Hot Milk
パトロール担当のディーンとグレンが店を出発して間もなく、マイルドが目を覚ましたとアースから知らされ、ジオとロンはホットミルクを持って客用の仮眠室へ向かった。
ノックをして部屋へ入ると、マイルドはベッドで起き上がっていた。ジオがホットミルクを渡すと、マイルドは受け取って一口飲み、ほっと息を吐いた。
「気分はどう……?」
気遣わしげなジオの顔をマイルドはじっと見つめた。ジオの瞳は焦げ茶色だ。マイルドはさっき朦朧としながら見たものは幻だったのかもしれないと思った。
「ずいぶん楽になりました。ありがとうございます。ごめんなさい。ご迷惑をおかけしてしまって……」
申し訳なさそうに小さくなるマイルドに、ジオは首を横に振った。
「迷惑なんかじゃないよ。いつでも頼ってくれていいんだ」
安心させるようにジオは微笑みかけ、ロンもジオの横で頷く。
「ありがとうございます」
マイルドは遠慮がちに笑顔になった。ロンとジオはマイルドに微笑みを返し、手を握ったり肩を叩いたりする。
「申し訳ないんだけどもう少し待っていてもらえるかな。俺たち、まだちょっと仕事があるから」
「ありがとうございます。宿題して待ってます」
「うん。ごめんね。……ところで、あのネックレスなんだけど、どこで買ったのか教えてもらえないかな? 外すときに壊しちゃったから、弁償したくて」
ジオが申し訳なさそうにマイルドに問うと、マイルドは言いにくそうに口を開いた。
「あれは貰い物なんです。衣装のスタッフさんが私によく似合うからって。でも確かスタッフさんも誰かに貰ったって言ってました」
「誰だったか覚えてるか?」
ロンの問いかけに、マイルドは首を捻った。
「……ルイスさん……?」
ジオの横で聞いていたロンは、その瞬間血相を変えて部屋を飛び出していく。ジオは慌てて追いかけ、廊下に出た。
「おい、どこ行くんだよ!」
ジオの慌てた声を背中にロンは叫んだ。
「アルフの現場! あいつ、今日はルイスと一緒なんだ!」
ジオははっと目を見開くと、部屋に戻った。びっくりしているアースとマイルドに戻るまでこの部屋で待つように言い聞かせると、部屋を出た。廊下を走りながらグレンに電話をかける。数秒後、グレンが電話に出た。
「どうした?」
「ネックレス、ルイスがプレゼントしたものだったって! それでロンがアルフの仕事場に向かってる。俺も今追いかけてる!」
「ジオ、現場はどこだ?」
ジオはガレージに着くとバイクへ乗る準備をしているジオに尋ねた。
「ロン! 現場ってどこ?」
「スタジオ! 車だと渋滞に巻き込まれるからバイクで行く! ジオはディーンたちを迎えに行ってくれ!」
「わかった! スタジオの住所は?」
「今送った!」
ロンはそう叫ぶとバイクへ乗って飛び出して行った。ジオも車に乗り込み、ディーンたちの居場所へと向かった。
ものの10分ほどでスタジオに着いたロンは、スタジオから搬出されていく道具を見て嫌な予感を覚えた。
「あの、アルフの同居人で彼を迎えに来たんですが、アルフはどこに?」
「アルフくん? え? もう帰ったよ?」
「何かあったんですか?」
「何かも何も、スタジオで倒れちゃって。30分くらい前かな。ルイスくんが送って行ったよ。というか、倒れたって連絡が来たから迎えに来たんじゃないのかい? 君ほんとにアルフくんの同居人?」
「ちっ! あのバカっ」
思わず舌打ちを漏らし罵ったロンにスタッフは目を丸くし、益々疑いの目を強めた。
「あ、すみません。ありがとうございます」
尚も何かを言おうとするスタッフにロンは慌てて頭を下げると駆けだした。バイクに戻りながらグレンに電話をかける。
「グレン? 今どこにいる?」
「そっちに向かってる。なんかあったか?」
「アルフはもう帰ったらしい。30分くらい前にスタジオで倒れてルイスが送って行ったって」
グレンが電話の向こうであー、と頭を抱えたような声を上げた。
「ルイスのアパートだったらお前の方が近いな。俺たちは念のためお前ん家に向かう。ここからなら5分で着くはずだ。いなかったら即そっちに向かうけど、多分そっから15分はかかる」
「わかった! こっちも着いたら連絡する」
手早くヘルメットをかぶると、ロンは再びバイクを走らせた。
ロンがルイスの住んでいるアパートにたどり着いた時、ロンは背筋に嫌な感触を覚えた。風の精霊が怯えている。
「こっちがビンゴだな」
ロンはチャットでグレンたちに知らせる。すでにグレンからもロンの家にはアルフはいなかったとメッセージが届いていた。
(アルフはどこだ……?)
ロンはアパートを見上げ、灯が点滅する部屋を見つけた。
(あそこか……! 1、2、3……4階だな!)
「今から突入する! 着いたら道路から見て手前の左端、4階の部屋に来てくれ!」
片耳にはめた無線イヤホンに向かってロンは叫び、アパートに入るとロビーに入ってすぐ左手の階段室へ駆け込んだ。はやる気持ちを抑えつつ、ロンは一気に駆け上がる。駆け上がりながら、位置関係を思い出す。
1分もしないうちに4階にたどり着き、ロンは階段室から廊下へ出る扉を開いた。廊下を右に曲がり、真っ直ぐ駆ける。部屋の前に着くと、ドアノブをつかんだロンの手にバチっと静電気の火花が散った。右手に軽い痛みを覚えつつ、ロンはドアを引く。扉はあっさりと開いた。
「アルフ!」
部屋へ飛び込むと、リビングで金髪の男が一人倒れている。背格好からアルフではないことを見てとり、ロンは部屋中の扉を開いてアルフの姿を探した。
(いない……どこに行ったんだ。)
突然、ロンの後ろでドアが音を立ててしまった。
「ジャマヲスルナァ」
リビングの床で倒れていた若い金髪の男が、ドアの前に立ち、だらりと腕を垂らしてしゃべった。目は血走っている。
「……っ」
ロンは銃を取り出して金髪の男に打ち込む。男がどっと倒れた。ロンは扉を再度開け、銃口を男に向けたまま低く問うた。
「アルフはどこだ」
「……ハッ」
「どこだと聞いてる」
「ハハハハハハハッ」
金髪の男は目を見開いたまま上を向いて甲高く笑った。
「答えろっ!」
「ハハハハハハハッ モウスグダッ ハハハハハハッ」
尚も上を向いて笑い続ける金髪の男に、ロンははっと目を見開いた。
(上! 屋上か!)
ロンは踵を返し、部屋を飛び出した。その時、近くで車のブレーキ音がした。どうやらディーンたちが到着したようだ。ロンは廊下を駆けながら無線イヤホンに向かって叫んだ。
「俺は屋上に向かう! ディーンたちはルイスを頼む!」
階段室の扉を開く直前、了解と短く答えるディーンの声がロンの耳に届いた。ロンは再び駆け上がり始めた。屋上まではあと4階分、階段を上がらねばならない。呼吸はすでに荒い。気持ちだけがはやるばかりで足は重い。
(くそっ。アルフ、無事でいてくれよ!)
心の中で悪態をつきながら、ロンは全力で階段を駆け上がって行った。
アパートの屋上では、夜風が吹き荒ぶなかを細身で長身の端正な顔立ちをした男が一人、虚な目をしおぼつかない足取りで端へ向かって歩いていた。アルフである。首元には紅い石のネックレスが光っている。
アルフは朦朧とする意識の中、思い通りにならない身体を必死で押し留めようとしていた。だが、思いも虚しく体は屋上の端に向かって動いていく。
(死にたくないよ……。やりたいこと、まだたくさんあるのに)
思い浮かぶのは薄らと無精髭を生やした黒髪で端正な顔立ちの同居人だ。
(ロンさんの言うとおり大人しく休んでおけば、こんな目に遭わなかったのかな……)
アルフの視界は涙で歪んでいく。
(会いたいよ、ロンさん……)
その時、アルフは屋上の重い金属の扉が勢いよく開かれる音が遠くで聞こえた気がした。
(誰だろう……。誰でもいい。助けてほしい……)
声にならないアルフの叫びは、夜風に攫われていく。直後、アルフの耳に想い人の声が飛び込んできた。
「アルフ!」
(ロンさん……? そんなわけないよね……。俺、やっぱり死ぬのかな……)
涙で霞む視界は、すでにバンコクの夜の明かりがいっぱいに広がっている。もう少しでアパートの端にたどり着いてしまう。止まりたくても、体は思い通りにならない。誰かが駆けてくる音が聞こえる。
「アルフ! とまれ! アルフ!」
(嗚呼……。ロンさんの声だ……。やっぱり、俺、死ぬんだ……)
アルフの右足が端にあるフチにかかった。グッと体重が乗る。思い通りにならない体のどこにそんな力があるのかアルフはどこか不思議に思いながら、体がふわりと宙に投げ出される感触を感じた。
落ちる寸前、アルフの視界に声の主が入った。
(嗚呼……! ほんとにロンさんだったの……?)
アルフの表情が切なく歪んだ。
「アルフ……!」
ロンの悲痛な叫びが夜闇に木霊した。
直後、一陣の風が吹き、アルフの体を上へ押し戻した。
(えっ……?)
だが、アルフの体を支えるには不十分で、再びアルフの体は徐々に傾いでいく。それでも、重力に逆らった動きをしていることは、朦朧としたアルフにも理解できた。そして、数秒後に支えを失ったかのような感触になる。
(今度こそ落ちる……!)
スピードを増した傾き速度に、アルフは死を覚悟した。再び視界の端にロンの姿が映った。肩で荒く息をしながら、アルフの方を見つめている。
二人の視線が一瞬交錯した。ロンの手がアルフの方へ伸び、空を切った。
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