鬼神の迷宮踏破記録 (自主企画・オルタナティブ)

ソルト

プロローグ


「はぁ、はあっ!……ぜぇ…クソがよ」


 荒い呼吸を繰り返し、褐色肌の青年は燃え広がる焦土の只中で悪態を吐く。

 彼こそは妖精にして魔性へと堕ちた妖魔。持ち前の能力を活かして生み出した刀剣の数々は砕け破片を散らばせて、無残にも刃としての死に様をそこかしこで晒していた。

「ハッ。まァそう気落ちすんな。この俺に三撃と見舞える野郎はそういねェ。誇れよ」

 十数メートル置いて対面する巨漢の男は、そう言って上機嫌に大きな瓢箪を傾げて中身の酒を呷る。

 ゆるく着付けた和装の右肩部分の布は焼け落ちていたが、そこから覗かせる隆々たる筋骨には火傷はおろか擦過のひとつも見受けられない。

 妖魔。かつてはその手で加工した刃の一振りを以て魔神すら降した男の全力を三度、その身に受けておきながらその態度。

 苛立ち、尖った犬歯が唇を穿ち口の端から数滴の赤い雫が滴り落ちる。

 敵にではなく、敵を討てなかった自分の弱さに憎しみが湧く。

「クソ。クソが。やっぱテメェは本物オリジナルの安綱じゃなきゃれねぇか」

「だろうなァ。でなきゃ、毒の酒でも振舞ってみせろ。神気の法術で簀巻きにすりゃ、首も骨も断てるかもしれんぜ」

 一際大きく舌打ちを鳴らし、妖魔―――アルは折れた利き腕を振って白旗の代わりとした。




     ーーーーー


「マジでぶっ殺してーわ。なんで〝天貫神槍グングニル〟喰らっといて死なねんだよテメェ」

「カッカッ。北欧きたの棒っきれなんぞに負けてたら極東やまとの名折れだろうが。伊達に鬼神と呼ばれちゃいねェよ」


 折れた腕も割れた額も、受けた全ての傷を止血こそすれ、それ以上の処置をしないままで倒木に座りこむアルは子供のように歯をギリギリと噛みしめて悔しさを露わにしている。

 名もなき山のその中腹。広大な面積の七割を焼野原にして、褐色肌を自らの血で濡らすアルは別の倒木にどっかりと腰を落とした巨漢を睨みつける。

 少しだけ傷んだ着流しをはだけさせ、上半身を露出させた大男は呵々と大笑してまたも瓢箪を傾ける。

「アル、お前はもうちょい自分への評価を上げとけ。あと俺を侮りすぎだ。ただの妖精崩れが鬼の神さん相手にここまで粘るなんざ、天が驚き地が動くってなモンなんだがなァ」

 額に大きな一本角を生やすこの漢こそは猛者揃いの鬼性種の中でもさらに別格。大鬼と呼ばれるその最上格。

 人ではなく鬼からの信仰により神へと成った元・鬼の怪物。そして現・鬼の神。

 史上最大最強と謳われる大酒喰らいにして無数の鬼を束ねる大首魁。全ての鬼種の頭目。

 神話に依らぬ神格を宿す異例にして破格の神。天上に在らず地上に根を張る現人神。

 そんな傑物を相手に、半分悪魔と転じただけの人外が喰らいつけている時点で末代まで語られる大偉業には違いない。

 だが戦に狂う妖魔には響かない。英傑の世辞抜きの賞賛にも耳を貸さない。

 だからこそ鬼神は好む。自身と同じ、勝敗ではなく戦うことそのものに意味と意義を見出す戦馬鹿。戦闘狂。

 平和の二文字にうつつを抜かし呆け抜けたこの時代にあって貴重な存在である。

「ま、とっとと手当てしちまえよ。いい加減くたばるぞ」

「フン。……」

 一戦終え、鬼は酒を飲み妖魔は死なない程度に傷口を焼いて塞ぐ。

 そんな剣呑極まりない空気に心地よさを覚える両者が、同時。

「―――あ?」

「ほォ」

 まったく同時に反応を示す。妖魔は顰め面で、鬼神は意外そうに。

 突如焦土の向こう側から邪気と瘴気を振り撒いて、異空へ誘う漆黒の孔がぽっかりと口を開いた。

「…なんだ、こりゃ。鬼神サマよ」

「さァてな」

 短く返し立ち上がる鬼神の表情は綻んでいる。何かはわからないが、少なくとも戦のあとの余熱を冷ますまでの暇潰しにはなりそうだ、と。

「オイ待て。勝手に一番乗り決め込もうとしてんじゃねえぞ。こんな面白そう、な……も、ん」

 瀕死のアルが続けて立ち上がり大鬼の背中に食って掛かろうとした時だった。

 地面に吸い込まれるように体が頽れ横倒しになる。

「ぐ、が…!?おい、テメ…」

 強烈な重力に引かれているかの如く、指の一本までが動かすにぎこちない。

 死にかけのアルの身体が訴える警鐘、ではない。むしろこれは人為的な圧。

 神通力だか法力だかは知らないが、間違いなく鬼神の仕業に相違ない。

「クカカッ。引っ込んでろ死にたがり。いい子でお昼寝できてたら、あとで俺が土産話を聞かせてやっから」

「っ…ざ、けんなやクソ鬼!!待てテメェ卑怯モンが!ちょっマジで動かねえじゃねえかどうなってんだコレェ!!」

 喀血しながらも罵倒を重ねる背後の怒声にひらひらと片手を振って応じ、鬼神は躊躇いもなく黒色の門へと足を踏み入れた。


 

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