掌編小説〜冬の雨〜
お白湯
第1話ふれふれ坊主
「私、雨女の末裔なんです。」
クスリと笑いながら雨女はバーのカウンターで、モスコミュールを片手に話した。
一人でいたので話しかけたのは男の方からだったが、返ってきたのは斜め上を行く返答だった。
よくよく見ると雨女はちゃんと化粧も整えられており、少しお酒で赤らんだ頬の顔は広告塔の美女のようである。
振り向きざまの返答に、意表を突かれて少し時間が空いたが、話に合わせてみる。
「奇遇ですね。僕も雨男の末裔でして、最近の雨事情に事欠かないんです。特に、雪が降るかもしれないような季節でも、こう雨が降るのは僕らがいるからでしょうね。」
ふわりとした会話に二人は店に響かないようにクスクス笑う。
男は好奇心が潤滑剤になり、口からは言葉が生まれてきていた。
アシッドジャズのナンバーが外の雨音を消している。
「私にも雨事情は分かっちゃうんですよ。きっと明日も雨ですよ。私がいますから。」
雨女からの天気予報よりも嬉しい言葉を聞けて、男は持っていたグラスを空にした。
季節は1月に入り初対面の女子からトリッキーなジョークを聞けるのは、そうそう無いだろう。
軽いジョークのお返しは軽いジョークで。
「それじゃあ、いつまで経っても晴れは来ないかもしれないですね。」
「晴れなんて来なくていいんですよ。」
意味あり気な言葉に少しとろけた目で、雨女は外を眺めていた。
男は事情が何かある事を察し、踏み込まずに茶番を続けるのだ。
「大丈夫です。やまない雨だってきっとありますよ。僕らは雨の妖怪の末裔ですから。」
「でも、今日はそろそろ帰ります。雲行きが明るくなりましたから。」
男は言ったそばから雨が上がってしまった事に拍子抜けではあったが、短い時間でも雨女との時間が大切に思えていた。
それと同時に明日も雨と言う、さっきの雨女の言葉に浮かれもしていたのだ。
「外は寒いですから、お気を付けて。」
「ありがとうございます。それじゃあ、ごゆっくり。」と言って雨女は店を後にした。
そこには金木犀の香りが残っていた。
さてはて、男は改めて考えてみる。
雨女はただ雨宿りをしていただけだろうか。
仕事帰りの装いには見えなかったが、明日もいると言っていた。
ジョークのつもりか、雨の様子に合わせて帰ってしまった。
煙たがれるにしては楽しげであったが、男は考えるのも面倒になって、二杯目を頼んで気分を直した。
次の日は夕方から雨だった。
仕事帰りに雨女の言葉に期待を込めて、男は昨日のバーに足を運ぶ。
雨女の予言通りになり、男の会社帰りは浮き足立っていた。
バーの扉を開けるとカウンター席で今日も一人、雨女はそこにいた。
少し濡れてしまったコートの端を払うと、男は襟やネクタイを直して雨女に話しかけるのだった。
「こんばんは。昨日はどうも。」
「こんばんは。今日は雨が長引きそうですね。」
雨女は嬉しそうに話していた事が男にとっても、この上なく楽しみだった。
とりあえず、男は一個席を空けて座り様子を見つつ会話を重ねていく。
「やっぱり雨が好きなんですね。」
「雨は私の舞台ですからね。」
「きっと監督は舞台の日程が決められずに、困る事でしょうね。」
クスクスと二人はまたバーの片隅で笑いあった。
男は雨女の見せる無垢な笑顔が好きだった。
雨女も男の返答に言葉を重ねていく。
「例え晴れたとしても、雨男さんの舞台にも雨が必要ですよ。私が屋根の上からジョーロで雨を作りますね。」
「カメラがあったら雨も滴るいい男に映してくださいね。」
「それは楽しみですね。」
軽く伸びをして雨女はまた無垢な笑顔を男に見せるのだった。
男は雨の日が好きになっていたところに、スマホが鳴った。
会社からで急ぎの用事だった。
せっかくの楽しい時間に水を差されて、表情が歪んだが仕方なく向かう事にした。
「すみません。今日はこれで失礼させていただきます。」
「また雨の日にお会い出来るかもしれませんね。」
男にとってはその言葉が聞けただけで十分ではあったし、雨女の謎めいた一面に興味をそそられた。
また行こうと思いながら、男はバーを出ると会社に向かうのだった。
やはり雨女の言葉通り、その日は朝方まで雨が続いていた。
次の日は晴天になったが、男は雨女の事が気になり仕事帰りに寄ってみるも、雨女の姿はなかった。
やはり、本当に妖怪の末裔だったんじゃないかと、にわかに思い始めた。
いや、思いたくあった。
代わり映えの無い日常に降り立った不思議な出会いを、大切に思いたかったのだ。
男は家に帰ると逆さてるてる坊主を作り、窓側に飾る事にした。
その願いが叶ったのか、たまたまか、次の日は雨が降り始めた。
期待を込めて男はバーに寄ったが、そこには雨女の姿はなかった。
あれは一体なんだったのか分からないが、カウンターに腰をかけると、ウィスキーを頼む。
雨の日のバーは閑散としており、静かにBGMが流れていた。
少しばかり経ってからだろうか、ドアが開く音がした。
男は期待を込めて振り返る。
そこには全く別の女が立っていた。
その女はラウンド型のメガネをかけた女だったが、男と一つ空けたカウンターの隣に座ると、ビールを頼んだのだった。
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