両両相俟って、手を携え合う
第47話
「蓬さんっ!!」
引き戸を開けて店に入った莉亜は、目の前のカウンター席で呆然とした顔で座っている蓬の姿を見つけた。小さく口を開けて、驚愕した顔をしているのは、莉亜が入って来ると思わなかったからだろうか。
「こんな時間にどうした? 店は開いていないぞ」
「今日は客としてではなく、
「無駄だ。俺は味覚を失っているのだ。慰めたい気持ちは分かるが、しばらく一人にしてくれないか……」
「駄目ですっ! 今じゃなきゃ駄目なんです……!」
「莉亜……」
莉亜の金切り声に驚いたのか切り火たちもぞろぞろと社から顔を出す。二人を心配してくれているのか、カウンターによじ登ろうとする切り火たちもいたのだった。
「蓬さんが消えてからじゃ意味がないんです。ようやくセイさんの味を見つけられたのに……」
「気持ちはありがたいが、本当にもう何も感じないのだ。あれから嗅覚も働かなくなった。もう匂いさえ何も感じられない。手足が動かなくなり、視覚と聴覚が機能しなくなるのも、時間の問題だろう……」
「だからって、セイさんを諦めてしまうんですか?」
「どの道、俺が消えればセイは解放される。無理に探す必要もない」
「それじゃあ、切り火ちゃんや雨降り小僧ちゃん、金魚さんたちは? 蓬さんを慕ってこの店に来ていた常連客たちはどこに行ったらいいんですか? 私にとってもここは大切な場所です。私だけじゃなく、他の常連客にとっても同じです。この場所が無くなったら行く当てがありません」
「他の場所で集まればいいだろう。店なんて探せばどこにでもある。そこを溜まり場にすればいい。弱いあやかしや神の力になりたがる店主もいるだろう」
「みんな、蓬さんが好きでここに来ているんです! 蓬さんがいなくなってしまったら、私たちもバラバラになってしまいます……。そんなことはセイさんも望んでいません」
「セイと会ったのか!? いつ、どこで!?」
弾かれたように立ち上がった蓬に今度は莉亜が一驚を喫する番だった。脅すように詰め寄られて、及び腰になる自分を叱咤する。
「ここに来るようになってから何度か会いました。いつも蓬さんの傍にいると……。でも蓬さんが力を取り戻して見つけてくれない限り、姿を現せないと言っていました。名前と身体のことは気にしなくていいから、早く昔の蓬さんに戻って欲しいと言っていました。自分のことは心配しなくていいからとも……」
「心配しなくていい訳があるか! おれがいる以上、アイツは霊魂として彷徨っているのだぞ! まだ近くにいるのなら、他の神やあやかしの手も借りればきっと見つけられ……」
「……いいかげんにしなさいっ!」
腹の底から出てきた莉亜の叫び声に、切り火たちまで意表を突かれたようだった。莉亜自身もまさかここまで大声が出るとは思っていなかったが、後に引けなくなってしまったので勢いのままに言葉を紡ぐ。
「いつまでもセイさんに囚われて、素直になれなかったことを後悔していないのっ!蓬さんにとってのセイさんはそんな存在なのっ!? セイさんは大切な友達なんでしょう!? こんな蓬さんの姿をセイさんが望んでいると思っているんですか!?」
「ああ、そうだ! セイは俺の一生の友だ。その友を苦しめているのなら、助けてやるのも友だろう!」
「だからって、セイさんを優先する余り、私たちのことはどうでもいいと思っているんですか!? みんな店主の蓬さんと蓬さんが作るおにぎりが好きで、ここに来ているんですよ! 蓬さんのことが好きだから切り火ちゃんたちだってお店を手伝ってくれるんですよ! セイさんが蓬さんの立場だったら、こんなことはしないと思います!」
「お前にセイの何が分かるっ!?」
「分かります。だって私も蓬さんの友達だから……。友達が間違っていることをしていたら、止めるのものでしょう……」
今にも泣きそうな気持ちを隠すように消え入るような声で訴えかければ、蓬は虚を突かれたのか表情を隠すように顔をキッチンに向けてしまう。そうして低い声で「悪かった」と謝罪を口にしたのだった。
「つい頭に血が昇ったようだ。どうにもセイのことになると冷静さを忘れてしまう」
「いえ。私も怒鳴ったりしてすみません……」
「セイのおむすびを再現してくれるのだろう。作ってくれないか。消える前に食ってみたいのだ。……思い出の味を」
「はい。キッチンをお借りしますね」
いつもの赤と黒のチェック柄のエプロンを身に付け、同じ柄のリボンで髪をポニーテールに結ぶと、莉亜は持参した食材と調味料を調理台に並べる。さすがにこれ以上荷物が重くなると、莉亜一人では運べなかったので、米や味噌などの食材と理器具はお店にあるものを利用させてもらうことにして、莉亜は米を研ぎ始める。気持ちを奮い立たせてどうにか調理を始めたものの緊張して喉は乾き、膝だけではなく米を洗う手まで震えていた。蓬の話からすると、残された時間はそう多くない。そして持ち込んだ食材にも限りがある。万が一にも作り間違えて、ここで食材を全て使い果たしてしまった場合、また数日かけて取り寄せたとして、それまで蓬が持つか分からない。セイは大丈夫だと言ってくれたが、いつまでもそうだとは限らない。莉亜の成功と蓬の消滅、どちらが先になるのか――失敗は許されない。
米揚げざるに移し替えて水気を切っていると、社から出ていた切り火たちが莉亜の元に集まってくる。言葉こそ発しないものの、皆一様に何かを訴えかけているようだった。それが何か聞かなくても莉亜には分かった。
(そうだよね。心配しているのは私だけじゃない。考えていることは、切り火ちゃんたちだってきっと同じ……)
自分だけじゃないと安心感が持てたからか、強張っていた身体から力が抜けた。その場でじっとして大きく息を吸う。切り火たちに目線を合わせるように、莉亜はその場に膝をつくと、ゆっくりと笑みを浮かべたのだった。
「切り火ちゃんたちも蓬さんが心配なんだよね」
素直に頷く者、斜に構えているのか蓬の方を向いている者、無反応の者。それぞれ反応は違っても、莉亜の元に集まった以上、蓬に対する想いは皆同じ。莉亜よりも長い時間、蓬の姿を見てきたのだから。こんなに心強い援軍はいない。
身も心も満たされたような気持ちとなって胸が詰まる。いつの間にか手足の震えは治まっていたのだった。
「蓬さんにセイさんが作ったおにぎりをもう一度食べさせてあげたいの。手伝ってくれる? 今、ドライフルーツを持って来るから……」
その言葉が合図になったのか、切り火たちは我先にと争うように竈に向かって走って行く。いつものように労働の対価としてドライフルーツを渡そうとしていた莉亜は呆気に取られてしまったものの、竈を指して火を点けるように急かしてくる切り火たちに感謝の気持ちで胸が熱くなったのだった。
そんな切り火たちに指示されるまま莉亜は棚からマッチ箱とマッチを持ち出すと竈に火を熾そうとするが、マッチが湿気っているのか、何本擦っても上手く火が点らなかった。その内に折れたマッチ棒の小さな山が出来上がり、あと数本でマッチ箱が空になるという時、後ろから「どけ」と声を掛けられたのだった。
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