第六話〜⑥

 栗の実色の瞳が真っ直ぐにマートンを見据えた。


 マートンはにんまりと笑い、突如、机上に上半身を乗り出した。一気に距離が縮まり、すかさずジェズとドンフォンが二人の間に腕を挿し入れた。

 マートンの顔が十センチにも満たない距離まで接近していた。

「じゃあ、コール家が単独でやった事にしちゃって良い?」


「お断りしておきます。コール貿易商会も、王家と国家を裏切る商売はしておりません」

「分かんないよ〜。少し前までは大変だったんだろう? 小遣いが欲しかったのかもよ。それか、君みたいな小娘に偉そうに振る舞われるのが癪で、出来心で、なんて可能性もあるんじゃない?」

「私は父と違って商売の才能はありません。なので、私が代表者或いは社長に就く事を嫌だと思う者はいるかもしれません。父が亡くなった時、私は希望する者に私財から充分な退職金を出す事も提案しました。どうなるか分からない会社に義理で留まり苦労するよりも、次の就職先を早く探した方が良いと思えたからです。ですが、従業員は全員が継続して会社を立て直す事を選んでくれました。私は彼等を信じています」

 エリザベスはマートンの眼鏡越しに黒い瞳を見返した。


「じゃあ、良いよ。それで」

「え?」

 身を引いて雑に椅子に腰掛けたマートンは、不貞腐れたように言い放ち、背凭れに寄り掛かりながら調書をエリザベスに見せた。


「内容を確認して、間違っていなければ署名を。今日のところは一先ず終了だ。ほら、早く」

 一切の興味を無くしたかのような態度の急変に困惑したが、エリザベスは差し出された調書を手に取って目を通した。


 確認した限り、こちらの主張が誇張されていたり、紛らわしい言い回しで違う意味に取られるような書き方はされていない。

 弁護士にも確認してもらい、エリザベスは署名欄に署名をした。


「船長や事務長、従業員達との面会はいつ可能になるのでしょうか」

 取調室を出る時、エリザベスはマートンに訊ねた。

 分からない、が答えだ。


 マートンはあくまでも取調官であって、捜査方針を決める責任者ではない。

「それは連隊長か師団長の権利だ。とは言え、そう時間は掛からないと思うよ。どうせ、もう何も聞き出せないだろうから」

「どう言う意味ですか?」

「どう言う意味だと思う?」

 マートンの口端が引き上がり、三日月を形作った。

 その不吉な微笑みに寒気を覚えながらも、エリザベスは平静を装った。


 今日の取り調べにフランツは同席していない。

 第二連隊長として、第三七連隊の連隊長に『容疑者』との面会と尋問の機会を要求しているからだ。随分、時間が掛かっているが、きっとその権利を勝ち取ってくるとエリザベスは確信している。その為の材料もしっかり用意してきているのだ。


「まあ、すぐに会えるさ。我々はこれで失礼するよ。シュトルーヴェ中佐を待つなら一階の正面ホールで待っていると良い。何処へ行くにも大体あそこを通る事になるから、行き違いは起こらない」

 それだけ言い残して、マートンは記録官と共に立ち去った。


 ジェズ達が義務的な敬礼で彼等を見送る中、エリザベスはただ無言で遠去かる背中を眺めていた。

「エリザベス、大丈夫?」

 マートン達の姿が見えなくなると、ジェズが心配そうにエリザベスの顔を覗き込んだ。


「あの人、お母様を殺した人だわ」

 ジェズがぎくりと表情を強張らせた。その反応にエリザベスは小さな笑みを浮かべた。

「やっぱり、知っていたのね」

「ご、ごめん……」

「ジェズが謝る必要なんてないわ。お陰で頭が冷えたもの」

 言うべき事は言えた。だが、不安は大きくなるばかりだ。


「ドンフォン中尉、マートン大尉の尋問の仕方をどう思いましたか?」

「うん、そうだね。かなり手緩い印象を受けた。私としてはやる気を全く感じなかったかな」

「エリザベスが女の子だったからじゃあ……」

「それなら寧ろ大喜びで痛めつけてくる」

 ドンフォンの返しに、ジェズが嫌悪を丸出しにした顔で弁護士と視線を合わせた。


「一応、軍人としての立場も鑑みて自制はしていたと考えるのが妥当かな。君は今はただの女の子じゃない。シュトルーヴェ軍務大臣の関係者だからね。上からあまり厳しく問い詰めない様に言われていたのかもしれない」

 エリザベスは頷いた。


「ドンフォン中尉の言う通り、私もとても甘いと感じました。もし私から本気で何かしらの言動を引き出す気があったら、誰が白状したとか、こんな証拠が出てきたとか、高圧的な態度で、もっと私を追い詰めて混乱させるやり方だってあったはずです。ビウスの事件に関わるフランツ様の行動は、真相を知らない者の目には不自然でしかないのだもの。本当の事情を知っている私達は納得出来ても、そうでない人にしてみたら、ビウスの事件もフランツ様の行動も、銃の密輸も、第二連隊の功績も、簡単に撚り合わせて繋ぐ事が出来てしまうものだったんだわ。その上、私達は『本当の事を話せない』と言う『弱み』を抱えています。そこを突いて、もっと追い詰める事が出来た筈なんです。あの人なら、尚のこと」


 だからこそ、エリザベスは余計に不安だった。

 自分の証言なんか、始めから必要としていなかったと気付いてしまったから。


 ただの形式上の取り調べであり、彼等は王都で暮らす経営など理解していないであろう未成人の少女の言葉に、最初から重きを置いていなかった。

 時間を掛けるだけ無駄だと思われたのだ。

 それでも、何か引っ掛かる言葉を拾えれば幸運くらいの気持ちで、尋問は行われたのだろう。だが、エリザベスは都合良く混乱を起こさなかった。

 だから、さっさと切り上げた。


「私、従業員達はみんな、何も喋っていないのだと思う。もし誰か一人でも何か言っていたとしたら、いくら軍務大臣の関係者と言っても尋問の仕方はもっと厳しくなっていたと思うの」

「何も言うわけないだろ。法に触れる事をする人達じゃないのはエリザベスだって分かってるじゃないか」

「勿論よ。だから、面会させて貰えないんだわ」

「……どういう事?」


「エリザベス嬢の顔を見て、さらに口が固くなる。もしくはこちらが従業員達に入れ知恵をすることを恐れているのです」

 弁護士の言葉にドンフォンも頷いた。


「マートン大尉の言葉が気になるの。彼等から自分達の望む証言を得られないと、ここの幹部の方達は伯爵様の足元を掬う事は出来ないわ。きっと、尋問は厳しくなって行く。悔しいけど、物的証拠はあがっているのだもの」

 例え、これらを伯爵の失脚に結び付けることが出来なくとも、武器密輸の件だけでも成果は挙げたいだろう。トビアスの師団長は意地でも証言を得ようとするはずだ。第二連隊に手柄を持って行かれるのも嫌だろう。厳しい尋問はやがて拷問へと変化してゆく事になる。それでも何も喋ろうとしなければ……。

 不吉な予感を払う様に、頭を振ってきつく瞼を閉じた。


 ビウスの事件から何度も抱いた後悔で、また胸が苦しくなった。

 タンサン家からの縁談を受け入れなかったばかりに、また他者が巻き込まれてしまった。


 早く従業員達を解放したい。

 彼等はただ真面目に働いていただけだ。

 エリザベスの祈るような願いは、この日から二日後、漸く叶えられる事となった。

 ただし、許容し難い形を伴って。



     *   *



 王都を飛び出してから九日目。

 フランツは天井を見上げながら呆けていた。


 第二連隊の名義で貸し切った宿屋の一室には、第二陣としてやって来た十名の隊員の他、第三陣として新たに派遣されたトゥールムーシュ中佐と部下数名が、そんな様子のフランツを何とも言えない表情で見守っていた。

「……俺は、今回ほど自分の行いを恥じた事はない」


 よもや、五ヶ月前の自分の行動が、ここに来てこの様な状況を招く事になるとは想像もつかなかった。


 四日前に行われたエリザベスへの事情聴取の内容をドンフォン達から聞かされたフランツは、今回の一件がシュトルーヴェ家を狙った陰謀に利用された事を確信した。


 一報が入ってから可能性の一つである事は考慮していたが、ビウスの事件と密輸事件を絡めてくるとは想定していなかったのだ。


 思い返せば、自分の行動は確かにおかしい。

 新機構の銃の発見があった春先からの、この八ヶ月の一連の出来事は、ある意味で始めからシュトルーヴェ家を失脚させる為に用意された舞台の様にすら思えてくる。

 道端で起こった揉め事で、肩を突かれたシュトルーヴェ家がたまたま近くを通りかかったコール家にぶつかり、彼女達が自分達の代わりに道路に落ちて馬車に轢かれてしまったような、そんな言い表せない罪悪感を覚えた。

 

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