第五幕 気まずい空気
翌日、俺は昨日と同じ場所で物乞いの仕事をしていた。
薄汚れた全身にボロを着て貧民街の地べたに座り、誰かが前を通りがかれば声をかけて小銭をせびる。会話をしている連中がいれば聞き耳を立てて情報を収集する。やることはいつもと変わらない。
だが、今日は人通りそのものがなぜか少なくて、暇をもてあましていたのだった。
たまに誰かが通っても、それはこの地域の住民ばかり。お恵みをくれそうな旅人や冒険者の姿は皆無と言っていい。当然、人がいないから情報収集だって出来るわけがない。
「っと、誰か来たみたいだな……」
そんな中、久しぶりに路地の向こう側に人影が現れた。
どうやら人数はひとりで、身なりはきれいな感じ。こちらへ向かってゆっくり歩み寄ってきている。次第にその姿がハッキリと見えるようになってきて――
「なっ!?」
俺はそいつの顔を認識した瞬間、目を疑った。なぜならそれは見覚えのある男だったからだ。
ヤツは凛とした顔つきで周囲の様子を観察しながら歩いている。そしてたまに立ち止まり、メモ帳に何かを記している。そこには昨晩ののほほんとした雰囲気は感じられない。
――その男はビッテル。なぜ交易商人であるアイツが貧民街へやってきたのだろうか?
この地域に貿易をおこなっているような商店はないし、取引対象になるような物品も生産されていない。
となると、考えられるのは人身売買。まさかビッテルは奴隷を扱う商人なのか……?
いずれにしても俺の正体がバレると話がややこしくなる。だから全身の力を抜いてダラリとすると、こうべを垂れて動きを極力抑えることにする。そうやって生気のない姿を見せることで、ビッテルの意識がこちらに向かないようにするのだ。
しかもこれなら景色と同化するし、目が合うこともない。
やがてビッテルは俺の目の前までやってくる。あの歩くスピードを考えれば、通り過ぎるまでほんの数秒。さっさとどこかへ行けと心の中で念じつつ、気配を押し殺してひたすら待つ。
今の俺にはこの一秒間が実際の数十倍くらいに長く感じる――。
「あれ? もしかしてあなたはバラスト?」
「っ!?」
あとちょっとで通り過ぎるというところでビッテルは足を止め、声をかけてきた。
しかも薄汚い衣装や付けヒゲといった変装をして完璧に物乞いを演じているのに、迷うことなく一発で俺だと見破っている。
なんでバレたんだ? 俺は驚いて心臓が止まりそうになってしまった。思わず表に出てしまいそうになる動揺を、必死に内に押し込めて耐える。
「バラスト……物乞い……だったのですか……?」
眉を曇らせ、戸惑ったような声を出すビッテル。ジッとこちらを見下ろしたまま、俺の反応を待っている。
このまま沈黙を貫いていても、この状態は永遠に続きそうな感じがする――。
だから俺は声と話し方を変えた上で仕方なく返事をすることにする。
「ど、どなたかと……勘違い……なさっておいででは……?」
「そんなわけ、ありません! 間違いなく、あなたはバラストですっ!!」
「…………」
自信満々に即答するビッテルを見て、俺は何も言えなくなってしまった。
どうしてあそこまでハッキリと俺だと言い切れるんだろう? 付き合いが長いのならまだしも、俺たちは昨夜出会ったばかり。
確かに俺と意気投合したって思い込んでるみたいだし、強く印象に残っているのかもしれない。でも今は変装をしていて、レストランにいた時とは似ても似つかない姿なのだが……。
「……そうでしたか、バラストはこのような生活をなさっていたのですね。でもご安心ください。僕とバラストの絆は変わりませんから。もし生活に困っているなら喜んで相談に乗ります。だって僕たちは友達ですもんね」
「うるせぇ。余計なお節介なんだよ。早くどっかへ行け。仕事の邪魔だ」
俺は憎しみを込めた瞳でヤツを睨み付けながら、ドスの利いた声で拒絶の意思を示した。
この状態じゃどうせ正体を誤魔化しきれない。それにもう『バラスト』を演じる意味もない。だから素の姿を見せることにしたのだ。
なにより、上っ面の建前ばかりを口走るビッテルに、俺のイライラは頂点に達している。
ビッテルは一瞬、目を丸くしたまま呆然としていた。そのあと、悲しげな顔をしてから微苦笑を浮かべる。
「分かりました。では、今回はこれで失礼します。また近いうちに一緒に食事をしましょう。それとこれは少ないですけど――」
そう言うとビッテルはポケットの中から銀貨一枚を取り出し、両手で俺の右手を優しく包み込むようにしながら握らせてきた。
小さくて子猫の体のように柔らかいビッテルの両手。その温かな感触が強く俺の記憶に刻まれる。
「おや? バラスト、足に擦り傷が。すぐに治療を――」
その時、ビッテルは俺の膝に付いている傷に目を留めると、そこへ向かって手を伸ばそうとする。ほとほとお節介な野郎だ。気に食わない。
ゆえに俺はすかさずその手を叩いて弾き、ヤツを強く睨み付ける。
その場に響く乾いた音――。
すると一瞬、目を丸くしていたビッテルだったが、すぐにこちらに向かって無垢な微笑みを向けてからゆっくりと去っていったのだった。
眉をひそめるとか腹を立てるとか、そういう素振りは微塵も見せないままに……。
「――くそっ! なんなんだよ、アイツっ? こっちの調子が狂うっての……」
俺の心は大きく乱れたままで、冷静になろうとしてもイライラが収まらない。
商人なんて信用できるもんか。純真そうな顔をしていたとしても、腹の中では何を考えているか分からない。きっと邪な思惑があって、俺を懐柔しようとしているに決まっている。
絶対……そうに決まっている……。
(つづく……)
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