第三幕 微笑んでいてほしい


 ルナと別れてから数十分後、俺は東街区の片隅にあるギルドへ到着した。


 建物の一階部分は大衆酒場、その奥にある隠し階段を降りた先の地下がギルドの本部となっている。なお、酒場はギルドの存在をカモフラージュする目的でギルドのメンバーが経営していて、その売上も重要な資金源のひとつとなっている。


 もっとも、同業者や自警団、冒険者ギルド、商人ギルド、政治家などの利害関係者はもちろん、近所の住民はここに盗賊ギルドがあるって知ってるけどな。


「お疲れ様でした、バラッタ兄貴」


「おうっ、お疲れさん」


 俺は薄暗く狭い通路ですれ違ったセインと挨拶を交わした。


 年齢はヤツの方が三つ上だが、ギルドに入ったのは半年前なのでキャリアとしては俺の方が先輩。だから兄貴なんて呼ばれている。ここに来る前は冒険者ギルドに所属する剣士だったらしい。


 その通路を抜けた先は、休憩や打ち合わせなどで使用している広いフリースペースとなっている。テーブルや椅子などが雑多に置かれ、誰でも自由に利用可能。そこにいた連中とも顔を合わせるたび、軽く言葉を交わす。みんなもそれぞれの仕事を終え、戻ってきているようだ。


 そしてここの隅に設置されているソファーには、先に戻っていたルナが腰掛けている。虫の居所が悪そうな顔をしているせいか、とばっちりを食うまいとその一角だけは誰も近寄ろうとしない。触らぬ神に祟りなしってヤツだ。



 まったく、これじゃみんなの気が休まらないっての……。



 よく分からないが、原因の一端が俺にあるっぽいのでこのまま放っておくワケにもいかない。


 ゆえに俺がルナのところへ歩み寄っていくと、彼女は視線だけをチラリとこちらへ向ける。だが、表情を変えることなくすぐにそっぽを向いてしまう。


「ルナ、お疲れさん」


「…………」


 すっかりヘソを曲げているのか、声をかけても返事はなかった。依然として頬も膨らんだまま。これでは態度を軟化させることは出来ないようにも見える。


 でも俺にはそれが不可能だとは思えない。だってもし他者とのやり取りを拒絶しているなら、さっさと食事へ出かけるなり自分の部屋に戻るなりしているはずだから。


 しかもお頭の部屋へ向かう場合、位置的にここは絶対に通らなければならない場所。つまり仕事を終えた俺が通ることは分かっているワケで……。


 俺は大きく息をつきながら肩を落とし、苦笑いを浮かべる。


「今からお頭のところへ行って、今日の業務報告と上がりを収めてくる。そのあと、一緒に晩飯を食いに行かないか? 奢るからさ」


「……うるさい。そんなことであたしのご機嫌が取れるとでも思ってるの?」


「あー、そうそう。そういえば、先週だかに港のそばに新しくオープンしたっていうレストラン。お前、行きたいって言ってただろ? そこに行こうぜ」


「……え? えぇっ!?」


 突然、ルナは大声を上げながら立ち上がり、こちらへ振り向いた。そして目を白黒させながら呆然としている。


「なんでそんなに驚いてるんだよ? 自分で話していたことだろ?」


「そ、それはそうなんだけど、それって取り留めのない世間話の中でボソッと漏らしたことだったから。まさか覚えてたなんて思ってなくて……」


「バーカ、ちゃんと覚えてるよ。すごく行きたそうに話していたこともな」


「あ……」


 ルナは頬を赤らめつつ、花が咲いたような顔になって嬉しそうにしている。






 ――やっぱりプライベートな時くらいは、なるべく微笑んでいてほしい。



 盗賊なんて商売をしていると、見たくないものを見ることも多い。血や暴力といった直接的なものから人間のドロドロとした内面の影まで、あらゆる負の部分に触れることになる。だからどうしても心身が疲労して、こちらの表情までおのずと曇っていく。


 そうやって笑顔は遠ざかっていき、いつかは笑い方さえ忘れてしまうのだ。だから今は、仕事の時以外はルナに笑っていてほしいって思うんだ。


「ルナ、どうする? 行くんだろ?」


「で、でもそのお店、ディナーだといい値段するよ? バラッタ、懐具合は大丈夫なの?」


「任せておけ。たまにはいい店でうまい飯を食って、バカな話でもしようぜ。だから機嫌直せ」


「しょうがないなっ♪ それで手を打ってあげるっ! ふふっ」


 ルナはすっかり上機嫌だった。俺の腕に抱きついてきて、嬉しそうにピョンピョンと跳ねている。そのたびに髪や香水の心地よい香りが漂い、腕には温かな体温と肌の感触が伝わってくる。


 それらを意識した瞬間、俺はなぜか胸の鼓動が高鳴って、顔がどんどん熱くなってくるのをハッキリ感じたのだった。風邪をひいたわけでもないのに変だな……。







 俺はルナと食事の約束をしたあと、フリースペースのさらに奥にあるお頭の部屋へ向かった。


 ここは出入りが激しいこともあって、部屋のドアは常に開け放たれたまま。そこを進むと、目の前には今にも崩れてきそうなくらい高々と積み上げられた本や書類の山がそびえ立っている。


 この付近はあまり掃除をしていないのか、少しホコリっぽい。その隙間を抜けてさらに奥へ行くと、多少は整頓された空間が広がる。


 そこに並べられた机では、お頭や補佐役のノインさんとカレットさんが書類に目を通したり判子を押したり、カネの勘定をしたりといった事務作業をしている。


 ちなみに三人とも普段はギルドの管理や運営に関する仕事をメインにやっているが、難しい案件では依然として自ら現場に出ている。当然、盗賊シーフ技能スキルは俺なんか足下へも寄りつけないレベル。


 要するに、今も第一線で活躍している超一流の盗賊でもあるわけだ。


「……ん? おぅ、バラッタか。今日はどんな調子だった?」


 俺の姿を確認したお頭は手を止め、顔を上げてこちらへ向けた。


 白髪や深く刻まれたシワが、揺らめくランプの炎によって際立って見える。そのせいか、実年齢よりも十歳くらいは上のように感じられる。


「大したネタはないな。カネの集まりも普通だ」


 俺は懐の中に収めていた布袋を取り出し、机の上に置いた。この袋には物乞いの時に集めたカネの全てが入っている。


 当たり前の話だが、内緒で中身の一部を抜き取るようなことはしていない。なぜならそれはギルドやお頭、メンバーのみんなに対する裏切り行為になるからだ。


 分け前ならギルドからきちんと受け取っているし、もしどうしてもカネが必要になったならお頭やみんなに相談すればいいだけのこと――。


 他者を出し抜き、自分だけが豊かに暮らせればいいなんて思ってる商人どもと同類にはなりたくない。


 あいつらは孤児院のみんなや俺をモノのように扱い、奴隷として鉱山へ売りやがった。最低の人種だ。商人なんてみんな滅びてしまえばいいのに……。


「物乞いの仕事はどうだ? もし退屈なら冒険者ギルドから回ってきている仕事に変更してやってもいいぞ?」


「遠慮しておく。どうせダンジョンのトラップ外しばっかりやらされるんだろ? そんなのもっと退屈だからな。しかもお宝を見つけても分け前は微々たるものらしいじゃん。もっとも、お頭がやれって言うんなら、どんな仕事でも全力でやるけどよ」


「はははっ! そこまでは強制しねぇさっ! ま、お前の盗賊技能レベルなら、いずれ大きな仕事が回ってくる。気長に待て」


「だといいんだがな……」


 俺は小さくため息をつくと、お頭の部屋をあとにしたのだった。



(つづく……)

 

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