第七話〜⑥

 ただ、グラッブベルグ公爵はその政治手腕と出世物語で、国民には絶大な人気があるのは間違い無かった。


 先刻の貴族達がそうであった様に、今でもシャルル達王族の目の届かない場所で、お互いへの鞘当てが行われ続けているのかと思うと気が滅入る。

「……」


 二人が対立を始めたのはいつからだっただろうか。

 気が付いた時には、公爵は伯爵に対して既に警戒心を示していた。それに気が付いた者達が、自然と彼等の周囲に集まって派閥を作った感じだ。

 それは伯爵が第一連隊長として王宮庭園の部隊を統括する様になってからだったか。多くの功績を挙げ、瞬く間に軍務大臣にのしあがってからなのか。

 そもそも、伯爵は何故、出世を約束された陸軍から治安維持軍への転属を望んだのだろうか。


 シャルルの脳裏に、かつての近衛連隊長の姿が思い出された。

 同時に、灯りの乏しい部屋で罵声が飛び交う中、自分と妹に覆い被さって耐え続けた大きな身体も……。


「……か、殿下」

 突然、歩みを遮られ、シャルルはびくりと背筋を伸ばした。


 いつの間にか目の前には小宮殿の柱がある。また考えに耽って進行方向の確認を怠っていたらしい。

 シャルルは照れながら侍従達に感謝を告げた。


 その時、女性が一人、小走りでこちらへ向かって来るのが見えた。

 護衛はシャルルと女性の間に立ち、侍従は小宮殿内へシャルルを促した。だが、シャルルは侍従と護衛を制し、女性と向き合った。


 息を切らして目の前に立ち止まったのは、先程の男爵家の令嬢だった。

 令嬢は美しい所作で深々と御辞儀をし、シャルルを見上げた。

「下級の者が殿下へ声を掛ける無礼を御許し下さい。どうしても、先刻の父の非礼をお詫びしたく参りました」


「貴女が謝る事ではありません。貴女は御父君の発言を必死で否定していたでしょう? もしかして、伯爵令嬢とお話しした事があるのではありませんか?」

「は、はい。以前、夜会でお酒の入った殿方に揶揄われていたところを助けて頂きました。ドレスもワインで汚されてしまって、ただ恐怖で泣くばかりの私を慰めて、ワインの染みが分からない様にドレスの工夫もして頂きました。アレクシア様は私の恩人なので御座います」


 令嬢の身体は震えていた。

 彼女にとってシャルルは雲上人も同然だ。ただでさえ、公の場で下位の者が上位の者に声を掛けてはならないという礼を失している。

 いつ制裁を下されても非難は出来ない。


 だが、令嬢はくっと顔を上げて真っ直ぐにシャルルを見据えた。

「父の言う事は全て出鱈目です。私は伯爵夫妻の事も被後見人の二人の事も存じ上げません。ですが、アレクシア様は断じて父の言うような見栄っ張りでも傲慢な方でもありません。誰に対しても公平で親切で情が深く、機知に富んだ素晴らしい方ですわ。国軍競技会の時も、あの方がエリザベス嬢を悪漢から身を挺して守ろうとしていたのを多くの人と共に確かに見ましたもの。そんな方を育てられた御家族が、父の言うような方々の筈がありません。どうか、どうか父の言葉を信じないで下さいまし」

 令嬢は再び深く深く頭を下げた。


 シャルルは侍従と顔を見合わせた。

「安心して下さい。ちゃんと分かっていますよ。さ、面をあげて」

 令嬢の手を取り顔を上げさせると、シャルルは微笑んだ。


「私はシュトルーヴェ伯爵家を信じています。彼等は皆素晴らしい人格者ばかりですよ。噂なんてものは美談よりも醜聞の方が蔓延しやすいものです。そして、それを鵜呑みにして不当な対応を取る事を、国王陛下はなさいません。私達を信じて下さい。今、国内を騒がせている様々な事象は必ず解決します。軍務大臣がきっと平穏を取り戻してくれますよ。だからどうか、泣かないで」

 令嬢の目元に溜まった涙がはらはらと頬を伝い落ちた。


 怯えではなく、今度は安堵に身体を震わせる令嬢に、シャルルはハンカチを渡した。

「涙を拭いて。なんだか私が泣かせてしまったみたいだ」

「も、申し訳御座いません」


「さあ、そろそろ戻った方がいい。いくら王宮とは言え、貴族の令嬢が付き添いも無く歩くのは不用心です。私の警護の者を一人お付けしましょう。何と言って離れて来たのですか?」

「落とし物をしたと」

「では、その落とし物を探している途中で、私と出会って送ってもらったという事にしましょう。そうすれば、貴女は御父君に叱られなくて済むでしょう」


 令嬢の父親が、女性を蔑視する傾向のある人間ではないかと、シャルルは感じていた。このまま令嬢を一人で戻してしまえば、先程の怯え方といい、彼女は父親から陰湿な叱責を受けるのではないかと気掛かりだった。

 だが、シャルルと直に会話をする機会を得たと知れば、父親の機嫌が悪くなる事はないだろう。

 令嬢もシャルルの考えを察したのか、感謝を述べて御辞儀をした。


 数分後、王太子シャルルはシュトルーヴェ伯爵、スティックニー侯爵両夫妻のもとへ赴いていた。

 両家の縁組を祝い、二人の大臣とその妻達は感謝の意を示す。


 暫しの談笑の後、シャルルはそっとシュトルーヴェ伯爵に先刻のやり取りを話して謝罪した。

 伯爵は「うら若い女性の一助になれたのならば」と許してくれたが、

「ところで、お貸ししたハンカチはどうやって返して頂くおつもりですか?」

 そう問われたシャルルのきょとんとした顔には苦笑いだった。


 令嬢が誠実な人物である事は、伯爵も充分理解出来た様だ。ハンカチは、確かに綺麗に洗濯され、アイロンを掛けられて返されるだろう。


 だが、父親を介さずにハンカチを返すのは、令嬢にとって容易ではないはずだ。しかし、男爵令嬢は家の誰にも話さないだろう。知られてしまえば最後、男爵は有る事無い事吹聴し、娘を王太子の恋人か愛人に仕立てようとするに決まっているからだ。


 じきに異国から花嫁がやって来ようという時に、それは拙い。

 伯爵の指摘にシャルルは絶句した。


「殿下さえ宜しければ、私共にお任せ頂けますか?」

「何か妙案が?」

「ええ。ですが、少々お時間を頂きたく……」

「分かりました。貴方を頼らせていただきます」

 縋る思いでシャルルは伯爵に事態の解決を委ねた。


 それから二週間程して、シュトルーヴェ伯爵家で茶会が開かれたと報告を受けた。茶会を取り仕切ったのは、ビウスから戻った伯爵令嬢とエリザベス嬢だ。

 トビアスで起こった騒動を乗り越え、エリザベスは無事に王宮庭園へと戻ってきた。


 トビアスでの出来事はシャルルを苦しませ、グルンステイン王国の中枢を激震させる大事件へと発展した。その陰謀に巻き込まれて尚、エリザベスは誰を恨むでもなく、逞しく前を向いて笑顔を見せたと、茶会に参加した高位貴族の令嬢が感動して教えてくれた。


 支援への感謝という事で、茶会は多くの令嬢達を招いた規模の大きなものだったと言う。その茶会には件の男爵令嬢も招待されていて、間も無くハンカチは伯爵を通してシャルルの下へと戻ってきた。

 その際の、口頭での感謝の言葉は、シャルルと接した証拠を残さぬようにとの配慮からだろう。


 臆病で泣き虫の令嬢の勇気と、理不尽な渦に立ち向かうエリザベスの強い心に、シャルルは少しだけ救われた気がしたのであった。



     *   *



 王宮小宮殿での園遊会から僅かに遡り、グルンステイン王国南東の交易都市トビアスに、王都から治安維持軍団長オーギュスト・デュバリー大将の訪問があった。

 出迎えは不要との通達があったが、第十師団の本部では師団長を始め、各地の連隊長と大隊長達が最敬礼をもってデュバリーを出迎えた。


 エリザベスは事前の指令通り、第十師団の庁舎の一室でデュバリー達の到着を待った。

 デュバリーとの面談の場として用意された部屋はけして広くはない。

 だが、高位の人物の応接を目的としている為に、内装は華やかに整えられている。


 エリザベスの傍に控えていたのは、ジェズとローフォーク、そしてシュトルーヴェ家の顧問弁護士の三人だ。


 トゥールムーシュはトビアスの治療院で、第一師団長ソレルと医師団の案内と護衛を行なっていた。そこにはエリザベスを心配して付いて来てくれたアリシアもいる。

 ドンフォンにはビウスに残ってもらっていた。

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