祓い屋のアシスタント

 病室のロッカーを開くと、アレクの着替えや荷物が綺麗に整理されて入っていた。

 目につく位置に聖書とロザリオがある。使い込まれた革表紙の聖書、そして絵画事件の後に店長から贈られたロザリオだ。

 俺は二つを大事に抱えてアレクの元へと急いだ。




「アレク……?」


 手術室の前で、アレクは車椅子に座り俯いていた。

 何かに耐えているような、ひどく傷ついているような……俺は初めて見るアレクの姿に、遠慮がちに声をかけた。


「持って来たぞ」


 アレクの膝の上に、聖書とロザリオをのせてやる。アレクは包帯の巻かれた大きな手で聖書の表紙をそっと撫でた。


「帝王切開で、赤ちゃんは無事に産まれる事が出来たようだ……」


 赤ちゃんは無事なのか、良かった!


「それで、あの……お母さんは?」


「一佳ちゃんが、母親の霊体を体に押し戻した」


「え……?」


「一佳ちゃんは『自分はお姉ちゃんだから大丈夫』だと……、……『赤ちゃんのそばにいてあげて』と……、母親に伝えていた」


「そ、んな――…っ!」


 そんなこと……一佳ちゃんはまだ幼稚園で、一佳ちゃんだってお母さんのこと大好きなはずで、それでも、いや……だからこそ、一佳ちゃんは――……っ、……


 アレクが顔を上げた。手術室の扉に向かって優しく微笑む。


「一佳ちゃん、おいで……よく頑張ったね」


 手招くアレクに、俺は涙を堪えるのがやっとだった。ぎゅっと拳を握り、奥歯を噛み締める。


「都築、すまない……送ってやりたいから、一佳ちゃんと二人にしてくれ……」


「……分かった」


 俺は二人から離れた。

 そのままトイレへ向かう。個室に入るなり堪えていた涙がボロボロ零れる。


 俺はただ嗚咽を漏らすことしか出来なかった。




☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆




 トイレの鏡で真っ赤な目を確認する。なんとか泣き止んだが、これじゃ泣いてたのがバレバレだ。俺は大きく深呼吸をし、両頬を両手でバチン! と叩いた。


 トイレを出て手術室の前へ戻ると、アレクがポツンと車椅子に座っていた。


「アレク……」


「あぁ、終わったぞ……都築、すまなかったな」


 俺の方を見たアレクは小さく笑った。アレクの目元も、やっぱりちょっと赤い。


「謝るようなこと、何にもないだろ……病室に戻ろう」


 車椅子に近寄り、俺はゆっくりと押し始めた。


 俺はずっと、祓い屋の仕事をかっこいいと思っていた。

 店長やアレク、橘や十和子さん……皆それぞれ能力は違うけど、すごい力を持っていて、強くてかっこいい人達だと思っていた。


 でも――……、

 こんなにも『死』に近い仕事が、ただ『かっこいい』わけないじゃないか。

 アレクだけじゃない……きっと皆、数えきれないくらい、こんな風に誰かを見送ってきたんだ……。


 俺には何の力もない。

 術も使えない。


 ただの『祓い屋のアシスタント』の俺は、この強くて優しい人達に何ができるんだろうと、車椅子を押しながらぼんやり考えていた。




☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆




 病室に戻ると、アレクはすぐにベッドに横になった。


「少し疲れたみたいだ。……都築、せっかく見舞いに来てくれたのに悪いが、眠りたい」


「あぁ、俺も……そろそろ店に戻るよ。また、来るから……」


 俺は病室を出た。

 今度来る時には、アレクの好物をたくさん店長に作ってもらって差し入れしよう。


 エレベーターで一階に下り、病院を出る。

 なぜか、早くムーンサイドに帰りたい気分だった。

 足早に歩き出すと背後でクラクションが鳴る。振り返ると……、


「店長?」


 いつも店の裏の駐車場に鎮座している店長の高級車が、俺の目に飛び込んで来た。

 運転席の店長がちょいちょいと手招きしている。

 俺は慌てて駆け寄り、ドアを開けて助手席へと乗り込んだ。


「どうしたんですか?」


 シートベルトをしながら訊ねると、店長は軽く肩を竦める。


「どうしたもこうしたも……パトラッシュが、すごい勢いで店に戻って来て『都築くんが困ってるから何とかしろ!』って大騒ぎして大変だったんだよ」


「え……」


 俺の真っ赤な目をチラリと見た店長は、小さくため息を吐いてからゆっくりと車を発進させた。


「君たち、意思の疎通が出来ないんだから……都築くんが泣いたり落ち込んでたら、傍にいるパトラッシュが心配するのは当然だろ?」


「う……――すみません、店長。……パトラッシュ、心配かけてごめん。俺は大丈夫だから」


 俺は店長とパトラッシュに謝った。

 沈黙が流れる。

 店長は何も質問してこない。

 もし泣いてた理由わけを説明したら、俺はまた泣いてしまう。

 今日は店長の察しの良さが救いだった。


「今日の夜営業、バイト休んでもいいよ……帰るなら、このままアパートに送ってあげる」


 店長の優しい声に俺はまた鼻の奥がツンと痛くなった。


「ありがとうございます。でも……アパートじゃなくてムーンサイドに、戻りたい……です」


「分かった」


 店に戻ったら、ちゃんと笑顔でウェイターをする。

 店長のまかない飯を食べて、店の掃除して、困ってる依頼人が来たら、祓いのアシスタントもするんだ。


 俺は大きく一つ深呼吸してから、両頬を両手でバチン! と叩いた。


「今日のまかない、何ですか?」


「ふふっ、……今日はおでんだよ。圧力鍋で大根も牛スジもトロトロになってる。玉子もコンニャクもしっかり味がしんでる」


「お、おでんっ!? ――…っ、……」


 俺の腹がぐぅ~と鳴った。さっきまでベソかいてたのに、さすがに自分でも恥ずかしい。

 あまりの気まずさで腹を押さえた俺に、店長は小さく笑った。


「おでんの分、しっかり働いてもらうよ」


「はいっ!」


 店長の高級車はムーンサイドへ向かって、夕方の街を走り抜けてゆく。

 やたらと座り心地のいい革張りのシートに体を預け、俺は窓の外を流れる景色を眺めていた。

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