15 犯人

 剣を盗もうとしていたのはルーカスだった。

 ハーベルやダンや他の団員達によって囲まれたルーカスは、後ろ手に縛られてうなだれている。

 リーチェはハーベルの隣に立ち、彼を気遣うように見つめていた。元々怖い顔をしているから分かりにくいが、ハーベルの表情には動揺と悲しみが見え隠れしていた。


「どうして、ハーベル殿下の剣を盗もうとしたんだ?」


 そう低い声音で問いかけたのはダンだ。

 ルーカスは青い顔で震えるばかりで、質問に答えようとしない。

 苛立ったようにダンがルーカスの襟をつかんで強く揺さぶる。


「黙ってちゃ分からないだろう! ハッキリと言えっ!!」


「ダン。乱暴はよせ」


 ハーベルのその制止に、ダンは「しかし……」と不満そうに舌打ちした。

 その場に放り投げられ、ルーカスは尻もちをついた。ようやくルーカスは重い口を開く。


「……病気の妹がいるんです」


 そしてルーカスは身の上話を始めた。

 学園に通っている生徒の中には平民もいるが、ルーカスもその一人だった。

 彼の父親は酒に溺れたあげく妻子を置いて、彼が幼い頃にどこかへ行ってしまった。

 母親は長男のルーカスと六歳離れた妹のメアリーを育てるために、身を粉にして働き続けてきたのだという。


『ルーカスが騎士様になれば将来は困らないから』


 そう言って、無理してルーカスを王立学園に入学させてくれたのだという。

 しかし、ここ数ヶ月は妹のメアリーの体調が優れなかった。もともと病気がちではあったが、頻繁にめまいや関節の痛みを訴えるようになったのだ。

 高いお金を払って医者にも見せたが薬も効果がなく、最近では歯茎から血が出て、肌には黒い斑点まで出てきてしまった。


「血の病か……。この症状で亡くなる者の話は、たまに聞く」


 苦々しくハーベルが吐き捨てた。

 ルーカスはうつむいて言う。


「原因不明の病です。何度も医者に見せるほどのお金は、家にはありません……。俺は退学して働くつもりでしたが、母親と妹に反対されてしまって……どうしたら良いのかと途方にくれていた時に、ある男性から声をかけられたんです」


 その人は頭から足首まで黒いフードつきのマントをかぶっていたという。

 目元には仮面をつけていて、顔立ちは分からなかった。

 しかし男は『己は慈善事業をしている』と言って、ルーカス親子にお金を渡してくれた。

 ルーカスは男の厚意に感謝した。そのお金で妹を医者や回復術士に見せることができたのだ。

 医者の薬を飲むと少しは体調が良くなるように思えたし、回復術士に頼れば治癒魔法で傷口を治すこともできた。

 しかし、血の病はすぐに再燃してしまう。

 それなのに、お金は有限だ。間もなく尽きてしまう。

 再び困っていた時、また、あの黒ずくめの男が現れた。

 男は『ハーベル王子の剣をそばで見たいから、取ってきてほしい』と言った。そしたら、またお金を融通してやっても良い、と。

 一瞬だけ、少しの時間だけ借りるだけだ。すぐに返せば良い。そうルーカスは自分に言い聞かせて、ハーベルの剣に手を伸ばしてしまったのだという。


「お前、なんて馬鹿なことを……っ」


 ダンは語気荒く言った。ルーカスは身をすくませる。

 リーチェはルーカスに尋ねた。


「ということは……その黒ずくめの相手とは、剣を手に入れた後に、どこかで落ち合う予定だったのですか?」


 リーチェの問いかけに、ルーカスは気まずげに視線を落とす。


「いえ……野営地近くのひと気のない場所に兎の形をした岩があるからと、その前に剣を置いて葉と土をかぶせろと指示されました。すぐに返すからと……そう彼は約束してくれました」


 そんなの、ルーカスをそそのかすための嘘に決まっている。

 リーチェはそう思った。


(マルクはハーベル様に私を殺した罪をなすりつけようとしていたんだもの……剣を返すつもりなんてなかったはずよ。ルーカスは嵌められたんだわ)


 マルク本人が直接動くとは思えないから、おそらく黒ずくめの男はマルクの手下だろう。病気の妹を何とかしたやりたいという家族の切実な気持ちを利用した姑息なやり方だ。マルクの嫌らしさが透けて見える。


(ルーカスはどうなってしまうんだろう……)


 王子の剣を盗もうとしたことは事実だ。おとがめなしという訳にはいかないだろうが、何とかしてやりたい気持ちが湧いてくる。


(ん……? 歯茎から血が出て、肌には黒い斑点……ルーカスの妹の症状って、どこかで読んだことがあるような……)


 リーチェは顎を手で押さえて、記憶をたぐる。


(そうだ! 壊血病だわ!)


 前世でたまたま読んだ本で知った病気だ。長期航海する船乗りなどがなる症状で、ビタミンC欠乏が原因だったはず……。


(ゲーム内では壊血病になったキャラクターはいなかったし、ファンブックにもそこまで世界観の詳細は書かれていなかったから間違っている可能性もある……)


 しかし前世の中世・近世ヨーロッパ世界を模倣して作られたゲームなら、壊血病の設定だって、なぞってあってもおかしくはない。


(調べてみないと……)


 リーチェはそう密かに決意した。

 ルーカスは王都に戻ってから審議にかけられることになった。それまでは彼は見張りをつけられて拘束される。




 隊員達はルーカスの話していた兎の形の岩の場所を見つけ、安物の剣を使って犯人をおびき寄せようとしたが、黒ずくめの男は一晩経っても現れなかった。


「やはり、犯人に勘付かれたのでしょうね」 


 翌朝、リーチェはハーベルの天幕でスープとパンを食べながら言った。

 騎士団員が二人体制で兎の岩を監視していたが、朝になっても黒ずくめの男は現れなかった。

 ハーベルは「あぁ」とうなずいて、眉間を揉む。


「ルーカスに資金援助を申し出ていたことからも、黒ずくめの男はお金に困っていたわけではないだろう。剣を売って資金にするために手に入れようとした訳ではない。そもそも、そんなことをしたら足がつくしな。別の目的があるんだろう」


 別の目的とは、ハーベルを陥れることだ。ハーベルも薄々そのことに気付いているのかもしれない。リーチェは彼を気遣いながら言う。


「……そうですね。犯人は王都から離れた森でわざわざ盗みを行なおうとした訳ですから……それには何らかの理由があると思います。ハーベル様の剣を悪事に使おうとしたのかもしれません……」


 リーチェはスープ皿をおいて、ハーベルの顔を見つめた。

 証拠がない今はマルクが犯人だと告げることはできないが、ハーベルには今後とも身辺に気をつけてもらいたかった。何としてもリーチェは彼を救うつもりでいるが、一人で行うには限界もある。


(たとえ、この場は切り抜けられたとしても、私の記憶通りだと未来で再びハーベル様はマルクによって陥れられてしまうから……)


 リーチェは重い口調で言う。


「ルーカスが捕まったことを察知して男が現れなかったことを考えると、犯人は今この森に……私達の近くにいると考えるのが自然だと思います。おそらくは騎士団員か魔法士団員の中に、その男はいるかと」


 リーチェの言葉にハーベルは首肯し、ため息を落とした。


「そうだな。……俺を罠にはめようと画策している者がいるのだろう。裏で糸を引いているのは、おそらくマルクだ」


 リーチェは拳を握り締める。

 もしかしたら己の配下の騎士団員の中にマルクの手先がいるかもしれない──その想像は、ハーベルを心理的に追い詰めるものだろう。

 昨夜はよく眠れなかったのか、ハーベルの顔色が悪い。

 まだ朝も早い時間だ。魔物狩りが始まるまで、あと一時間以上余裕がある。


「休まないと体が持ちません。私が見張りをしていますので、ハーベル様は仮眠を取られてはいかがですか?」


 昨日言われたセリフをリーチェが軽い口調でそのまま返すと、ハーベルは目を見開いてから苦笑をした。


「……そうだな。それでは、お言葉に甘えることにしよう」


 ハーベルは長椅子に腰掛けて目を閉じる。

 リーチェは座る場所もなかったため適当に床に腰をかけるつもりだったが、ハーベルが薄目を開けた。


「きみも隣に座ってくれないか? さすがに女性を地面に座らせて眠るのは居心地が悪い」


「……それでは、お言葉に甘えまして」


 リーチェは少し戸惑いながらもハーベルの隣に腰掛ける。


(こんな態勢で寝られるのかしら?)


 そうリーチェは心配したが、杞憂だったようだ。ハーベルが目蓋を閉じてしばらくすると、彼の吐息が静かな寝息へと変わった。よほど疲れていたのだろう。

 騎士団員は戦時でも座ったまま休めるよう訓練されていると聞くが、ハーベルもそうなのかもしれない、とリーチェはぼんやりと思った。

 目を閉じていると険が取れて、大人びた顔立ちに幼さすら感じる。


(身内に命を狙われるなんて、いくら王子とはいえ境遇が重すぎるわ……)


「絶対に、私が護ってみせますから……」


 リーチェはそうつぶやいた。

 その時、ハーベルの頭がぐらつき、リーチェの肩に額が触れる。


(えっ……)


 ハーベルはリーチェの肩に頭を預けたまま寝入っていた。

 リーチェは体が緊張するのを感じながら、ハーベルが起きないよう、ただただじっとする。

 そしてようやく起きてきたハーベルが慌てて赤面しながらリーチェから身を離すのが一時間後の話。


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