第25話 心
彩葉ちゃんの会社で働くことに侑子さん、美波さんと合意ができてから、わたしは今の会社に退職の意思を伝えた。
突然の話で上司に驚かれたけど、3ヶ月後に会社を辞めるで話はついた。
退職日まで決まったタイミングで、わたしは椚木さんに声を掛ける。
家のこともあるので休日の昼間でもいいと言ったのだけど、たまには息抜きも必要だと飲みに行く約束をする。
久々にスペインバルに行こうか、と仕事が終わった後にバルで待ち合わせをした。
振り返ってみれば、椚木さんが仕事に復帰されてから飲みに行くのは始めてだった。椚木さんは小さな子供がいて、わたしは彩葉ちゃんが来るからと飲みに行く機会が減っていたからだろう。
乾杯をした後、まずはお互いの近況の話から始めて、一息ついた所でわたしは今日声を掛けた理由を切り出す。
「突然ですが、会社を退職することになりました」
「退職!? 仕事で何かあったの?」
職場で何かあったと椚木さんは想像したらしく、わたしは首を横に振って否定をする。
「会社で何かあったわけじゃないです。別にやりたいことがあるので辞めることにしました」
「別のことって? 心和にはやりたい仕事があったってこと?」
一時期椚木さんの部屋にお世話になっていたこともあって、わたしは椚木さんと人生観や自分の考え方についてはよく話をした。でも、仕事に対しての不満を言ったことはなかった。
「以前からそういう考えがあったというわけじゃないです。今つきあってる恋人の家が小さな会社を経営しているんです。その会社を一緒にやっていくことになりました」
「心和に恋人ができたことも初めて聞いたんだけど、ワタシ。大丈夫なの、その相手。一回ワタシが会った方がいいんじゃない?」
椚木さんはわたしの保護者、というか姉のような存在ということもあって、そう言ってくれたのは素直に嬉しかった。
「恋人は椚木さんが復帰された頃にできました。告白されたのはその前で、一度は断ったんですけど、色々あって付き合い始めました」
「できたならできたって言ってくれても良かったのに」
今まで黙っていたことに椚木さんは拗ねる。
実はそれも今日は伝えようと思ってわたしは椚木さんを誘っていた。
「椚木さん、今まで言えなかったのは理由があるんです。わたしの恋人は女性なんです」
「女性? 男性みたいにカッコイイ人とか?」
「いえ。どちらかと言うと可愛いタイプですね。告白されるまでは女性とつきあうことになるなんて考えたことはありませんでした。でも、誰かと一緒にいたい、居続けたいと思ったのは彼女が初めてなんです。気持ち悪いって思われても仕方ないとは思っています。でも、わたしはもう彼女と一緒に生きて行こうって決めました」
「びっくりした。心和がそう決めたなら心和の選択を尊重はするけど、そういうのもあるのか」
口元に手をやって、椚木さんは動揺を隠しきれないようだった。
「わたしはかなり鈍感なんだなって、最近気づきました。誰ともつき合えなかったのは、単に自分の心が分かってなかったからなんだなって。心和って名前のくせに、自分の心を理解もできてなかったんです」
「心和の恋人は、それに気づかせてくれた相手ってことだよね?」
「はい。元気が良くて、当たって砕けるまで当たるタイプなので、わたしも気づくことができたんだと思います」
「そういうタイプか……それで、放っておけなくて辞めるなんだ」
そうです、と肩を竦めると椚木さんも溜息を吐きながらも笑ってくれる。
「心和が愛する相手を見つけてくれたのは嬉しい。ちょっと予想外だったけど、心和はその相手の腕にしがみつくくらい頑張ってもいいのかもね」
「そうしようと思っています」
「でも、心和がそう思うくらい愛した相手ってどんな相手か気になるなぁ」
「椚木さんもちょっとですけど、ご存知ですよ」
椚木さんと彩葉ちゃんは入れ替わりで配属にはなったけれど、椚木さんが本社に用事があった時は顔を出してくれることもあったので面識はあった。
「芸能人とか有名な人ってこと?」
「いえ、相阪さんです」
「相阪さんって、ちょっと前に辞めた心和の後輩? 西洋人形みたいに可愛かった」
「はい」
「聞かなきゃよかった……」
何を想像したのか溜息を吐いた椚木さんとは、その後飲み直して終電間近に解散した。
終電の2本前の電車に乗り込んで、彩葉ちゃんにはぎりぎり日が変わるまでに帰れそうと連絡をしておく。
今日椚木さんに全部打ち明けることは、彩葉ちゃんにも事前に相談していて了承を貰っている。
どうしても椚木さんに全てを打ち明けたのは、家を飛び出してからずっとわたしのことを支えてくれた人だからだった。嫌われるかもしれないけれど、辞める理由も告げずに縁を切るようなことはしたくなかったのだ。
最寄り駅の改札を出たところで、歩道の柵に身を預けている存在が目に入る。
「お帰りなさい。心和さん」
「こんな夜遅くに危ないよ」
「大丈夫です。時間見ながら今来たところですから。酔っ払いの心和さんをちゃんと家に連れて帰らないといけないなって思ったんです」
「そんなに飲んでないよ」
それでもです、と彩葉ちゃんに手を引かれて素直に従う。
「ちゃんと言えました?」
「言えたよ。彩葉ちゃんだって言ったら、椚木さん変な顔してたけどね」
「私が椚木さんに会ったら滅茶苦茶怒られそうですね」
「そうかな」
それはそれで楽しいかもしれないと笑うと、彩葉ちゃんは頬を膨らませて拗ねる。
「でも、心和さんとまた一緒に働けるようになるまで、もう少しですね」
「うん。これから先は何だって二人でやって行こう」
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