機質に言った。そうでもして自分を押えないと、暴言を放ってしまいそうだった。

「私を過小評価するような発言、そして手首を縛るなど人道的に反する行為、これらすべて陛下に報告いたしますので、そのおつもりで」

 それを聞いたガイの顔は、怒りでみるみる赤くなった。

「手首を縛ったのは暴れたからではないか!だから仕方なく・・・」

「仕方ないとは言え、嫌がる私を無理やり縛り付けたことには変わりません。それに、小娘一人少し騒いだくらいで、何か変わります?縛り付けるほどですか?」

「・・・」

 ガイは、歯をギリギリと食いしばりながら、さくらを睨みつけた。何て食えない女だろうか!さくらは構わずに続けた。

「その上、ほんの少し速度を落として歩いて欲しいという、非常に簡単な要求まで無視するなんて、少々悪意を感じます。もちろん、この件も報告いたします」

 そして、さくらは縛られた両手首に目を落とした。縄できつく結ばれているため、擦れて赤く血が滲んでした。

「あ~あ、痛いと思ったら、擦り剝けて、血が出てる。これも報告しなきゃ・・・」

さくらは、わざと独り言のように言うと、横目でガイの様子を伺った。ガイは右腕を高く上げ、兵士の進行を止めた。そして、ゆっくり傍に近づくと、

「私を脅しているおつもりか?」

 目を細め、低い声でさくらに向かって言った。手綱を持つ手が怒りで震えている。

「それはまさしく私のセリフですね!」

 さくらも目を細めて、ガイを見返した。

「威嚇するような態度と低い声で『脅しているつもりか』などと迫ってくるなんて!ガイ様こそ、今私を脅していますよね。私はそう解釈しますけど?」

 ガイはもう限界だった。ああ言えばこう言うさくらの態度に腸が煮えくり返り、今にも暴力を振るってしまいそうだった。とは言え、相手は『異世界の王妃』だ。本来なら、僅かでも傷つけてはいけない相手であるのだ。


 ガイはさくらのことを完全に侮っていた。ただの世間知らずの小娘で、乱暴に扱っても、文句を言うどころか、恐怖で支配できると高をくくっていた。多少の怪我をさせても、それを口に出すことはないと思っていたのだ。

 しかしさくらは真逆だった。このままでは本当に傷のことを陛下に報告しかねない勢いだ。それはガイにとって不味いことだった。

 苦虫を嚙み潰したような顔でさくらを一瞥すると、一人の兵士を呼び、

「縄を解いてやれ」

と悔しそうに小声で命令した。

 命令された兵士は、ガイに敬礼すると、さくらの元にやってきた。

「さくら様、お手を」

とさくらに手を出すよう指示した。だが、さくらは縛られた両手を兵士とは逆方向に避けると、

「いいえ、結構です」

と答えた。兵士は面食らって、言葉に詰まっていると、

「お気遣いどうもありがとうございます」

と兵士に向かって、にっこりと微笑んだ。

「でも私はこのままで結構です。このまま、陛下に謁見いたしますので。私のこの状況をお見せした上で、陛下にご判断をいただきます」

 それを聞いてガイは青くなった。兵士はガイとのやり取りの時とは別人のようなさくらの笑顔に動揺し、どちらの命令を聞けばよいか困ったように、さくらとガイを交互に見た。ガイはその態度にイラつき、もう一度、兵士に縄を解くよう命令した。

「お断りいたします。これは大事な証拠ですから」

きっぱりと断られ、兵士はますます困惑した表情でさくらを見つめた。流石にさくらは彼が気の毒になり、

「あなたは上司の命令通り、縄を外そうとしてくださったのに、それを断ったのは私自身です。陛下にはきちんと説明します。決してあなたを悪いようには報告しませんから、ご安心くださいね。」

と兵士に笑顔でそう言った。そして、軽くガイを睨むと、キリっと姿勢を正して前に向き直った。さくらの意志の強さに折れ、ガイは兵を進め始めた。

 しかし、その速度は明らかにゆっくりになった。

(シャーッ!!)

 さくらは心の中で、ガッツポーズをすると、馬を引いている兵士にそっと声を掛けた。

「あの、ガイ様を呼んでいただけませんか?」

 兵士はびっくりしてさくらに振り向くと、困惑した表情を浮かべた。たった今、修羅場が収まったばかりなのに、また何を言い出すのだろうと、怪訝な顔をさくらに向けたが、さくらは黙って微笑みを返すだけだ。馬を引いている兵士は仕方なく、先ほどさくらの綱を切ろうとした兵士を呼ぶと、彼にさくらの伝言を託した。


 ガイが苦い顔で、再びさくらの傍にやってきた。さくらの馬と自分の馬をならべると、横目でさくらを見た。

「ガイ様。速度を緩めてくださって、ありがとうございます!」

 さくらはガイに向かってペコリと頭を下げると、満面の笑みでガイを見た。180度変わったさくらの態度に、ガイは驚き過ぎて、開いた口が塞がらなかった。

「お願いを聞いてくださって感謝します」

 相変わらずにこにこしているさくらの顔を、丸まった目で凝視した。さっき兵士にしか向けられなかった笑顔が自分にも向けられたことに、満更ではない思いが込み上げてきて、思わず口角が上がった。

 さくらはそれを見逃さなかった。ガイが少し気を緩めたことを確信すると、

「実は、喉が渇いてしまって。お水をいただけませんか?」

と聞いた。ガイはすぐに兵士を呼び、竹筒でできた水筒を持ってこさせた。

 さくらは兵士から渡された竹筒を、礼を言いながら受け取り、中身が十分に入っていることを確認すると、一口だけ口に含めた。実は大して喉は乾いていなかったが、大げさに息をつくと、

「ご親切にありがとうございます」

と、再びガイに頭を下げた。そして、

「ご親切次いでに、お願いです。二人にもお水を飲ませてよろしいですか?」

と、囚人二人の方を見た。ガイの緩んだ顔が、また苦々しい顔になった。さくらは間髪入れず、

「兵士さんのお手を煩わせることはしませんから!お水は私が飲ませますので!」

 水筒を両手で握り、懇願するポーズを見せた。そして、

「それに、お水を飲ませるには縄を外して頂かないといけませんね」

 ガイに向かってにっこりとほほ笑んだ。

(なんと・・・!)

 要望までした上に、自分の両手を自由にしようとするさくらの強かさに、ガイは舌を巻いた。ただの小娘でないことを認めざるを得なない。ガイは溜息をつくと、さくらの要求に答えた。さくらは縄を外され、馬から降ろしてもらうと、ノアとイルハンの元に駆け寄った。


 ノアとイルハンは、さっきからのさくらの行動をハラハラしながら見守っていた。二人ともさくらの気性をよく知っている。怖がりな癖に、理不尽だと思うと腹を立て、相手構わず向かっていく。そんな向こう見ずの性格は、この世界では命取りだ。『異世界の王妃』でなかったら切り殺されていてもおかしくない。だが、そんな二人の心配をよそに、得意げな顔でこちらに向かってくるさくらに、ノアは苦笑し、イルハンに至っては、呆れ顔で派手に溜息をついた。

 しかし、駆け寄るさくらの異変に気が付き、ノアもイルハンも顔をしかめた。

「足をどうかしましたか?」

 さくらが近づくと、イルハンはすぐに尋ねた。さくらはにっこりと笑顔を向けると、

「大丈夫ですよ。それより水分補給してください」

と、二人に水筒を見せた。

「では若者から先に」

 イルハンはノアの方に向いた。先にさくらが同じ水を飲んだのを見ているので、毒見は不要と判断したからだ。さくらは頷くと、ノアの唇に水筒の口を当てた。

(ゆっくり、ゆっくり・・・)

 さくらは溢さないよう、慎重にノアに水を飲ませた。少しずつ飲ませたが、水筒を離す際、ノアの口の端から水が漏れた。さくらは思わず親指で水を拭った。そのしぐさが、ドラゴンだった時に、水や食事を与えられていた様子と全く変わらないことに、ノアはつい頬が緩んだ。

 微笑んだノアに、さくらの心臓はドキンと飛び跳ねた。そしてその気持ちを誤魔化すように、急いでイルハンの口元に水筒を持って行った。動揺しているうえに、イルハンはノアより長身で飲ませ辛い。イルハンの口の端からかなりの水が滴り落ちてしまった。飲ませ終わると、さくらは、

「ごめんなさい!」

と、イルハンの口元を自分の袖口でキュキュッ拭き、首にまで滴った水を丁寧に拭いた。その行動にイルハンも思わず、口元が緩んだが、隣から刺すような強烈な視線を感じ、すぐに顔を引き締めた。


 二人に水を飲ませ終わったのを見届けて、水筒を渡した兵士がさくらのもとに駆け寄ると、馬に戻るよう促した。さくらは大人しく従った。兵士はさくらが足を引きずって歩いていることに気が付いていた。彼はさくらの腕を優しく支えながら、歩き出した。

「ありがとうございます」

 さくらがお礼を言いうと、兵士はほんのりと頬を赤く染めて、さくらから顔を逸らした。その様子を、ノアは燃えるような目で見つめた。あの男もさくらの魅力の虜になったに違いないと思うと、胸が焼かれるような怒りを覚えた。

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