始まりの大地と終末の都市 Initium Terra et Finis Urbs

司之々

第一章 大断崖を超えて

1.どうなさるおつもりですの?

 人類の祖先が誕生した大地、フラガナ大陸の南に、大断崖だいだんがいという地形がある。


 大陸中央部が火山活動で隆起りゅうきした古代、置いてきぼりをくった海岸線付近の平野部との間に、上端じょうたんきりにかすむような垂直の断崖が延々と続いている。


 その、まさにきりにかすんだ上端じょうたんから、一組の男女が眼下に、遠い平野の木々と海岸線を見つめていた。


 男は三十代ほど、筋骨たくましい偉丈夫いじょうふだ。黒髪を頭頂部でわえて、軍服のような砂色の上下に背嚢はいのうと、身の丈を越える鋼鉄の長棍ちょうこんを背負い、両腰に刀剣もいている。左腕で荷物のように、女の方を抱えていた。


「アーリーヤ王女、しっかりつかまっていろ」


「あの、ベ、ベルグさま? どうなさるおつもりですの?」


 アーリーヤと呼ばれた女は、十代半ばの少女だった。黒い肌に派手な色彩の民族衣装をまとい、金茶色の長い巻き毛がかかる丸い顔に、丸い目を見開いていた。


「飛び降りる」


 ベルグと呼ばれた男が、平然と答えた。アーリーヤの、少し厚めの唇が引きつった。


「いえ、その! ベルグさまには、確かにお世話になっておりますが! 恥ずかしながら、来世らいせを誓い合うほど深い仲になった覚えは、まだございませんの……ぉぉぉぉおおおおおっっ!」


 言葉の最後が、絶叫になった。


 ベルグがアーリーヤを小脇に抱えたまま、大断崖だいだんがい上端じょうたんから、空中に身をおどらせた。


 その、一瞬前まで二人が立っていた場所に、大小無数の鉄杭てつくいが突き立った。砕けた岩石が、二人を追って飛び散った。


 飛び散った岩石を、さらに粉々につらぬいて、鉄杭てつくいが雨のように二人を襲う。ベルグが、右腕で鋼鉄の長棍ちょうこんを振るった。金属の打撃音と火花が、きりと岩石の欠片かけらを吹き散らした。


 鉄杭てつくいがなおも数を増し、ベルグも両腕で、旋風せんぷうのように長棍ちょうこんを操って打ち払う。ベルグの腰に、不恰好な前掛けみたいにしがみついたアーリーヤが、文字表記の難しい叫び声を上げ続けた。


 やがて落下速度が追撃速度を上回り、攻防の衝撃で断崖の壁面からも離れて、二人は天地のまっただ中に取り残された。


 きりを抜けた空は青く、の光はまぶしく、平野の明るい緑とはるかな海岸線が鮮やかだ。美しい景色だった。


 ただ、暴力的な風圧と風切り音が、落下速度を忘れさせてはくれなかった。


「あのぉぉおおおっ! も、もぉ一度、おうかがいいたしますがぁぁあああっ! どうなさるおつもりですのぉぉおおおっっ?」


 アーリーヤが声をふりしぼる。ベルグは変わらず平然と、長棍ちょうこんを背負い直した。


「大丈夫だ。アーリーヤ王女の体重は、自分の半分以下と推測している」


「なにを、おっしゃられているのか……皆目かいもく! 見当けんとうも! つきませんが……さ、三分の一は、手堅てがたいところですわっ!」


「投げ上げる」


「は……はあっ?」


「着地の直前に投げ上げて、落下速度を減殺げんさいする。風圧もある。なんとかなるだろう」


 アーリーヤが唖然あぜんとする。


 現実的には、同じ速度で落下する二つの物体が、垂直方向に相互反作用そうごはんさようを発生させることは難しい。そんな理屈を知らなくとも、直感的に、アーリーヤは唖然あぜんとした。


「ベルグさま……ベルグさまは、その! おあたまが、あんまり、よろしくないのではございませんかっっ?」


「妻にも言われる」


 ベルグがアーリーヤを抱え直して、背嚢はいのうから出ているひもを引いた。


 軽快な破裂音がして、背嚢はいのうはじけた。落下傘らっかさんが開いて、瞬間的な衝撃と共に速度が減殺げんさいする。


「冗談のつもりだった」


「さ……最低でしたわ……っ!」


速度減殺そくどげんさいが、再計算値よりにぶい。アーリーヤ王女、自己認識が不正確なようだ」


「まだ底がございましたのっ?」


 自由落下よりは破格の好条件でも、かなりの速度で、平野部のまばらな森が急接近する。目を閉じたアーリーヤを胸に包むようにして、ベルグが木々に突っ込んだ。


 ぐるぐると目が回り、猛烈な衝突を繰り返して、最後に何度も地面をね飛んだ。ようやく静止して、アーリーヤは気絶していない自分を、まず内心でめたたえた。


「生きてるって、素晴らしいですわ……」


「同意しよう」


 ベルグが、こともなげに立ち上がり、胸の中のアーリーヤを解放する。


「だが、状況は良くない」


「……底の底ですわね」


落下傘らっかさんは途中で切り離したが、あの展開面積では、追手からもはっきり見える。着地点の推測は難しくないだろう」


 ベルグが、海岸線の方角を指し示した。


「この先の港町インパネイラは、ヴェルナスタ共和国の本土外領土ほんどがいりょうどだ」


「ヴェ、ヴェル……なんですの?」


「ヴェルナスタ共和国、北方のオルレア大陸の西内海にある海洋交易国家だ。国の本土以外に、このフラガナ大陸、大海を超えたアルティカ大陸の海岸線にも、飛び石のように港町を領有して交易の中継拠点にしている」


 ベルグが、アーリーヤの目をまっすぐに見る。


「市街に入れば、亡命ぼうめいが成立する。ヴェルナスタ本国には、連中と同じく魔法アルテを使う特務機関もあると聞く。保護を要請しろ」


「ベルグさまは……」


「足を骨折した。ここで時間をかせぐ」


 ベルグの右足が、言われてみれば少し曲がっている。ベルグ自身はそうとも見えない無表情で、腰にいた刀を一本外して、さやごと右足に縛りつけた。


 縛りつけたさやから、左手に刀を抜く。刀身がやや短く湾曲わんきょくした、小太刀こだちだ。鋼鉄の長棍ちょうこんつえのように右手に持ち、アーリーヤに背中を向ける。


「ベルグさま……わたくしのことを、そこまで……」


「否定しよう。妻が怒る」


 分厚い肩越しに、ベルグが初めて無表情を崩して、微笑ほほえんだ。


「自分は異国の特務部隊に所属し、任務で行動している。気にする必要はない、アーリーヤ王女……幸運を祈る」


 アーリーヤはまたたきの間、言葉を探した。


 そして唇を結んで一礼し、ベルグが指し示した港町インパネイラの方へ、走り出した。


 平野部の森は、植生しょくせいが薄い。近辺の農村が使う小道もある。


 ベルグは、すぐに木々に紛れて遠ざかる足音を、見送るように聞いていた。そして一呼吸を置いて、無造作に小太刀こだちを振った。


 金属音が響いて、ベルグの足元に、一本の鉄杭てつくいが落ちた。

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