異変
「うーん、大丈夫なのか……こんなやり方」
すぐにトイレを出たら不自然なので、俺は便座の蓋に腰かけて休憩していた。
まるで押し込み強盗さながらのやり口で強引に家に上がってしまった。
依頼じゃないと動きにくいっていうのは、こういう意味でも難しいってことなんだろうな。
もし警察でも呼ばれたら言い訳もかなり厳しいだろう。
しばらくトイレに立てこもってから、廊下の様子を窺いつつそっとドアを開く。
店長とアレクも靴を脱いで上がり込むところまでは成功したようだ。
トイレから出ると廊下の飾り棚の人形が目についた。
綺麗な人形だ。
けっこう大きい、五十センチくらいはありそうだ。
金の巻き毛、ガラスの碧い瞳、肌は磁器だろうか……貴婦人のドレスみたいな服が着せてある。
子供の人形遊びのためのものではなく、観賞用といった感じだ。
見れば、玄関の靴箱の上にも似たような人形が飾ってある。
七瀬さんの趣味なのかな……。
俺が人形を見ていることに気づいた七瀬さんが近づいてきた。
「もう大丈夫なんですか?」
「あ、はい! ありがとうございました。あの……この人形、すごく綺麗ですね」
「え? あ……えっと、……趣味で、集めているんです」
店長とアレクも飾り棚の前に来て人形を覗き込んだ。
「ビスクドールですね、こんなに状態のいいアンティークはなかなかない」
「店長、詳しいんですね」
この人は何でも良く知ってるなぁ……いや、俺が物知らずなだけなのか?
人形から目を離すことなく、店長は七瀬さんに問いかける。
「この子のお洋服は手作りですか? 玄関に居た子と色違いのドレスですね」
「はい」
ん? あれ? 趣味の話になったからだろうか、七瀬さんの表情がちょっと和らいだ。
店長はこういうところも巧みだなぁ。
「集めてらっしゃるということは他にもコレクションが?」
「三十体ほど……」
「ぜひ拝見したいな、なぁアレク?」
「お願いします、七瀬さん」
店長にのっかって愛想よく笑顔で頼むアレクに、七瀬さんは戸惑いつつも頷いた。
「……分かりました、二階へどうぞ」
七瀬さんの案内で、店長、アレク、俺の順で階段を上がってゆく。
何だか……空気が重いような気がする。
七瀬さんのご機嫌がどうとかじゃなく、何というか……階段を一段上がるごとに不思議な重力みたいなものを感じる……なんだろう、これ。
二階の廊下の小さな窓には白いレースのカーテンがかかっていた。人形が好きというだけあって、廊下に飾ってある絵や棚などの家具も全体的に可愛い雰囲気で統一してある。
二階には部屋が三つあり、七瀬さんが一番手前のドアを開いた。
「見ていただくのは構いませんが、お手は触れないようにお願いします」
「分かりました」
七瀬さんに続き、店長とアレクが部屋に入ってゆく。
しかし俺は不思議と足が重く、なかなか一歩が出ない。
気づけば腹を押さえている。
あれ? ……なんだ、これ。
俺、ちょっと腹が痛い……かも?
さっき家に入れてもらうために嘘ついたからバチがあたったのか?
いや、俺は霊感ゼロなんだ……体質的にそれはないな。
「都築くん、どうかした?」
部屋から顔を出した店長が不思議そうに声をかけてくる。
今、大事なところじゃないか。
体調不良なんか言い出せるわけがない。
「何でもないです! すみません」
重い足を叱責し、俺は部屋に入った。
☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆
「うわ、すごい……!」
ここは完全にコレクションルームとして使われているのだろう。
余計な家具はなく、壁に沿って飾り棚が並び、数えきれないほどの人形たちが飾られていた。
七瀬さんは三十体くらいと言ってたが、ぱっと見もっと多そうだ。
「あ、この子かわいい……」
俺は一つの人形を覗き込むように軽くかがんだ。
ゆるくウェーブした栗色の髪には緑のリボンがとめてある。リボンに色を合わせたドレスも、緑の濃淡とレースが映えてコーディネートばっちりだ。
「緑の瞳が綺麗ですね、服と合ってる」
コレクションに興味を持った俺に、七瀬さんはちょっと嬉しそうに微笑んだ。
「その子はシモンヌという名前です」
人形全部に名前をつけてるのか……覚えるだけで二、三日かかりそうだ。
七瀬さんはシモンヌを抱き上げ、見やすいよう俺に近づけてくれた。
「この緑の瞳は特別なガラスが使われていて、光の加減で金色に見えるんですよ」
「へぇ~」
窓から射し込む陽の光を受けて、シモンヌの瞳がキラキラ光る。
確かに綺麗なのだが……俺は、ますます辛くなる腹痛に思わず腹を押さえた。
軽く吐き気までしてきたぞ。
俺と七瀬さんが話しているうちに店長とアレクは人形たちを念入りに見て回り、時折目配せしたり考え込んだりしている。アレクが七瀬さんに感じた不穏な気配の原因が人形に関係あるってことなんだろうか。
それなら、二人がしっかり調べられるように俺は七瀬さんとおしゃべりして時間を稼がないと……と思うのだが、どんどん具合は悪くなる。立ってるのも辛くなってきた。
「すみません、ちょっと……やっぱりまだ体調悪いみたいで、少し休ませてもらっていいですか?」
「それならリビングへどうぞ。ソファで休んでください」
「ありがとうございます」
七瀬さんはシモンヌを飾り棚に戻し、俺と一緒に階段を下りてリビングへと案内してくれた。
趣味の人形の話をしたことも勿論だが、体調が悪くて弱ってる俺に同情してくれたのもあるのだろう。
むき出しだった警戒心はほとんど感じられなくなっていた。
俺はリビングのソファに座らせてもらい、大きく息を吐く。
体が重い。
「……熱、測りますか?」
七瀬さんが体温計を持ってきてくれた。
基本的には優しい人なんだな。
「ありがとうございます」
体温計を受け取り脇に挟んだ俺は、何気なくリビングを見回した。
リビングボードに写真たてが並んでいる。家族写真のようだ。
七瀬さんと男性が女の子を挟んで笑顔で写っている写真に目がとまる。早くに亡くなったという旦那さんと、昨年お嫁に行ったという娘さんだろう。その隣には成長して大人っぽくなった娘さんと七瀬さん、二人の写真もあった。
俺は改めて七瀬さんを見た。
アレクは七瀬さんが痩せたと言ってたが、確かに写真と比べるとかなり華奢だし、目の下にはクマがあり、頬もこけて顔色も悪い。健康的に痩せたわけじゃないのは明らかだった。
ピピッピピッピピッピピッ
体温計が鳴る。表示は37度ちょうどだった。
熱というほどでもない。それだけで何だか楽になったような気がする俺は単純だな。
俺は体温計を七瀬さんに返した。
「ありがとうございました、熱は大したことないし大丈夫だと思います」
「良かったですね」
「あの……七瀬さんも、どこか体調悪いんじゃないですか? 失礼だったらすみません。でも顔色も悪いし、疲れてらっしゃるみたいで……」
「私ですか? どうかしら……夜、あまり眠れていないのは確かですが」
自覚ないのかな。
七瀬さんは向かいのソファに腰を下ろし、少し考えてから口を開いた。
「最近疲れやすいのは感じてますが……あぁ、でもずっと微熱があって……腹痛と軽い吐き気もあります」
微熱と、腹痛と、吐き気――…?
俺と一緒じゃないか。
ゾクリと悪寒が走った。
まさか、俺……何かの影響を受けてるのか?
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