勝手に決めるな

「勝手に決めるな」

「しかし、何度考えてもそれ以外の結論が導き出せない」

「あんた刑事の割に頭が悪いな。少なくとも金貸しにはなれないな。信用調査って知ってるか?他人の借金状況を調べる事なんだが、依頼人のプライバシーを侵害しないよう細心の注意を払って行わないといけない。それをあんな風に踏み荒らすんじゃ、信用できないと判断せざるを得ないな」

「わかったよ。この件に関してはもう何も言わないよ」

「賢明な判断だ」

「ただし、ジェーン・エアを捕まえたら、もう一度ここに来てくれ。その時、俺はジェーン・エアを追っかけている理由を話す」

「随分と自信があるんだな」

「そりゃ、根拠のない自負ほど恐ろしいものはないからな」

「いいだろう。約束しよう」

と口では言っておいた。俺は心の中でほくそ笑んだ。ボロを出しやがった。金融業だと自分でバラしやがった。しかも闇金融か違法な高利貸しだろう。何故なら、真っ当な金融業者ならそれなりの債務瑕疵に関するデータベースを共有しているからだ。少なくともいちいち個別調査はしない。だから、俺は確信した。こいつは犯罪者だ。

瀬尾はマスターとの会話を終えると、今度はカウンターの端に座っている初老の男に話しかけた。

「ちょっとよろしいですか」

「なんでしょう」

「最近、この辺りに新しくできたカジノについてご存知ありませんか」

「ああ、あのバカ高いレートで有名なところですね」

「ええ、そうです」

「残念ながら知りませんね」

「そうですか。ありがとうございます」

「いえ、こちらこそ」

瀬尾はカウンターを離れると、また壁に向かって話し出した。

「やはりゲーリー一家が怖くて知らぬ存ぜぬか…なぁ、そこの姉ちゃんよ。俺をコソコソつけてないで姿を見せたらどうなんだ。何だったらあんたと手を組んでもいいぜ」いつでもピストルを抜ける準備をしつつ慎重に訊く。「へぇ、どうして分かったの?」

声の主は物陰から出て来た。

「最初に俺に声をかけてきた時から気付いてたよ」

「あら、凄いわね」

「別に大したことじゃない。ただ、あんたが俺を観察していたように、俺もまたあんたを見張っていたんだ。刑事に接触してくるからにはそれなりの困りごとを抱えてるんじゃねえのか?例えば架空の借金をこさえられて、店を辞めさせてもらえないとか。あるいは、店のオーナーに弱みを握られているとか」

「さすがプロね。どうせなら、私と組んでくれない?もちろん報酬ははずむから」

「それは無理だ。俺はジェーン・エアを逮捕するまで他の仕事は一切受けないことにしている」

「そうだったの。だったら紳士協定はどうかしら。お互いの仕事の邪魔はしない。協定内容には互いに相手の仕事がスムーズに運ぶよう情報交換を含める。悪くないと思うけど」

「まあ、いいんじゃないか」

「じゃあ決まりね。私はジェーン・エアの居場所を知ってる。そして、あなたも知っている。あと必要なのはジェーンの身柄だけだ。彼女が捕まった時点で、お互いに連絡を取り合うというのはどう?」

「分かった。その条件でいこう」

「そういえば、まだ名前も聞いてなかったわね」

「俺は瀬尾だ」

「そう、よろしく」

「ああ」

「早速だけど、あなたの方で調べて欲しいことがあるの」

「何でも言ってくれ」

「まず、今朝早く、この店の近くで変死体が発見されたのは知ってる?」

「知らないな」

「実は身元不明の変死者が二人出たの」

「まさか、それがジェーン・エアの仕業だと言うつもりじゃないだろうな」

「そうじゃない。むしろ逆よ。その二人はこの店で殺されたの。しかも、ジェーンがやったことになってる」「どういうことだ?」

「詳しくは言えないんだけど、うちのボスが彼女を疑っているの」「なぜ?」

「分からない。でも、何か裏がありそう」「あんたの上司は誰だ?潜入捜査官を抱えてる部署は数えるほどもないぞ」

「申し訳ないけど、それも教えられない」「そうか……」「でも、これだけは言える。彼女は無実よ。信じてあげて」

「善処する」

「お願いね」

「他に何かあるか?」

「いいえ、今のところは。これからは逐一報告するから、随時対応して頂戴。それで、最後に一つだけ確認したい事があるんだけど」「なんだ」

「この店に来る前、どこに行ってたか教えてもらえる?例えば、銀行とか」「ああ、いいぜ。俺がこの店に来たのは一時間くらい前で、それまでは銀行のATMにいた」「なるほどね。じゃあ、これで失礼するわ」

そう言うと、女は立ち去った。

俺は、先程まで話していた女の後ろ姿を眺めつつ考えた。

さて、どうしたものかな。ゲーリー一家のシマじゃない店で飲むかな。商売敵なら色々情報を持ってるだろう。例えばドウェイン・シンジケートなんかどうだ。奴らは足を洗って堅気になりたがってる。

などととりとめない考えを巡らせていた。しかし、俺の脳味噌はそう簡単には休ませてくれないようで、すぐに次の厄介事が持ち上がってきた。

マスターが近づいてくると俺に言った。「お客さんだよ」

俺は反射的に銃を握った右手に力を込めた。

振り返るとそこには見知った顔があった。「おいおい冗談きついぜ。何だってアンタが来るんだ?」

「悪いかね」と不機嫌そうに言ったのは警視庁の公安部長だった。

「ここは警察の息がかかった店じゃないんでしょう」

「警察とは関係ない。ただの常連だ。君に頼みがあって来たんだが、取り込み中だったようだな」「それで?用件は何だ」

「ジェーン・エアがここに入って行くのを見たという目撃証言がある」と懐に手を入れながら、ちらりと瀬尾の方を見る。それから「彼は君の知り合いか」と言った後、声を潜めた「それにしても随分熱心に彼女を追い回すじゃないか。君はそういうタイプの人間には見えないんだか」そしてさらに声を落とし「ひょっとして彼女に気でもあるのか」そこで再び大きく咳払いをしてわざとらしい笑顔を作って見せた「いや、誤解されては迷惑だ。ここはひとつ腹蔵なく語り合いたい。今度一杯付き合わんかね。もちろんおごろう」

「いや結構だ」と言って俺は首を横に振った。

「いや、待て。私の誘いを断るのかね。せっかくのご縁だ。遠慮はいらんよ。ささっ、行こう」

「お断りします」と俺は言った。

「なにぃ!この私が誘ってるんだぞ。ありがたくおごられるべきだろうが!」

「そんなに怒鳴らなくても聞こえますよ。でも、本当に結構です。俺は忙しいんです」

「なにがだ」

「ジェーン・エアを捕まえるために決まってるでしょ」

「貴様、ふざけてるのか」

「いいえ、至極真面目ですよ。ところで、そのジェーン・エアですが、今日もここに来る予定ですか」「来ない。あいつはいつも決まった曜日に現われる。だから、こうして張り込んでいれば会えると思ったんだが、どうも空振りのようでな」

「そうですか。残念ですね」

「まったくだ。だから、今夜は二人で楽しく飲もう」

「いえ、やっぱり結構です」

「なぁ、頼むよ。ちょっとぐらい良いだろ。奢るからさ」

「あんた、俺の話を聞いてたのか?俺はジェーン・エアを捕まえるまで他の仕事はしないと決めている。だから、あんたともこれ以上話すことはない」

「おい、瀬尾。何とか言ってやってくれないかい」

「俺は瀬尾ではない。捜査課の瀬尾は二週間前に殉職した」

「何だと?」

「俺は瀬尾の身内だ。つまり、あんたの申し出は受け入れられん」

「なぁ、あんた、本気で言ってるのか」

「本気に決まっている」

「あんた、瀬尾の兄さんなのか?」

「そうだ」

「瀬尾の葬式には参列したか?」

「した」

「彼の死に顔は見たか?」

「ああ」

「じゃあ、なんでこんなことをしているんだ。あんたの弟は立派な刑事だった。その弟が死んで、残された家族はどうなると思ってるんだ?」

「俺は弟の分まで刑事としての使命を全うしなければならない。それこそが瀬尾への供養であり、弔いなのだと思う」そう言い切った瞬間、背中に悪寒を感じた。

俺は咄嵯に身を屈めると、カウンターの下へと転がり込んだ。間髪入れず頭上を銃弾がかすめていった。弾丸は天井に突き刺さり、照明が砕け散った。カウンターの下に潜り込みながら叫ぶ。

瀬尾もカウンター下に隠れており、俺に向かって叫んだ。

瀬尾が言うには、今の銃撃で店内にいる人間が全員カウンター下に隠れたのだという。

俺はカウンターの下から這い出ると、瀬尾とともにカウンターを出た。瀬尾は銃を構えながらカウンターの外に出る。

俺たちはカウンターを出てすぐ横にあるトイレに入った。

幸いなことに中は無人で、ドアの向こう側から微かに人の気配が伝わってくるだけだった。

「何者だ?」

瀬尾は小声で訊いた。「分からない」俺は答えた。

「銃声はしなかったが」

「消音器付きの拳銃かもしれない」

「なるほど」

俺はポケットから手錠を取り出すと、瀬尾に向かって放り投げた。

「俺が囮になるから、あんたはその間に逃げてくれ」「分かった」

瀬尾はそう答えるなり、躊躇することなく両手を後ろに回して手錠をかけた。

俺は瀬尾の手首にしっかりと手錠をかけると、そのまま引きずるようにして奥の個室に連れ込む。

「さっきの連中に見つからないうちに早く行ってくれ」瀬尾はうなずくと、素早く扉を開けて廊下に出た。

俺はその後姿を見送ることなく、ゆっくりと個室内に入ると鍵をかけて、便器の上に腰掛けた。

銃声はしない。だが、確実に誰かに見られている。

俺は腕時計に視線を落とした。時刻は午後九時十分過ぎ。

ジェーン・エアが現れるまであと三〇分ほどある。それまでここでじっとしているしかない。

俺はジャケットを脱ぐと、床に置いた。

瀬尾は無事に逃げただろうか。

俺は目を閉じて、物思いに耽った。あれは俺が小学生の時のことだ。俺が小学校低学年の頃、親父が殺された。

犯人はすぐに捕まったが、俺の心は晴れなかった。

親父は仕事が忙しくて滅多に家に帰らなかったが、それでもたまの休みには一緒に遊んでくれたし、俺の誕生日やクリスマスといったイベントにも欠かさずプレゼントを用意してくれた。そんな優しい父親だったが、ある日突然殺されてしまったのだ。その事実はあまりに大きく、今でも心の中で燻っている。俺にとっての父親は間違いなくあの人だった。

俺が小学六年になった頃、母が再婚することになった。新しい母親は俺と同じ年の女の子を連れてきた。

それがジェーン・エアとの出会いだった。

ジェーンは俺より一つ歳下で、母親譲りのブロンドの髪をしていた。俺は最初その髪型を気に入らなかった。金髪は不良の証だと思っていたからだ。

俺は、自分の黒い髪の毛が嫌いではなかった。しかし、周りの子供たちは皆、俺のことを黒んぼと呼んでいた。俺はそれを当然のことだと思い込んでいた。

なぜなら、その方が都合が良かったから。

学校ではいじめられっ子で、友達と呼べる存在は一人もいなかった。

そんなわけで、俺は周りから疎まれ嫌われていた。だから、髪の色が違うだけで差別されるのは仕方がないと諦めてもいた。

しかし、ジェーンだけは違った。

ジェーンは俺の味方になってくれた。誰よりも優しくしてくれた。俺を虐める奴らに何度も立ち向かってくれた。

俺はいつしか、この少女を愛し、信頼していた。

ジェーンも同じように感じてくれていると信じて疑わなかったのだが……。それは大いなる勘違いに過ぎなかったのかもしれない。今更ながら、そのことを思うと辛い気持ちになる。なぜあんな事になってしまったのだろう。一体、何が原因なのか……考えても分からんことだらけだ。しかしだ、はっきりしていることはある。

あいつは人殺しだ。

ジェーン・エアに会えば全てが明らかになる。俺はそのために生きて来たと言ってもいい。

しかし、それもここまでだ。奴らが現れない以上、俺はジェーン・エアを諦めるしか無い。瀬尾はきっと大丈夫だ。

すると窓ガラスが割れて飛び込んで来た。投石か。いや、違う。アタッシュケースだ。パチンと蓋が開いて中身が転がり出た。

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