第七話〜⑧
「我々を侮辱するかっ!」
怒声が室内を揺るがした。
「貴様の家が強盗に入られた事は知っているっ。調査は手抜かり無く行った。その結果、犯人共の痕跡を見付けられなかっただけだ! 我々はコール家の事件を隠蔽などしていない。まして、それが誰かの指示などと……断じて無い!」
声を荒げたロイソンは肩で息をし、喰い縛った歯から怒気を噴き出していた。
その姿はまるで獅子のごとき迫力で、対峙していたのが自分一人だけなら恐怖で震えていたかもしれない。ここが『敵地』とは言え、周りにデュバリー達が居てくれた事がとても心強かった。
エリザベスはにっこりと笑った。
「そうですか。ロイソン中将が『誠実』な御方で安心しました。では、ついでに教えて下さい。マートン大尉の言う、『上』とは誰の事を指しているのか。中将は御存知なのでしょう? コール家の強盗事件と無関係ならば構いませんよね。それはそれ、これはこれですもの。治安維持軍は、トビアスにおける銃密輸の捜査を撹乱したその御方を、早急に取り調べなければなりません」
「馬鹿馬鹿しい……!」
ロイソンは吐き捨てる様に言った。
「軍団長閣下! この令嬢は小説の読み過ぎか妄想癖がお有りの様だ! 私としては捜査に差し障りがある為、これ以上の問答は遠慮したい! 職務があるので、これで失礼する!」
そうして身を翻したロイソンが最後に睨み付けたのは、エリザベスではなくローフォークだった。
燃える様な瞳で黒髪の下の濃紺の瞳を一瞥し、部下達を引き連れて応接室から出て行ってしまった。
腹立ちを隠さない足音が次第に遠退いて行くのに比例して、エリザベスは手足が徐々に冷えてゆく感覚を覚えていた。
「コール准尉。ご苦労だった」
デュバリーが声を掛けてくれたが、返事が出来なかった。
手が細かく震えて、全身を金縛りに似た強張りが襲っていた。ジェズが慌てて長椅子を回り込み、エリザベスの震える手を握った瞬間、強張りが解けて嫌な汗が噴き出した。
「こ、怖かったぁ」
「ロイソン中将は元海軍の師団長だ。サン=セゴレーヌ海峡で幾度もコルキスタとの小競り合いを指揮した猛将だったからな。今でもその迫力は衰えてはいないようだ。何にしても良くやった。頑張ったな」
デュバリーが表情を柔らげてエリザベスを褒めた。
「あんなので良かったのでしょうか。ロイソン中将は酷くお怒りでしたが」
「心配無い。寧ろ充分過ぎる程自尊心を煽られただろう。彼は昔から自分の地位に強い拘りを持っていた。公爵に連絡を取るか、マートン大尉を密かに処分するか。彼にとって切迫したこの状況から、何かしらの動きを起こさざるを得まい」
「そう、ですか」
精神的な重圧から解放されて、一気に疲労感が溢れ出た。
脂汗と共に身体も溶けて、長椅子から床に流れ落ちそうなくらいクタクタになっていた。
「閣下」
不意に、ローフォークがデュバリーに声を掛けた。
デュバリーは一瞥すると頷き、ローフォークは浅く一礼をして応接室を出て行った。
ローフォークはこれから暫し、単独行動を取る事になる。
デュバリーのトビアス訪問には、シュトルーヴェ伯爵の意思が働いていた。
密輸に公爵が直接関与しているかは定かでは無いが、この事件を利用して公爵の派閥がシュトルーヴェ伯爵の失脚を目論んだのは事実だ。
様々な要因から公爵を劣勢に導く流れが整いつつあるこの状況を逃す道理は無く、数々の悪事の決定的な証拠を確保するつもりなのだ。
その中で、デュバリーを通してエリザベスに下された指令は、『ロイソンを煽り、追い詰める事』だった。
これはデュバリーにも可能だったが、部下や上官の前で小娘に問い詰められる方がロイソンの自尊心を傷付ける。
また、トビアス師団には、マートンやロイソンの他にも公爵の指示でビウスの事件に関わった人間が複数人いる。
デュバリーが訪問し、エリザベスが問い詰める事で、彼等も何かしらの行動を起こす可能性があった。そんな彼等の動向と情報収集がローフォークに課せられた任務の一つだったのだ。
ローフォークが去った応接室の扉を、エリザベスは見詰めた。
エリザベスの胸の内には、どう表現して良いのか分からない、複雑な感情が渦巻いていた。
* *
ローフォークは陽の差さない北側の廊下を、誰に咎められる事も無く歩いていた。
トビアスは約百年前まで南部の王国サウスゼンの国領だったが、戦争で勝利したグルンステインがその一部を勝ち取った。
第十師団の本部はその戦闘の舞台となった古い城塞を改築している為、全体的に石造りの内壁が剥き出しで窓も小さく、陰気で陰鬱な印象がある。
人気の無い廊下の先の角を曲がると、そこに目的の人物はいた。
「……ローフォーク」
忌々しげに呻りながら、ロイソンはローフォークを睨んだ。
周囲に人の気配は無い。側近も伴わず、待っていたようだ。
「これはどういうことだ。マートンは確かに宰相殿の指示だと言ったのだぞ。中央はどうなっている。グラッブベルグ公爵は何を考えているのだ」
矢継ぎ早に問い質すロイソンに、ローフォークが向ける目は冷たい。
「あんたがさっきデュバリーに言った通りだ。マートンはグラッブベルグ公爵の命令と偽って容疑者を壊した。これに公爵の意図は反映されていない。寧ろ、今回のトビアスの一件を公爵は腹立たしげに見ている。
そもそも考えずとも分かるだろう。脛に傷を持つのは一体どっちだ? コール家が騒ぎの中心にいれば過去の事件がほじくり返されるのは必然だ。人の口に戸を立てられるとでも思っているのか? 武器がコール家の積荷から出てきた時点で、腹を括るべきだったな。あんたは初動を間違えた」
「貴様が言うのか……!」
ロイソンが激昂を必死に抑え込んでいるのが分かった。
ローフォークは濃紺の瞳を細めて笑った。
春から始まった密輸事件は、時間の経過と共にじわじわと拡大を続けている。僅か一丁といえど、トビアスで起こった事態を重く見たフィリップ十四世は、シュトルーヴェ軍務大臣に治安維持軍各師団へ情報共有の徹底と取り締まりの強化を指示するよう命じた。
ビウスに於けるコール家の強盗事件を知っている国王は、今回の密輸にコール家が関わっている事を偶然とは考えていないようだ。
それがコール家を疑っての事なのか、コール家が一方的に巻き込まれたと判断しての事なのか判別は付かないが、シュトルーヴェ伯爵に何かしらの沙汰を下していない以上、巻き込まれただけと考えていると判断するのが妥当だろう。
軍務大臣の意向を受けて、マートンとロイソン、第三七連隊の連隊長は、王宮庭園の治安維持軍総本部に向かう事が決まっていた。
マートンに至っては拘束状態での移動になるので、実質的に連行だ。
「軍本部での事情聴取には国王陛下も同席なさるそうだ。公爵閣下はその場でマートンが有る事無い事、余計な御喋りをする事を懸念している。閣下の意図はともかく、伯爵に無駄な喧嘩を吹っ掛けたのはこちらの派閥である事に違いは無い。息子のフランツ・シュトルーヴェが漏らした話では、さすがの伯爵も堪忍袋の緒が切れたそうだ。マートンに減刑を持ちかけ、公爵の過去の犯罪も洗いざらい喋らせる気でいる」
ロイソンは蒼白な顔で眉間に皺を集めた。
「どうすべきか、分かっているだろう?」
耳元に顔を寄せ、ローフォークは囁いた。
「俺とあんたは所詮は同じ穴の貉だ。共にあの事件で王宮庭園には居られなくなった。どういう訳か、処分は全く違ったがな」
自嘲気味にローフォークの口端が上がった。
「選択を誤るな。その判断しだいでグラッブベルグ公爵に敵は居なくなる。俺は……」
ロイソンはローフォークの瞳が怒りに輝くのを見た。
「父を侮辱した奴等を断じて許さない……!」
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