第2話

 あのお屋敷は、奥様のクラリテ様とアリスお嬢様にのお二人に支えられていた。あのお二人が居たから、皆頑張れていた。お二人のために、頑張っていた。

 私もそう。

 

 外では、あのブタがでかい顔をして威張っていても、実際は自分の家業について何もわかっていない。

 王族、上級貴族、上級とまでは行かずとも力を持っている貴族、力を伸ばしてきている貴族、人物など、その辺りのことには名前、領地のことはもちろん、家族構成やその好みなどとても詳しい癖に、あのバカはアリスお嬢様のお誕生日は覚えていない。自分の家族の事よりも、他の貴族のご機嫌とりの方が一生懸命だった。

 私が屋敷に来て、お嬢様にお会いした頃にはすでに、家長として、主人、父親としてのそれは全く期待されなくなっていた。

 当然だろうなと思う。聞かされたわけでも聞き回ったわけでもないが、そういうものは伝わってくる。

 良かった点は、家族を蔑ろにする男はほとんど屋敷には居なかった、というところだろう。お陰で私は奥様に助けられ、お嬢様に会うことができ、そのお側にいられた。


「…アリス様…。」

「奥様も、アリスお嬢様を探しておられます。」

 

 そうだろう。クラリテ様は本当にアリス様を大事にしてらした…。

「私はあの時、クラリテ様を見つける前に、アリス様のお部屋も確認したのです。」

 バイエルさんは言った。

「ですが、そこには誰も居なかった。すでに逃げ出した後なのかと思いました。」

 

 居なかった?誰も?


「血の跡は…。」

「部屋を確認して居ないと分かった後、すぐに他の場所へと探しに飛び出したので…すみません、そこまで気がつきませんでした…。火と煙で視界も悪かったですしね…。」

 

 気がつかなかった?

 バイエルさんはいつでも冷静で的確な仕事をする人なのに。

 しかし、火事で余裕のある状況でもなかったのなら仕方ない…。


「がっかりさせてしまったかも知れませんが、あの場で私は何にも気が付かなかった。申し訳ありません。もう少し視界が良ければ変化に気がつけたでしょうが…」

「そう、ですよね。」

 

 パニックになった私が勘違いしたのか、倒れている間に見た夢なのか。

 それでも、何かがあって噴水で倒れていたのだから。そして、その記憶が私には全く無い。

「その後、奥様をお助けし、屋敷を出た後は、すでに屋敷内に戻れる状態ではありませんでした。もう一度お部屋を確認しようにも…。」

「出火の原因は、分かってるのでしょうか?」

 バイエルさんは首を小さく振った。

「警察の方たちに来ていただいて調べてもらってはいますが、それはわかっていない。燃え方が酷かった一階の奥様の蔵書部屋と2階の旦那様の書斎がおそらく火元だろうということしか。」

「あんな、火種になりそうな物は何もない…。」

「ただ、燃えやすい物はたくさんあったがね…。」

 たしかに、火の餌だらけだった。

 

 奥様の書庫は、部屋いっぱいに本棚がぎっしり詰まっていた。それぞれの棚にはもちろん書物が隙間なく埋まり、その他にも各国の地図や、歴史家がよだれを出して欲しがるような昔の書簡、手紙、絵画なども置かれていた。

 貴重なものがたくさん置かれているにも関わらず、屋敷の人間ならば誰でも自由に出入り出来た。私も、勉強のために何度も入らせていただいた。息抜きに、小説を読むために本を借りる事も、まだ幼かったお嬢様に読む絵本を、選ぶ事もあった。

 その蔵書部屋も、火事ですっかりなくなってしまったらしい。適度に乾燥もしているしよほどよく燃えた事だろう…。

 あの場所が無いと思うと寂しい。

 

 旦那様の書斎には入ったことはなかったが、旦那様は煙草などを嗜んだりすることはないからそれが原因ではないだろう。お酒が好きで部屋にも置いてはいたようだが。後は、部屋の何処かから宝物庫に入れる入り口があるらしい、という話を聞いたことがある。

 宝物庫があるのは知っていたが、その場所はクソ旦那しか知らない。

 家族の誕生日や記念日も祝わず、プレゼントのひとつも用意することはなかった旦那様も、人並みに美しいもの、高価な物は大好きだったようで、一等品を見つけては金額もろくに確かめず即決で買い込んで来るので、その度に屋敷の財務管理をしているヘドウィグさんは、奥様と共に頭を抱えていた。

 そして、それらは、人知れず自らの書斎へ持ち込み、宝物庫へと仕舞われる。

 何かあった時には、どうせそれらを抱え込んで一人で逃亡するに違いない、と皆思っていた。きっと、屋敷の誰もいつの間に購入したのか知らない物だってたくさんあるんだろう。

 

 蔵書部屋はともかく、旦那様の部屋が燃えたと聞かされれば、誰かが火をつけたとしても不思議ではないが…。ただ、使用人仲間は疑いたくはない。


「それで、あなたを傷つけたという男。顔は見たのですか?」

「見ました。」

 バイエルさんの瞳が少し大きくなった。

 

 私がアリス様のお部屋に入る前は火どころか、煙の臭いも、気配もなかったが。


「やっぱり、その男なんでしょうか。火をつけたのは。」

「可能性としては。あるでしょうね。外部の人間が入り込んでいたとなれば、それだけで怪しさは十分。」

「そいつを見つければ、アリスお嬢様は見つかりますか?」

「…可能性は、あるでしょうね。」


「あれは、ノワールです。」


 私の目は、ただ顔前の空間をぼんやり見ていたが、隣でバイエルさんが動揺したのがわかった。

「間違いないのかい?」

 さすが、執事長。すぐに冷静を取り戻し、聞いてきた。

 間違いないのかと問われると、私も本物をこの目で見たことはないので自信はない。

 私が知っているのは、手配書きの似顔絵だけ。それでも特徴的な顔の左側に口が裂けたような大きな傷。暗闇でもわかった赤い瞳。

 闇の世界に生き、物探し、密偵から殺人まで、身分は関係なく金さえ積まれればどんな依頼でも受ける。そして、それは必ず実行、完遂される。

 

 宵のノワール。

 きっと彼だ。


「本当かい?彼なのか?そうならば、すぐに警察と騎士団に知らせなければ。元々あなたに目が覚めたら聴取を、と言われてはいましたが。もっと詳しく、いろいろ聞かれると思います。大丈夫ですか?」

「エミリーに、居てもらっていいでしょうか…。エミリーもアリス様が大好きだったから、そんな話は聞きたくないでしょうか。」

「そうだね…あなたであの状態ですから…むずかしいかも知れませんね。あなたが良ければ私も同伴しましょうか?」

「もちろん!それはとても心強い…ありがとうございます。」

「エミリーが起きたら話してみましょうか。それでは、少し休みなさい。私はこのまま警察に報告を、そのあと着替えや、必要なものを用意してきましょう。」

 

 無事だった他の使用人たちやクラリテ様は今、友人の伯爵家の別邸でお世話になっているらしい。

 テルー伯爵夫人のソフィア様は、学生の頃からのクラリテ様の親友であり、度々こっそり訪ねてきてはいつもクラリテ様を案じてくださっていた。

 家同士で決められた婚約。親が決めたことだから、家のためだからと、クラリテ様は心配する周りが反対したり助言するのにも耳を貸さず、逆らうことなく、両親や、クソ主人に従ったのだ。

 ソフィア様でなくとも、私がもしその時、そこにいれば同じことを、訴え、奥様の幸せを願い、助けただろう。

 と言っても、ソフィア様でも無理だったことを私に出来るわけがないのだろうが…。

 

 クラリテ様の心中がとても推し量られる。

 奥様にはもっと幸せになるべきだった。

 

 これからは変わるだろうか…。

 私はこれからも、奥様と、お嬢様のお側に居られるのだろうか。

 

 主亡き後、アーレイン侯爵家はどうなるのか。子はお嬢様一人。

 

 セバストゥの祖父クリストフは伯爵家の末っ子であった。

 個人で始めた絵画などの美術品や芸術品の取引で財を築き、それをあちこちに寄付したり投資したりといった慈善事業にも熱心で、功績を認められ侯爵位を賜った。

 そして、その子ザイリーは父の後を継いだが、慎重で臆病な性格のザイリーは事業を衰退させることも無かったが、成長させることもできず、悩んでいた。現状維持でも十分な財力も権力もあったが、パワフルで、上昇志向の高い父クリストフの期待や圧力がとても苦しかったようだ。

 スパルタではないにしても、幼い頃から教育はとにかく厳しいものだったらしい。その圧力からの反動が、自分の息子、セバストゥを甘やかすという結果に出てしまったのだ。

 祖父クリストフはセバストゥが生まれたばかりですでにいい家庭教師を、いい教材を、と探し回り、生後2ヶ月で母親から離し乳母に預けようとしていた。それはそれで祖父の愛なんだろうが、さすがに父ザイリーとその妻で母のエレンには堪えきれなかったようだ。

 しかし、セバストゥが生後8ヶ月の頃、クリストフは昔からの寄付先である養護院に慰問に訪れたその帰り、事故で亡くなる。

 ザイリーとエレンはすぐに乳母から養育権を奪い手元に可愛い息子を取り戻したのだ。

 

 それからの甘やかし具合はあの無能な堕落ぶりを見れば容易に想像出来る。


 全く、会ったことはないが、先代たちに腹が立ってくる。

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