その意気込みを抱いた次の日、学校が終わると僕は図書館に向かった。

 気合を入れて図書館に足を踏み入れるけど、背中は丸まり姿勢が低くなっていた。キョロキョロと辺りを見回しながら身を潜めて館内を本棚の陰に隠れてこそこそと徘徊する。

 抜き足差し足忍び足と忍者さながらにその動きは慎重だ。

「ねえ、ママ、あの人なんかきもちわるいね」

 子どもの声の方向をみれば、その指先が僕に向けられていた。

「ええ、僕のこと!?」

 声が出てしまったことで、自分で口元を押さえると同時に、側にいた母親も我が子の口元を押さえつけていた。

 お互い「どうも~」と苦笑いを見せながらなかったことのようにその場を去った。

「そういう言葉は本人に直接言っちゃだめよ」

「はーい」

 フェードアウトしていくように親子の会話が耳に届いた。

 確かに怪しい動きではあったが、子どもに指摘されるほどとは思わなくて、少し体の力を抜いた。

 深呼吸して落ち着きを払ってから再び気合を入れなおす。動きに気をつけながら、奥の窓側の観覧スペースを本棚の陰から頭だけそっと出して覗いた。

 テーブルに何人かの人たちが座って静かに本を読んでいる。その中に映見の姿を見つけたが、ここからは後ろ向きにしか見えない。これはわざと僕に背中をむけている。

 正面からしか写真を撮れないから、テーブルを回り込むだけで僕の存在は簡単にばれてしまう。知られないで近づくのは不可能だろう。

 映見が後ろを不意に振り返り、僕の存在に気がつく前に写真を撮るしか方法はなさそうだ。

 ほんの一瞬のタイミングが鍵だと思っているとき、映見の斜向かいに座っている女性が顔を上げ僕の方をちらりと見た。

 その人の動きで映見も反応して振り向こうと頭が動いたから、僕は咄嗟に本棚の陰に引っ込んで身を隠した。

 危ない危ない。

 僕はポケットに手を入れ、用意していた道具を取り出した。手鏡だ。これなら姿を隠したまま鏡に映った映見の様子を見られるはずだ。

 鏡を動かしながらちょうどいい角度を探していた。

「おっ」

 なんとか上手く後姿の映見の姿が映った。これならいけると確信し、暫く様子を窺っていると、映見が立ち上がろうと椅子が後ろへ動いた。

 僕の胸はどうしていつもこういうときに激しくドキドキと動くのだろう。落ち着けと言い聞かせながら、震える手でカメラの準備をして身構えた。

 どうしても今日は成功させたい。その思いで慎重になって一瞬のタイミングを逃さないと身を張り詰め「今だ!」と身をのりだそうとしたその時、後ろから肩を叩かれ「うわぁっ」と飛び跳ねた。

「あの、一体何をしてるんですか」

 持っていた鏡とカメラを不審に見つめたあと、男性の図書館員が僕を厳しく睨みつけた。

 なんでこうなるんだよと内心泣きたくなるも、この状況が非常にやばいことに気がついて血の気が引いていった。

 自分が持っていた手鏡とカメラを咄嗟に体の後ろに隠し、僕は弁解する。

「これには理由があって、その、別に何もしてません」

「鏡とカメラを持って何かしてるじゃないですか」

「いえ、これはその」

 図書館員は僕の持っていた鏡とカメラを取り上げようと後ろに手をまわしてきた。僕が条件反射でそれに抵抗すると、怪しいと決め付けた図書館員は躍起になってしまい軽くもみあいになってしまった。

「それをこちらに渡しなさい」

「だからこれはそんなんじゃないんですって」

 僕たちの騒ぎに気がついた人たちが回りに集まってくる。その中から映見の声が聞こえた。

「あっ、透!」

 また失敗だ。どうして肝心な時にこうなってしまうのだろう。今日こそはどうしてもやり遂げたかったのに、このままでは映見が不幸になるのに、なんでなんで……

 感情が高ぶり僕は泣きそうに瞳を潤わせていた。

 がっかりとうな垂れる僕に代わって映見が図書館員に理由を説明していた。

「これは私が彼にそうするように頼んだんです。責められるのはこの私であって、彼には責任はありません。すみませんでした」

 必死に謝る美少女の姿に罪など問われるはずがなかった。

「まあ、そういうことでしたらこちらは何も被害がなかったので、謝られても困るんですが、まあ、こういう場所での遊びは今後気をつけて下さいね」

「はい、本当に申し訳ございませんでした」

 頭を深く下げる映見の姿を横目に僕は複雑な心境だ。このやりきれない思いをどこにぶつけていいのか、悔しさで奥歯を力いっぱいかみ締めた。

 図書館員は後味悪そうな顔を向け去っていった。周りの野次馬もじろじろと僕と映見を見てからどこかへ散らばっていった。

 ようやく周りが静かになると、映見はほっとしたように息を吐いていた。

「ちょっとした騒動になっちゃったね」

 映見は軽々しく笑っているけど、僕はまだ気持ちをすぐに切り替えられない。

「なんでいつもそうやって自分で罪を被って悪くもないのに謝るんだよ」

「本当に私に罪はないと思う?」

 あるわけないじゃないか。たとえこれが映見が言い出したことであっても、僕がそれを承諾したのなら、全ての責任は僕にある。

 僕が元凶なのだから。

 いたずらっぽく僕に問いかけたその映見の顔が僕の心に入り込みすぎて胸が痛くなった。僕は映見を守りたいだけで、だからこの賭けに勝って全てを終わらせたいだけだ。

 それなのに、それなのに、映見は何もかも含めてとことんこの状況を楽しもうとして、そのためなら謝ることも厭わない。

 僕の失敗は不安をさらに掻き立てて僕を窮地においやっていく。何をやっているのか、何をしたいのか、僕は自分に苛立ってその感情のままにまたヤケクソで写真を撮る。フラッシュが映見の目に直撃して、撮った後、映見は目を瞬いていた。その間に僕は去っていった。

「ちょっと透! 昨日からおかしいよ」

 映見が僕の腕を掴んで引き止める。それを強く振り払うと映見はびっくりしたのだろう。僕が振り返ると泣きそうな顔を向けた。

 彼女の悲しい顔を見たのはこれが初めてだった。

 僕もまた自分のした大人気ない行動にハッとして罪悪感を感じてしまう。

「あと残り十一枚だね。そして十一日……」

 映見がひとりごとのように言った。

 僕は黙っていた。

「うまく行かないから透はイライラしているのかもしれないけど、私は諦めないからね。絶対にやり遂げる。そして全てが終わった時、透はきっとその意味に気がつく」

「意味?」

「うん。だからあともう少し、私に付き合って。私のためにも」

 気づかれずに写真を撮る意味ってなんだ?

 僕には映見の言っていることがさっぱりわからない。

 映見の目が潤んでいるのに、映見は僕にとびきりの笑顔を投げかける。決して屈したくない意気込みが感じられるほどに無理に笑おうとしていた。

 それは笑顔というよりも、映見のベストをつくそうとする生命の輝きに思えた。

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