6 宣戦布告

 ハーベルの政務室から退室しようとリーチェが扉の外に出た時、見知った相手に声をかけられた。


「リーチェ! ここに来ていたのか!」


 リーチェの方に向かってきているのはマルクだった。

 マルクはどこかからリーチェがハーベルの王子宮に来ていることを聞きつけてやってきたのだろう。

 思わずリーチェは硬直してしまう。

 リーチェを見送るために後から出てきたハーベルが、ふいに彼女の腰を抱いて自身の方に引き寄せた。


「えっ……」


 着痩せするタイプなのかもしれない。

 間近に迫ったハーベルの整った相貌にリーチェの胸が早鐘を打つ。

 異性とこれほど密着したことはなかったせいか、服越しでも鍛えあげられた異性の胸板を感じて彼女は狼狽した。

 マルクは忌々しげにハーベルを睨みつける。


「ハーベル! 僕はリーチェと話がしたいのだが!」


「どんな話だ?」


「それはきみには関係ないだろうっ!」


「関係はある。俺はリーチェと親密な間柄だ。さらに彼女から退団届を出しても、お前に受理されないと相談を受けていた。……それは魔法士団の規則に反しているのではないか? 教師達も知っていることか?」


 ハーベルは畳みかけように言う。

 マルクは顔を歪めた。

 リーチェはというと、そんな状況じゃないのに、ハーベルの言葉になぜか鼓動が速くなってしまう。


(親密……そうか。私達は親密なのか)


 ──いやいや、深い意味なんてないから! と、すぐさま脳内で否定する。


(ハーベル様は友人として、そう言ってくれているだけなのに……)


 己の不埒な想像に、リーチェは顔を紅潮させた。

 マルクは音が鳴るほど奥歯を噛み締めてから言う。


「……リーチェはうちに必要な人材だ。だから引き続き在席してもらおうと思っただけだ」


 ハーベルはマルクの言葉を鼻で笑う。


「だからといって、彼女の意思を無視して良いわけじゃないだろう」


 二人の間に火花が散る。

 ハーベルにかばってもらえてありがたがったが、やはりこれはリーチェが決着をつけなければならない問題だ。

 リーチェはハーベルから身を離して言った。


「ありがとうございます。でも、自分で伝えます」


 リーチェはそうハーベルに言ってから、マルクに向き直る。


「マルク殿下……副長に退団届を出していますが、改めて私の口から言わせてください。魔法士団を辞めさせて頂きたいのです」


 マルクは拳を硬く握りしめる。


「なぜだ……? そんなに頑なにならなくても、きみの気持ちは分かっている。もう十分なはずだ。僕のところに戻ってくるんだ。今なら許してやるから」


(許してやる、ですって?)


 マルクの傲慢な言い分に怒りを抑えきれず、リーチェは声が震えてしまう。


「……マルク様は私の気持ちを何も分かっておりません」


「何が不満なんだ? 立場が不満だと言うならば、僕の副長に抜擢してやっても良いんだぞ」


 リーチェはぎょっとした。


(私が副長なんてとんでもないわ!)


 すでに優秀なハインツが就いているし、何よりマルクのそばに常時いなければならなくなるなんて冗談ではなかった。


「いえ、どんな待遇を良くしてくださったとしても、私の気持ちが変わることはありません」


 きっぱりと、リーチェはそう言った。

 マルクはすがりつくような眼差しで、彼女を見つめる。


「……なぜだ? せめて理由を教えてくれ」


「り、理由……ですか」


 さすがに正直に言う訳にはいかない。

 マルクは王子だ。あなたのそばにいたくないからです、と言うのは、たとえ事実でも不敬にもほどがあった。

 リーチェが困り果てて目を泳がせると、隣にいたハーベルが彼女の肩を手のひらで包んだ。

 ハーベルの温かい眼差しを見て、リーチェは戸惑う。


(え? なに?)


「こうなったら、もうマルクに伝えてしまっても良いだろう?」


「え……? 何のことですか?」


 困惑しているリーチェをよそに、ハーベルはマルクに向かって告げた。


「今はまだ内密に進めているところだが……俺とリーチェの間には婚約話が進められている」


「「は?」」


 リーチェとマルクの声が重なった。


(え? 初耳なんですけど)


 彼女はハーベルを凝視した。

 その視線を受けて、ハーベルは照れくさそうに咳払いする。


「すでに父王には許可を頂いている。今はロジェスチーヌ伯爵の返事を待っているところだ。了承されれば、晴れて我々は正式に婚約者となる。リーチェ、待たせてすまないな」


 どうして、そんな話が……と思ったが、リーチェはハーベルの言動を振り返って、ようやく合点がいった。


(まさかパーティの時の態度が原因で、彼を誤解させてしまったの……!?)

 

 思い返してみれば、リーチェの言い方は思わせぶりだった気もする。友達になりたいという意味で伝えた言葉だったが、ハーベルは男女の意味で捉えられてしまったのだ。


「ハーベル様……本気で私と婚約を?」


 呆然として聞いたリーチェに、ハーベルは『何をいまさら』と言いたげに首を傾げている。


「そうだが?」


「なっ、嘘だろ……」


 マルクも目を白黒している。


「そういう訳だ。俺は彼女が魔法士団にいたければそれで構わなかったが、彼女の意思を無視するお前のやり方は許せない」


 ハーベルはそう言った。

 マルクは血の気の失せた顔で、うつむいている。

 長い沈黙が落ちて、マルクは絞り出すように言った。


「ハーベル、お前は昔からまったく恋愛なんて興味なかったじゃないか。それが婚約だと? 笑わせるなよ。父上がお前に婚約者をあてがおうとしても首を振るばかりだったくせに……。なぜ突然、よりによってリーチェなんだ」


 ハーベルは肩をすくめる。


「別に唐突に決めた訳じゃない。昔から俺は彼女に好意を抱いていた」


「えぇっ!?」


 その言葉にリーチェは仰天した。

 ハーベルはきまり悪げにリーチェから目を逸して、赤くなった首を掻く。


「……それについては後で話すよ」


 いきなりハーベルから想いを告げられて、リーチェの頬に赤みが差す。

 伝えられた言葉が不快ではない。むしろ嬉しく感じ、戸惑いと混乱が押し寄せてくる。


「僕は認めないぞ……父上に抗議する!」


 そう怒鳴って立ち去ろうとするマルクの背中に、ハーベルは冷たく言った。


「陛下に訴えてどうなるんだ? すでに婚約は陛下の了承を得ていることだぞ」


 マルクの動きがピタリと止まり、こちらを振り返った。


「……ならば、僕もリーチェに求婚しよう」


「は?」


 リーチェは目が点になった。


「どちらがリーチェにふさわしいかは、周りが判断するだろうさ」


 そう吐き捨て、マルクは去って行った。

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