第12話 事例-3 アイデンティティ
些細な出来事だった。A氏は30代の善良な会社員。上司のB部長とも関係は良好だった。しかし、その関係はある一言から激変した。B部長はA氏の机の上に飾られたガンダムのフィギュアを見ながら言った。「いい年して、こんなもの置くなよ」
B部長には何の悪意もなかった。しかし、A氏にとってはこの一言が許せなかった。「こんなもの。」その一言は自分自身に対する侮辱以上に許 しがたい一言だった。これは、おもちゃではない。精神的な支柱なのだ。A氏は怒りが込み上げてくるのを覚えた。以降、A氏はB部長に敵対する言動をとるよ うになる。B部長は関係の変化は認識したものの、理由には気がついていない。
A氏は仕事も不真面目になり、未だにB部長の顔を見ると不快になる。当然、机の上にはまだ、ガンダムのフィギュアが置かれている。
さて、この事例はガンダムについて論じるためのもものではない。A氏にとってのガンダムとは、ある種の宗教のようなものだったのだろうか。 であれば、そのような聖なるものを会社の持ち込むことは不適切かもしれない。仏像を会社のデスクの上に飾る仏教徒がいるだろうか。多くの企業では、職場で の政治的、宗教的活動を禁止している。もっとも、ガンダムのフィギュアを置くことが宗教活動だとするような裁判官はいないだろうが。
それとも、宗教ではなく、スターのような精神的支柱だったのだろうか。崇拝すること。それを非難したり、否定したりすることは、いわゆる思想・信条の自由なのであり、B部長の発言が、自由を侵すものだったと言えるのかもしれない。
私たちは、誰が、いかに審判すべきなのか、という問いかけに答える段階ではない。審判の必要な状況が、なぜ発生するのかを明らかにしている 段階だからだ。ただ、審判は必要なのであり、その審判は神ではなく、人のみが行えるものであることだけは明らかだ。この事例の場合、審判の必要はないし、 審判が行われる可能性もない。対立というものは、大多数が、この審判なき対立に属するのであろう。それどころか、この対立は見えない対立であり、隠された 対立でもある。
さて、侮辱されたと感じた時、屈辱を味わう時、その理由を問う時、一番最初に出てくる言葉が、「アイデンティティを傷つけられた」ということではなかろうか。損害を受けた場合は、侮辱ではなく被害である。
アイデンティティは多様である。そして、それは他者からは見えない場合も少なくない。親族や出身地、学校、会社、クラブ、サークル、派閥、趣味、嗜好、宗教、思想、政党、地位、キャリア、世代、民族、国家、歴史観などなど、あらゆる社会的、文化的諸相の内にアイデンティティを置くことが考えられる。ある個人のアイデンティティを見れば、そこには強弱はもちろん、自覚的か否かという区分もあるし、屈折した形も含む複雑な姿になることだろう。
アイデンティティは社会的、文化的な次元における自己の拡張でもある。ただの私ではなく、より大きなもの、深い絆で結ばれた集団の一員であ るということに対する責任と自覚、あるいは誇り。それは否定すべき性質のものではなく、自然で健全なものと言えるかもしれない。もっとも、その集団の性質 にもよるだろうが。
例えば、野球をしている時に、ピッチャーが憧れの選手をバッターボックスに迎えた。ピッチャーは自分のチームなどどうでも良くなり、ホーム ランを打ってくださいと真ん中高めにストレートを投げた。この行為は非難されるべきだろう。それを告白したならば、チームを追われても文句は言えないし、 彼を受け入れるチームは現れないかもしれない。ゲームというものは、お互いのアイデンティティを前提として成立しているのであって、それが文明的なもので あれば、そこにはお互いに敬意があるべきなのだ。ただ現実には、気持ちの上では相手を殺す気持ちでやれとか、敵意や憎悪を掻き立てるような指導をする人も 多い。現実には法を犯していないのだから、それも思想・信条の自由だと言うのだろうか。それは確かに自由かもしれないが、誉められたものではないと思うの は私だけではあるまい。
また、出身大学に強いアイデンティティを持つ人も少なくない。有名一流大学卒 だと、口にはしないものの、それが誇りであり、自慢であり、支えであるという人は多い。しかし、東大を出たというだけで、学術的に、あるいは社会的に何の 貢献もしていない人を、どう評価して良いのか私にはわからない。少なくとも、その誇りに見合う成果を見せて欲しいのだが、そのような感覚は無いようだ。大学名によって自らを誇大化すること。それは、心理的なものでしかないのだが、世間は学歴をありがたがる。東大卒というだけで、是非うちの役員に、名前だけで結構ですので、という企業はいくらでもある。某大学教授は、大学とは学歴を販売すると端的に書いておられたが、その通りだ。東大卒は東大卒というお金では買えないブランドを持っている。そのブランドに憧れる人は多い。それだけのことだ。
アイデンティティは両刃である。それは集団を活性化し発展させる原動力となる一方で、過熱すると大きな火種になる。また、個人の中にあって も、適度なアイデンティティは充実感や満足感をもたらすが、行き過ぎると個人というものが消滅し、組織において機能するだけの機械へと堕落する。もっと も、それは堕落ではなく正しい生き方だ、という人もいるのではあるが。
自らのアイデンティティを点検するとともに、他者のアイデンティティについて想像力を働かせること。それは生きる上で、また人間と社会についての理解を深める上で有益であるに違いない。
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