未来について

終わるんだけど

 「明日で終わりだよ。」そう言われた。何が終わりなのかわからない。私が終わりなのか、それとも世界が終わりなのか。世界の終わりにも、私の終わりにも興味は失くしていたので「明日で終わりだよ。」その言葉は何の影響力もなかった。今は3月2日の午後11時11分、「雛祭りが最後の日なんだな。」なんてことを考えながら、押し入れの雛人形達を思い出した。明日仕事から帰ったら飾ろうかな。終わりなら、もう少し早く教えてくれたら有給を取っていたのにと独り言ちる。少し本を読んでから、アラームを6時にセット。あと5時間55分眠れる。6時間以上は眠りたいなと思いながら、大体毎日これくらいの睡眠時間。

 あきらめている訳でもなく、希望を持てない訳でもなく、この世の中に落胆している訳でもなかったが、死と言うものを待ちわびていた。かといって自分から死に向かって行こうという気持ちもなく。それでいて生きていた。児童文学を読むように、聖書を読んだ。なにか拠り所が欲しかったのだろう。107歳で逝去した祖母からみればまだまだ若いが、もう若いと言える年でもなく。このような年齢になったから、今のような心境になったんだろうとも思える。お金には困ってはいないが、メガネを踏みつけて修復しようがなく、娘が以前使っていた眼鏡をかけて、差し支えないのでそのまま使っている位の裕福さである。それでいて懲りもせず、眼鏡をかけたまま布団に入り、眼鏡ケースに仕舞わずに枕元に眼鏡を置いて眠る。

 

3月3日午前6時スマホのアラームが鳴る。

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