第三章 このままでいいのか心が揺れ動く理由
1
イベントを手伝ったその次の日の待ち合わせ場所に変化があった。映見が指定してきたのはこの辺りでも有名な大型施設のショッピングモールだった。
ショッピングモールの場所は分かっているが、ひとくくりにするには範囲が広すぎる。入り口も多数あるし店だって色々と入っている。一体どこに映見が居るというのだろう。
午後一時に待ち合わせしたものの、どこをどう探せばわからなかった。映見が行きそうな店。かわいい小物が売っている場所や、化粧品グッズがあるようなところを覗いたが居ない。そんな店もひとつやふたつじゃなく、沢山の同じような分類の店がある。端から端を往復するだけでも大変なのに、それが三階まであるんだから店をひとつずつ見て回るのも膨大な作業だ。
その時、僕のスマホからメール受信音が鳴った。もしやと思いすぐ確かめれば、案の定映見からだった。
――ヒント。『○の虫』に当てはまる漢字はなんでしょう。私はそこにいます。
『○の虫』でピンと来た。僕はメールをすぐに返す。
――腹の虫!
僕は映見の与えられたヒントの場所を目指す。手にしっかりとカメラを持ちながら。
それは二階の角の広々とした場所に位置し、ちょうどエスカレーターを上ったところにあった。
入り口に差し掛かると僕は辺りを警戒する。広いオープンスペースには本がたくさん入った棚やディスプレイされた各コーナーが設けられている。かなり大きな本屋だ。客や棚に潜めたらすぐには見つけにくいだろう。僕は慎重に映見を探した。
今頃映見は困惑しているだろう。○の虫とくればすぐに本の虫を想像する事を期待していたはずだ。
でも僕は自分の答えに確信があるふりをしてわざと間違って腹の虫と答えた。フードコートと勘違いしているんじゃないかと映見に思わせる。その油断したところを僕はカメラに収める。今度こそできるかもしれない。
隠密に探りを入れる忍者になったように、混雑するレジの辺りを客にまぎれてささっと過ぎて、その隣にあった親子連れが多い児童書の棚にまず紛れ込んだ。子供目線に一度そこでしゃがみこんだあと、また周りを確認してから身を隠せる奥の棚へと一旦引っ込んだ。
そこからはそろりそろりとそれぞれの棚の間の通路に映見が立っていないか用心深くチェックする。客たちが棚の前に立って本を見つめたり、手にとったりしている。そこに映見がいないとわかるととりあえずほっとした。
見るなら小説か漫画がある棚だと思っていた。客もその付近だと多かった。
新刊が並ぶ特別に設置された目立つ棚の周りに髪の長い女性がいると一瞬どきっとしたが、それは映見ではなかった。
本当に本屋にいるのだろうかと思ったその時、棚に隠れながら奥を見ていると、雑誌コーナーでスマホを手に持ちどうしようか困惑している映見を見つけた。
いた!
急に胸がドキドキして、体が熱くなる。もっと冷静になれと言い聞かすも、今度こそ上手くいく変な確信が余計に興奮させてしまう。
一度大きく深呼吸して、そしてまた映見を観察した。
雑誌が入っているラックのような棚は幸いそんなに高くない。頭をさらに低くして反対側から回れば、ちょうど映見の真正面にいける。
また僕の心臓がドキドキとしてしまう。落ち着け、落ち着け。カメラは手元にある。すぐシャッターを押せる状態だ。
僕は映見の居る場所を何度も確認し、反対側の通路にそろりそろりと腰を折って忍び込む。
カメラをしっかりと手に持ち顔を上げ、今だと思ったその時、ズボンのポケットに入れていたスマホが着信音を鳴らした。
あっと思ったせいでタイミングがずれてしまう。それでも一か八かそっと立ち上がってカメラを向けて素早くシャッターを押した時、映見はすでにこっちを見ていて微笑んでいた。
「あっ」
間抜けに声がもれた。
「なんだやっぱり作戦だったんだね。そうじゃないかなって思った。でも私もタイミングよくメール送ったもんだ。お陰で助かっちゃった」
僕はスマホを取り出しメールをチェックした。
――本当の答えが分かっていて、今私の近くにいるんでしょ。
全くその通りだった。
棚越しに映見と顔を合わせ、僕は虚しく巻き上げダイアルを回した。
「本日も楽しいひと時をありがとう」
文庫本を二冊買って書店を出た後、映見は僕に言った。
「楽しいひと時って、一体僕はなんのためにこんな事をしているのかわからなくなるよ」
「私だって危険を冒しているんだから。透にもちゃんとチャンスをあげているでしょ」
「でも僕は君から離れようとして、結局、君との接点が増えてしまっている」
「でも約束だからね」
約束といっても、映見の策略にはまってるだけだ。
ため息混じりに歩いていると、店から店員の声が聞こえてきた。
「さあ、今日で平成最後のセール。この機会をお見逃しなく」
そういえば、明日の五月一日から元号が令和に変わるんだった。一ヶ月前に元号を前もって発表された。
「明日から令和だね」
映見も言い出した。
映見も僕も平成生まれだから元号が変わるなんてなんだか変な気持ちだ。一体どんな時代になるのだろう。
令和になれば変化が起こるだろうか。和香ちゃん、郁海ちゃん、未可子さんはこんな時代が来るとは知らずに逝ってしまった。
僕が黙っていると、映見は独り言のようにまた喋る。
「令和の次はなんだろうね」
「えっ、もう次の元号の事が気になるのか?」
「次もやっぱり知りたい」
確かに令和が発表される前は、テレビ中継がされて日本中がなんだかわくわくとしていたように思えた。
新しい時代を迎えるか……。
「それじゃ、令和になった明日はどこに行けばいい?」
僕は尋ねた。
「神社に行こう。いつも待ち合わせしている駅からそんなに離れてないところに、小さい神社があるでしょ。朝九時にそこに来て」
名前すらでてこないけど、僕も何度かその前を歩いたことがある。有名ではないけども地域に密着した親しみのある神社だ。
「令和元年の初詣かい?」
「そう。有名なところは込み合うだろうし、近場で一緒にお参りしよう」
目的がお参りになっているが深く突っ込むこともなく、僕は承諾する。映見に言われなければ、初詣なんてすることもないだろう。
「それで、映見は何を願うんだ?」
「このまま透と一緒にいられますように。イヒヒヒ」
この笑いは僕に挑戦しているとみた。
「だったら僕は、映見に気づかれないように写真が撮れますようにと願う」
「いやいや、神様はきっと私の願いを先に叶えてくれる」
「僕の方が先だ!」
僕はガキのようにむきになってしまう。周りに居た何人かが僕を振り返れば、僕は恥ずかしさで少し萎縮してしまった。それとは対照的に映見は落ち着いて答える。
「別にそれでもいいよ」
「えっ?」
「後から私の願いが叶うんだったら、先に透の願いが叶っても全然問題じゃない」
僕はなんだか矛盾を感じて考え込んだ。
眉間に皺を寄せて困っている僕を見て、映見は口元を綻ばせていた。その微笑がとても優しく僕の瞳を捉えた。
僕はこの時、複雑に心が揺れ動いてしまう。それを払拭しようとカメラを力強く握り締めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます