第27話
「他人から見たおれというのは、こんな姿をしているのか……。興味深い」
「感心している場合かっ! キサマが名を与えて、我を縛ったからこうなったのだ! 今すぐ名も姿も返してやる。早く受け取るがいい!」
神が神名以外の名を与えられた時、それは名を与えた者か、名を与えられた地に束縛されることを意味する。その名前で呼ばれ続ける限り、神は名を与えられた者に従属しなければならない。力が強い神ならそう簡単に使役されないが、この地に祀られている神は長らく神饌を受け取らなかったことで力が弱まっていた。相手が赤子でも簡単に使役されていたかもしれない。
同様に神が生き物に名前を与えた時、神の遣いである神使として使役できる。唯一の例外は生まれた時に親兄弟などから名を付けられる人間だが、これも人間の真名を知った上で、神が他の名を与えてしまえば神使にすることは可能であった。
「そうは言っても、名も姿も忘れて神饌を食せないのだろう。力を取り戻して名と姿を思い出すまで使うといい。お前のことは従僕ではなく友と呼ぼう」
「当たり前だ! 人に支配される豊穣の神があってたまるものか! 神として一生の不覚だ!」
「高い地位につく神というのも大変だな。矜持が許さないのか」
「違うと言っているだろう! 馬鹿者が!!」
こうして話す声までセイに似ている。身長や体重、肩幅や洋服の大きさ、髪の長さから手足の指、爪や睫毛の長さまで。現人神としての自分の姿が分からなくなってしまうまでに、すっかりセイに染まってしまっている。その内、考え方や話し方までセイと同じになってしまいそうだ。
「その姿なら神饌を食せるだろう。時間は経ってしまったが、早く食うといい。友の蓬」
「……っ! 絶対に名と姿を返してやるからなっ!」
怒りで頬を朱に染めながら、神は本殿の前に供えられていた塩おにぎりを手に取る。セイが期待する眼差しを向けてくる中、大口を開けると齧り付いたのだった。
「どうだ? おれが握った塩むすびは?」
「……硬くて食べづらい。それから塩辛い」
神の姿で食した時より塩辛さと苦みを強く感じられるのは、人間であるセイを模したことで五感がより人間に近くなったからか。塩辛い口の中を清めようと、神酒が入っている竹筒を飲んだ時、何故か味噌の味がしたので反射的に吹き出してしまったのだった。
「なんだ!? この酒は!?」
「ああ。竹筒の中身は今日から味噌汁にした。塩むすびには清酒より味噌汁の方が合うからな」
「神酒は!?」
「安心しろ。味噌汁の中に入っている。気化しないようにお前のは仕上げてからも入れたからな。一応、昼餉の際に味見として清酒入りの味噌汁を家族に出したが、今朝方汲んできて沸騰させた清水の中に出汁や味噌と共に神酒を入れたと話した途端、母上だけでもなく父上も卒倒しかねた。火を通して酒の風味を飛ばしたつもりだったが、清酒を入れすぎただろうか……」
「……もう少し、両親の気苦労を考えてやれ」
やはり近い将来、金が掛かる神として宮司一族から追放されるかもしれない。ここは早く力を取り戻して、宮司一族に貢献せねばならないだろう。
そしてセイにも名前と姿を返さねばならない。名前と姿を借りている限り、セイを自分に縛り付けることになるのだから。
「明日こそお前の口から美味いと引き出してみせよう。楽しみにしておくといい」
妙にやる気に満ちたセイの言葉に心許ない気持ちになる。明日はどんなことをやらかすのだろうか……。
「……ほどほどに頼む」
「任された」
屈託のないセイの笑顔が眩しい。だが悪い気はしなかった。セイの神饌は確実に神力の回復に貢献している。その理由は未だに分からないが、このまま神饌を食し続ければ判明するかもしれない。全盛期以上の力を得ることもありえるだろう――。
神饌として捧げられた塩おにぎりと清酒入りの味噌汁が空になる頃には日が暮れ始めていた。帰り支度を整えたセイは振り返ったのだった。
「また明日も来るからな。ここで待っていろ、蓬」
再会を約束して大きく手を振って去って行く姿は、親しい友との別れのようであった。自分に傅き、退出の際には都度許しを願い出ていた清き乙女たちとは全く違う真逆の挨拶に悪い気はしなかった。それどころか堅苦しくない分、どこか気楽で良いとさえ思い始めている自分がいたのだった。
「すっかりアイツの勢いに呑まれてしまったな」
人と神が生きる時間は異なる。セイはまだ若いので、しばらく同じ時間を過ごせるだろう。それならセイが生きているだけでも、付き合ってもいいかもしれない。セイが話す「友」という関係を。
これまで「友」に縁がなかったからか、その言葉が非常にむず痒く感じられる。神として長らく生きてきたものの、他の神との交流をしてこなかった。たまにふらりとこの地に立ち寄る神はいるものの、あくまで立ち寄っただけなので、話らしい話は一切しなかった。ここで認めたら、神にとっての初めての友がセイということになるのだろう。
相手がセイだからか、それともこの短時間で心まで人間に染まってしまったのか、人間と親交を深める自分を想像してどこか愉快に思えてしまう。これまで頑なに人間の――それも男を卑下してきた自分が、人間の男と肩を並べる日が来ようとは。あまりにも痛快だった。
この小気味よさをセイにも味わわせて一泡吹かせてやりたい。せっかくなら名前と姿を返す時にでも。
――キサマを友と認めて、友情を育んでやってもいい、と。
「鳩が豆鉄砲を食ったような顔をするか。アイツは」
友の姿を写した神の白い頬に赤みが増す。白い月が昇り始めた夕空を見上げると、満足そうに笑みを浮かべたのだった。
そうしてこの日から、神は蓬となったのだった。
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