夕方の教室

 翌朝――…。


 珍しく欠席が多いことに気づいた俺は、教室を見渡した。

 ……休んでいるのは昨日橘と揉めていた女子達のようだ。


 朝のホームルームにやってきた担任は難しい表情かおで状況を説明した。


「――…ということで、休んでる者は全員が熱と腹痛だ。食中毒の疑いで入院してはいるが、はっきりとした原因はまだ分かっていない。熱や腹痛など、酷くはなくとも症状がある者は他にいないか? いたら申し出てくれ」


 担任はゆっくりと生徒たちに視線を巡らせる。

 しかし誰も手を上げない。


 俺は振り返り、一番後ろの席の橘を見た。

 昨日揉めていたが……もし、陰陽師というのが橘の冗談なんかじゃなかったら?

 彼女たちに何かした、とか?


 思い返せば、橘はかなり異質だ。

 家だけじゃなく、橘自身普通の高校生とはちょっとかけ離れた雰囲気を持っている。

 俺達とはちょっと『違う』存在――…。


 あまりに現実離れしていると自分でも思う。

 しかし、もしかしたら橘は本当に陰陽師で彼女たちに何かしたのでは? という考えが頭から離れない。


 昼休み、橘は昼食を食べることなく席を立った。

 気になった俺は橘の後を追う。

 声はかけず、様子を伺いながらついていく。


 校舎の裏手……普段生徒が立ち入ることなどない場所に、橘は躊躇なく入って行く。

 こんな場所に何の用事があるのだろう……。


 俺は校舎の陰に身を隠し、橘が何をしているのか良く見ようと目を凝らす。

 足をとめた橘はポケットから何か小さな丸く白い……碁石のようなものを取り出した。

 唇が動く……何か呟いているようだが、ここまで聞こえない。

 気のせいか橘の全身がぼんやりと光を帯びているように見える。


 しばらくして、橘はその石のようなものを地面に埋めた。


 その後も橘は校内のあちこちに移動し、同じことを繰り返した。

 いったい何をしているのか分からないが、橘のしていることが何かの儀式のようにも思え、俺は最後まで声をかけることができなかった。




☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆




 午後の授業、橘も俺も何事もなかったかのように過ごした。

 そして放課後、俺は思い切って橘を問い詰めることにした。


 クラスの皆がそれぞれカバンを手に教室を出ていくが、橘は珍しく教室に残っている。机に座ったまま文庫本を読んでいた。

 教室にはまだ数人残っている。


 ただの憶測と妄想だけで、他生徒の前で橘を糾弾するわけにはいかない。

 俺は時間を稼ぐため、そして自分を落ち着かせるためにトイレへと向かった。


 教室に戻ろうと廊下を歩いていると、残っていた生徒達がちょうど教室から出て来るのが見えた。

 今なら橘一人か……。


 俺は教室のドアを開こうとした、その時――…


「――…?」


 話し声? 橘の声が聞こえる。

 橘以外もう誰も残っていないはずだ。

 俺はそっと薄くドアを開き、中の様子を伺った。


 陽が傾き、薄暗い教室は見知らぬ空間のようだ。

 空間自体が夕焼けに染まっているような……オレンジの世界。


 橘は女子達がこっくりさんをしていた机の前に立っていた。

 やはり橘が彼女たちに何かしたのだろうか……。


「ごめんなさい……」


 謝罪?


「昨日、ちゃんと話してやめさせるべきでした……本当に、ごめんなさい。今後、この地で何者も降霊できないようにしました。だから、安心して下さい」


 何をしたって? 今後、この地では降霊できない?

 昼休みに学校中を回っていた……あの、儀式のようなもののことだろうか……。


 橘はポケットから何か紙を取り出した。

 不思議だ……橘の体がぼんやりと光を放っているように見える。


「今後、この地であなた方の眠りを妨げないこと……橘京一の名で約束します。どうぞ、お帰り下さい……そして安らかに――…」


 橘は紙を口にくわえ、両手で何か印のようなものを結んだ。

 上空にふっと息を吹くと同時に、紙がひらめく。


「――…っ!?」


 俺は見た。

 橘の目線の先に、女性の姿があった。

 輪郭がぼやけて向こう側が透けて見える……しかし、それは確かに女性だと認識できた。


 橘と女性は共鳴するように光りを放つ。

 重力を感じさせない不思議な浮遊感で、橘の髪も制服もふわっと大きく揺れた。


 橘がくわえていた紙がふっと消えると同時に、女性の姿も消えた。


 自分の目で見たものが信じられないなんてこと、初めてだ。

 高熱や腹痛の原因は橘ではなく、あの女性の霊だったということか……。


 俺は教室のドアを開く。

 ビクッと大きく体を震わせ、驚いたように橘がこちらを見た。

 引きつった表情かおの橘は、あからさまに不自然な動きで教室端の机へと戻っていく。

 誤魔化すの……下手すぎだろ。

 誰にも見られたくなかったなら、部活の奴等も全員下校した後まで待てば良かったのに……そういうところ、ちょっと抜けてるというか無防備というのか。


「橘、まだ残ってたのか……珍しいな」


 俺は何も知らない振りで教室へと足を踏み入れた。自分の机に向かう。


「今、帰ろうと思ってたところ」


 橘の声はちょっと空々しい。……本当に下手くそな奴だ。

 俺はカバンからノートのコピーを取り出した。

 ちょっと慌てたように帰り支度をしている橘へ近づき、コピーを差し出す。


「……これって?」


「数学のノートのコピーだ。渡すって言ってただろ」


「あ、そっか……うん、ありがとう」


 橘はコピーを受け取り、大事そうにカバンへしまった。

 さらに陽は傾き、教室は暗くなって橘の表情もほとんど分からない。


 俺は自分でも驚くほど自然に声をかけた。


「帰ろう」


「えっ? ……一緒に?」


「いちいち確認するなよ」


「ご、ごめん……」


 俺と橘は教室を出た。

 誰かと一緒に帰るなんて初めてだ。

 特に何を話すでもなく、廊下を歩き、靴を履き替え、俺達は並んで校門を出る。


 俺は何となく……本当になんとなく、気まぐれで、ポケットからスマホを取りだした。


「橘、お前……LIMEとか――…」


 俺の言葉を遮るように橘のポケットでスマホが鳴った。

 橘は慌ててスマホを取り出し、画面表示を確認するとすぐに通話ボタンを押す。


「もしもし? 都築さん? この間はありがとうございました! とっても楽しかったです……え? ふふっ……そんな事ないですってば!」


 なんだなんだ?

 橘の声のトーンが一気にはね上がった。

 都築さん? 年上の恋人……か?

 年上の女性と付き合うようなタイプには見えないが、人は見かけによらないな。


 それにしても、こんなに楽しそうに明るい声で話せるなんて……まるで別人のようだ。


 呆気に取られている俺の横で、橘は驚くほど柔らかく嬉しそうな笑顔を浮かべる。……なんだ、普通に笑えるじゃないか。


「はい! じゃあ今度そちらへ行く時には、僕オススメの栗ようかん持っていきますね! すっごく美味しいので、楽しみにしててください! はい、……はい! それでは、失礼します!」


 通話を切った橘は、思い出したように俺を見た。


「ごめん、黒崎くん……さっき何か言いかけなかった?」


「ん? あぁ、いや……良かったらLIMEの登録、どうかと思って」


「いいの? 嬉しい!」


 楽しそうな通話の直後だからか、橘のテンションはまだ高い。

 俺たちはLIMEの登録をした。

 

 俺はスマホの時間を確認する。

 塾までまだ少し時間がある。


「橘、たい焼きでも食べてくか?」


 橘は驚いたように目を瞬かせてから、にっこりと笑った。


「うん、行く……!」

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