30 戦い

 雷雲が空を覆っていた。降り始めた雨が隊員達の頬を叩きつける。

 邪竜は黒い毒の息を吐きながら、騎士団に向かってきた。ワイバーンに乗った男の一人が邪竜に矢を射ったが、よけられてしまう。魔法士がすかさず火炎魔法を放った。


 ギイィッ!


 邪竜の翼膜の一部が燃えて落下する。しかし、それでも邪竜の動きは止まらなかった。口から黒煙を吐きながら、地面すれすれまで滑空し、騎士団の隊列へと突っ込んでくる。邪竜が口を開けている。炎を吐くつもりだ。


「危ない!」


 リーチェは防護魔法を放つ。すると、隊員の前に巨大な魔法陣が出現し、竜の炎が直前で弾かれた。


「よしッ!」


 思わず声が漏れたリーチェの前で、同じワイバーンに乗っていたハーベルが大きな声で言う。


「そのまま治癒魔法と付与魔法で援護してくれ!」


「はいっ!」


 リーチェは近くにいる仲間から魔法をかけていく。隊員達に支給されている防護服には魔法石が縫い付けられており、付与魔法の効果を数倍に上げていた。それぞれの武器にも攻撃力上昇の魔法付与する。

 ハーベルは団員達に向かって叫んだ。


「邪竜が海に落ちたら人里に津波がいくから注意しろ! 攻撃しながら邪竜を人のいない陸地へ誘導するんだ!」


「はいっ!」


 ハーベルの命令で陣形をとって攻撃をしながら、民家のない陸地へと邪竜を誘い込む。


「今だ! 撃て!!」


 ハーベルの号令によって団員達は一斉に邪竜に向かって矢を放った。矢のひとつが邪竜の目に命中し、血が吹き出る。


 ギャアァッ!


 邪竜は大きな鳴き声を上げ、暴れ出した。その動きに合わせて、騎士団員や魔法士団員の乗ったワイバーン達が宙を舞う。

 そして、魔法士団副長ハインツの指示によって次々と魔法士達から攻撃魔法が放たれた。みるみるうちに邪竜が弱っていく。


「よしっ! いけるぞ!」


 ダンが歓喜の声を上げた。

 他の騎士団員も同じ気持ちだったのか、さらに力を込めて矢を射る。強化魔法を施されたそれは、邪竜の硬い鱗をも、たやすく貫いた。

 あと少しで討伐できると思った時──邪竜が突然進路を変え、リーチェ達の方に向かって飛んできた。


「な……!?」


 リーチェは驚きながらも、慌てて邪竜を止めるべく防護魔法を唱える。

 しかし、間に合わない。死に物狂いになった邪竜が予想以上のスピードで猛進してきていた。

邪竜が眼前に迫った瞬間、リーチェは嫌な予感がした。


(まさか、私かハーベル様を狙って……?)


 ハーベルが指揮官だと分かったのか、それともリーチェが回復魔法や付与魔法をかけ続けている限り、勝ち目がないと思ったのか。どちらにしても、その知能の高さに舌を巻く。

 邪竜がリーチェ達に襲いかかろうと大きく口開けた。

その瞬間、ハーベルが叫んだ。


「手綱を強く握りしめて身を伏せろ!」


 リーチェは慌ててハーベルから手綱を受け取り、ワイバーンの背中に身を伏せる。

 ハーベルはワイバーンから勢いよく邪竜に向かって飛びかかった。邪竜は鋭い牙で彼に嚙みつこうとした──が、それは叶わなかった。

 激しい雷の音と光が、一瞬、辺りの時間を止めた。

 そして、リーチェは見てしまった。その瞬間、ハーベルが口の端を上げたのを。邪竜がハーベルの、その表情に圧されたところを。


(ハーベル様の悪人顔に、邪竜が負けた……!?)


 さすが悪役顔の男である。雨男という悪運すら、今は味方につけた。

 そして、ハーベルは邪竜の無事な方の目に剣を突き立てる。邪竜は断末魔のような悲鳴をあげて、大きく身を振り回す。

 ハーベルの体が空中に放り出された。


「ハーベル様!!」


 リーチェはそう叫び、ハーベルに近付いて手を伸ばした。

 ハーベルの体が地面に叩きつけられる前に、リーチェは彼の手をつかんで空中で引き寄せる。二人は固く抱き合った。


「──リーチェ!」

「ハーベル様……ッ!」


 錯乱した邪竜が大きな口を開けて隊員達を飲み込もうとした寸前──邪竜の姿が跡形もなく消えた。

 リーチェが目を剥いていると、岬にある神殿のそばでエノーラが小さく手を振っていた。


「良かった……エノーラ、成功したのね……」


(エノーラは邪竜を制御できたんだわ……!)


 安堵と喜びがあふれてくる。

 リーチェは地面に降り立つと、エノーラや隊員達と抱き合い、勝利を喜びあった。

 あんなに大きな戦闘だったというのに奇跡的に死者は出なかった。


「リーチェ、皆の傷を治してやってくれ」


「ハーベル様は?」


「俺は、かすり傷だから後で良い」


 そうハーベルが言うので、リーチェは怪我をした団員達に順番に治癒魔法をかけていく。

 最後の一人となったハーベルの元へ行く。彼は倒れた聖殿の柱に腰をかけていた。そばに隊員達はいなかったので、リーチェは遠慮なく声をかけた。


「ハーベル様。左腕、大丈夫ですか?」


「……気付いていたのか」


 ハーベルはばつが悪そうな顔をする。

 邪竜に向かって行った時に左腕をぶつけられて負傷してしまっていたのだ。

 リーチェはハーベルの腫れた腕を確認する。骨折はしていないようだが、ヒビは入っていそうだ。急いで治癒魔法をかけていく。


「そりゃあ分かりますよ。ハーベル様のことですから」


 リーチェは唇を尖らせた。

 真っ先にハーベルを治してやりたかったが、彼が他の隊員達を優先してほしいと願ったからリーチェは黙って従った。彼が仲間を想う気持ちを大事にしたかったのだ。


「邪竜に立ち向かっていくなんて、無茶しすぎです。心配しました。ハーベル様が私の前からいなくなってしまうんじゃないかって……」


 それは何より恐ろしい想像だった。


(──思い出すだけで、今でも怖い)


 推しの死は己の死だ。

 彼を失ってしまったら、これからどうやって生きていけば良いか分からない。


「……そうか。きみに心配をかけたくなかったのだが……、格好悪いな」


 ハーベルはリーチェの心配を察したのか、自嘲気味に笑う。

 リーチェは首を振った。


「ハーベル様は格好いいですよ」


 リーチェの言葉に、ハーベルが目を見開く。


(彼のこんな不器用さに……誰にも気付かせないような、その優しさに……前世の私も惹かれたんだから)


「一人で戦おうとしないでください。たとえ他の隊員に言えないことでも、私を頼ってください。私がハーベル様を支えます。これからも、ずっと……おそばで」


 リーチェは照れ隠しのように、はにかんだ。


「誰がなんと言おうと、あなたは世界で一番格好いい──私の推しです」



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