<61> 決意

その日の夜、陽一がマンションに帰って来たのは遅い時間だった。


香織は眠いのを我慢して、リビングで陽一の帰りを待っていた。

玄関が開いた音を聞くと、すっ飛んで行き、陽一に食らい付いた。


「ちょっと、陽一さん!何てことしてくれたんですか!」


「なんだよ。出迎えるんだったらもっと穏やかに迎えろよ」


「何言っちゃってるんです!酷いですよ!自分じゃ見えないところに付けるなんて!」


香織の怒りが何のことか分かって、陽一はニヤリと笑った。


「付けるって、何を?」


「・・・っ!だ、だから!その・・・」


香織は真っ赤になって口ごもった。

陽一は香織に近づくと、香織のうなじに触れた。


「あー、これのこと?悪かったよ、夢中だったもんで」


白々しく言う陽一を、香織は睨みつけた。

この顔、絶対にわざとだ。


「もうっ、会社でめっちゃ恥ずかしい思いをしましたよ!ホントに!」


「へえ、誰かに見られたの?誰に?」


「・・・!」


「同期君?」


香織の素直過ぎる動揺に、陽一が気付かない訳がない。

陽一はじりじりを香織に近づき、壁に追いつめた。

怒っていたのは香織の方だったはずなのに、今は陽一の方が苛立っているようだ。


「やっぱりね。気が付くと思ったよ。それだけお前のことをよく見てるってことだから」


「う・・・、そんなことは・・・」


「でも、これでお前が人のものだってことが分かっただろ?」


陽一は手を香織のうなじから撫でるように顎に伝わせると、クイっと香織の顔を上げた。


「これ以上ちょっかい出されても困る。お前は断るのが下手しな」


「そんなことないですよ・・・。ちゃんと映画だって断るつもりでしたよ・・・」


「映画?」


しまった!っという香織の顔を、陽一は渋い顔で見つめた。

顔を背けようにも、顎を掴まれているので動かせない。

香織の目だけが宙を泳いだ。


そんな香織を呆れたように見つめると、


「ホント、隅に置けないな、お前って」


陽一はそう言って、香織の唇を噛みつくように奪った。


「・・・んんっ・・・!」


いきなりの深い口づけに驚いて、咄嗟に陽一の胸を押し返しが、逆効果だった。

顎を掴んでいた手が後頭部に回り、もう一方の腕は腰に回され、しっかりと体を引き付けられた。

返ってますます深くなる口づけに、香織の吐息もどんどん荒れてくる。


陽一はそのまま香織を抱きかかえると、寝室に向かった。



                 ☆



翌日から香織は、鏡の前で肌が見える部分のチェックを怠らないようにした。


(まったく、油断も隙も無い)


会社に出社してから、女子トイレの鏡の前で最終チェックしてから自分の席に着いた。

家で何度もチェックしたが、念には念を入れた。

もし、お局様達に見られたら、相手は湊だと思われるだろう。

そうなったら目も当てられない。


香織は席に着いてから、そっと湊の席を伺った。

湊は席にいない。

予定表を確認すると、今日は一日出張のようだ。

申し訳ない気持ちに苛まれながらも、顔を合わせなくて済むことにホッと息を付いた。


仕事が終わり家に帰ると、それを見計らったような丁度良いタイミングでインターホンが鳴った。


「お届け物です」


と宅配便が届いた。

宛名を確認すると、陽一の名前だけではなく、自分の名前も書いてある。

驚いて送り主を見ると・・・。


『原田幸之助』


(げ!おじいちゃん!)


香織は慌てて段ボールを開けると、中には大量の野菜が入っていた。


「な、何で?」


香織はまだ祖父母には何も報告していない。

何と言って切り出せばいいか分からずに、保留にしていたのだ。

それにまだ一週間も経っていない。


野菜の上に宛名のない封筒が置いてある。

恐る恐る開封し、中から手紙を取り出すと、幸之助の達筆な字で、


『陽一君、香織をどうぞ宜しくお願いします』


という文字が目に入った。

その他に、


『香織も陽一君にしっかり尽くすように』


とも書かれている。


「・・・」


香織はへたり込むと、ボテッと段ボールの上に倒れ込んだ。


(ホントにあの人って何者・・・?)


本当に『いっぱいある問題』を、全部何とかしてくれるようだ。

香織は陽一の行動力に感心した。

それと同時に、自分のために骨を折ってくれたことへの感謝と嬉しさでいっぱいになり、野菜の上に顔を埋めた。


(でも、甘えてばっかりじゃダメだ)


香織は顔を上げると段ボール中の野菜をじっと見つめた。

そしてニンジンを一本握り締めると、それに話しかけるように、


「私もちゃんとしなきゃ!お母さまには私からもきちんとお話ししなきゃダメだ」


と独り言を呟いた。

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