scene 3. Drinkin' Wine Spo-Dee-O-Dee

「――これ、本当におまえが作ったってのか? ひとりで?」

 チェコ産の白ワイン、ヴェルトリンスケ・ゼレネ〔Veltlínské zelené〕を三本も持ってやってきたユーリは、テーブルを見るなりそう云って目を瞠った。

 モッツァレラチーズとトマト、ブラックオリーブを散らした野菜サラダ。テディの好きなチーズのフライ〔Smažený sýr〕。ひよこ豆とマッシュルームのオムレツ。トルコ風ミートボールのトマト煮と、付け合せのチップス。マスとあさりやムール貝をたっぷりと使ったアクアパッツァ。そしてタンドリーチキンの添えられたサフランライス。

 なんとも無国籍的な、しかし不思議と合っている気のするメニューが並ぶそのテーブルの一角には、まだなにかが置かれるらしいポットマットが敷いてあった。

「そうだって。まあ、とりあえず坐ってくれ。テディ、ワイングラスを出してくれ。俺は鍋を取ってくるから」

「鍋?」

 やはりもう一品あるらしい。云われたとおりワイングラスを三つ出しながら、テディはやれやれと苦笑しながらユーリと視線を交わした。

「ん? なんだおまえ、あんまりありがたくなさそうな顔だな」

 洒落た革張りのダイニングチェアに腰を下ろし、持参したワインを開けてグラスに注ぎながら、ユーリは訝しげにテディを見た。テディはちらりとキッチンのほうを見やりながら「うん。……あとで話す」と云うに留め、隣の席に坐った。

 ちょうどそのとき、ルカが両手で鍋を持ちキッチンから戻ってきた。ポットマットに置かれたのはディープティールのル・クルーゼだった。ルカが蓋を開けた途端、白い湯気と微かにスパイシーないい匂いが立ち込める。

「お、なんだ? クジェ・ナ・パプリツェ〔Kuře na paprice〕? ……違うな、クミンとカルダモンの香りがする」

「おう、さすがだなユーリ。これはカレークリームのソースだ。そのサフランライスにかけるんだ」

 ルカはそう云いながら大皿を手に取り、レードルでサフランライスの半分にソースをかけた。

「……へえ、こういうのは初めてだな。インド料理なのか?」

「うーん、確かインドにもクリームカレーはあったけど……、これは、あえて云うなら日本料理かな、日本のレシピサイトのを参考にしたし。『クリームカレー&サフランライスfeat.フィーチャリングタンドリーチキン、ジャパニーズアレンジバージョン』ってところか」

「日本料理?」

 それはないだろうと失笑し、ユーリとテディは顔を見合わせた。が。

 件のクリームカレー&サフランライスをすべて盛りつけ終えると、ルカは自分の席に着き、真面目な顔で説明を始めた。

「もちろん、元はインドだったりハンガリーだったりイタリアだったりするんだろうけどさ。いろいろレシピをネットで見てて、気づいたんだよ……日本人ってのは、とにかく料理スキルが高いんだ。素人の、ふつうの家庭料理でも、ものすごくたくさんの種類の料理があるんだよ。日本人ってすごく食に拘る人種で、自国以外のありとあらゆる国の食べ物に対しても、めちゃくちゃ貪欲なんだ。こっちみたいにレストランだけじゃないんだぜ? みんな家で当たり前にイタリアンとか中華料理チャイニーズを作ってるんだよ。

 で、そういう他の国の料理を自分たちの好みにアレンジするのも巧くって、これもそのひとつなんだ。日本はカレーもすごく美味しいってイギリスでも評判だけど、これはもっとマイルドで味わい深い感じだよ。サワークリームも生クリームも使ってるから、確かにクジェ・ナ・パプリツェっぽいかもな」

「……日本料理って、寿司とか天麩羅とか蕎麦みたいなのだって思ってたよ……」

「俺もさ。でも日本でいちばん食べられてるのはラーメンとカレーだって話だよ。あと焼肉コリアンバーベキュー鶏の唐揚げフライドチキン

「えぇ……」

 まあとにかく食べてみてくれ、と云われ、ユーリとテディはまずサラダやスマジェニースィールを取り分けた。スマジェニースィールというチーズのフライには、ちゃんとタルタルソースも添えられている。

 だがふつうよりも大きめなそのフライは、よく知っているスマジェニースィールとは少し違っているようだった。

「……ルカ、これ……チーズじゃない? それに、なんか入ってる……」

「ふむ、旨いが……これは、バジルか?」

「ああ、それも日本流で作ってみたんだ。それはバジルじゃなくて、日本のオオバっていうハーブだよ。このあいだアジアンフードの店で買ったのが残ってたから、ハンペンっていう魚のすり身のフィッシュケーキにカマンベールチーズと一緒に詰めて揚げたんだ。チーズだけ揚げたのより、タルタルソースとも合うだろ?」

 衣はさくっと、中の白いはんぺんは柔らかく、間に挟まれた大葉の香りがいいアクセントになっている。さらにその中心でカマンベールチーズがとろけている。ピクルスなど具がたっぷりのタルタルソースとの相性も最高だった。

「うん、旨い。ふつうのスマジェニースィールよりも食べごたえがあるな」

 ちょっと驚いた表情で、ユーリがそんなふうに素直に褒め言葉を口にした。テディはちら、とそっちを見やり、ぱり……と、サラダのレタスを齧った。

「テディ、サラダばっかり食べてないでクリームカレー食ってみろって。おまえ好みの隠し味が入ってるから」

「隠し味?」

 ルカがそう云うとテディは再びユーリと目を見合わせ、サフランライスといっしょにクリームソースをスプーンで掬い、一口食べてみた。

 とろとろに煮込まれた玉ねぎや、きのこの入ったカレー風味のクリームソースは、ルカの云ったとおりカレーと呼ぶにはマイルドだが、後を引くスパイシーさと深みのある味わいで、かなり美味だった。

「……美味しい……けど、なんだろこれ。なんか独特な癖があるような……」

 テディが小首を傾げるのを見て、ルカはにやにやと笑みを浮かべる。すると、ユーリがなにかに気づいたようにルカを見た。

「……ブルーチーズか。ゴルゴンゾーラを入れたな?」

「正解。んー、ユーリはやっぱり舌も確かだな」

「フリカッセにカレー風味のやつがあるが、あんな感じだな。サフランライスとも合ってるし、チキンはスパイスが効いてて旨い。正直、おまえがここまで料理できるとはまったく思ってなかった。本当に驚いた、脱帽するよ」

 ユーリがそう絶賛すると、ルカは得意げに顔を上げ、満足そうに微笑んだ。

 ――確かに美味しい。味は美味しいんだけども……と、テディはいくつかあるルカに云ってやりたいことを、いつどんなふうに伝えようかと考えながらワインをくい、と呷った。




       * * *




「――なぁにがセレブなスターだよ、ルカのばーか。ただの金遣いの荒い考え無しじゃないか。だいたい食べられる量を無視して作り過ぎなんだよ、せめて品数を少なくするとか、それがなくなるまで作らないとかすればいいのに、残り物はぜーーんぶ人に押しつけちゃってさ。それも追いつかなくて、ペトラさん棄ててるって云ってたよ? こぉのフードロス帝王め」

「わかったわかった。テディ、わかったからとりあえず水を飲め」

「わかった? ほんとう~にわかった? ねえユーリ、聞いてよ。こいつさ、朝からばかかと思うほど作って食べさせるんだよ? で、俺が食べすぎたと思ってせっかく散歩してきたってのに、帰ったらなんて云ったと思う? 腹減ったか、ランチはどうするって云ったんだぞ?」

 テディがそんなふうにくだを巻き始めると、ユーリははいはいと苦笑しながら頷いた。

 ルカは、そんなテディの様子を見ながらむすっと膨れっ面をしていた。

 ユーリを招待したのはこれまでのお返しにだが、そもそも自分が努力して料理をするのは他でもない、テディのためだ。彼のためと思って、好物のチーズをふんだんに使った献立に決め気合を入れて作ったというのに、喜ぶどころかまさか、文句を云われるとは。

「前にも云ったのにさ……ルカは、ちーーっともわかってない! 俺は美味しいものを作って食べさせてほしいわけじゃないんだよ。違うの。わかる? 俺はぁ、……俺も――」

 テーブルに突っ伏したテディの髪をくしゃっと撫で、ユーリはやれやれと苦笑を溢していたが。

「さて、どうするかな……。明日はちょっと朝から予定があるんで、今日は早めに引きあげようと思ってたんだが……」

 止め処無くぐちぐちとぼやき続ける酔っぱらいを宥めつつ、ユーリがそんなことを云うと――ルカが返事をする前に、テディが勢いよく顔を上げた。

「うん、じゃあもうお開きにしよう! ユーリ、俺も連れて帰って。ルカ、そういうわけで俺、ユーリんち行って泊まってくるから。じゃあねぇ」

「は!?」

 テディの言葉に、ルカは目を剥いた。

「なに云ってんだテディ、そんなに酔って、ユーリだって困るだろ!? 朝から用があるって云ってるのに」

 するとユーリは、ふむ、と顎に手をやり――暫し、なにか考えるような素振りをすると、こう云った。

「……いや、別に困りやしない。朝と云っても時間が決まってるわけじゃないしな。それに、テディもちょっとバイクで風にあたれば、酔いは醒めるだろ」

「この酔っぱをタンデムシートに乗せる気か!? 危ないだろそんな、おまえだって飲んでるのに――」

「ああー、もう、煩い! 大丈夫。俺はユーリと帰るの! 今日も食べすぎだから、ちょっとしなきゃ」

「運動!? どんな運動だよ、そんなのでもできるだろ!?」

「ユーリとのほうが絶対カロリー消費できると思うよ。ねーユーリ」

 さ、行こ行こ。とテディがユーリの腕に手を掛け、エントランスに向かうとルカは「もう勝手にしろ!」と、外方を向いてしまった。

 ユーリはくっくっと笑いを堪えながら、その様子を見ていたが。

「大丈夫だルカ。あのくらいは飲んだうちに入らないし、テディのことは任せとけ。……おまえも、料理は上出来だったのにどうしてテディが喜んでないのかひとりで考えてみちゃどうだ?」

 そう云ってテディに引っ張られるまま、ユーリはドアの向こうへと姿を消した。



「――おいテディ。おまえ、そこまで酔ってないだろ」

「……ばれてた?」

 建物の裏手、石畳の細い路地にユーリのトライアンフ・スピードマスターは、オレンジ色の街灯を避けるようにしてひっそりと駐められていた。ユーリは愉快そうにくっと喉を鳴らしながら、タンデムシートに跨るテディにヘルメットを渡した。

「おまえの酔い方くらい知ってるさ。今日はおまえ、いきなりぐだぐだ云いだしたろ?」

「……うん?」

「いつもなら、おまえはあんなふうに喋りだす前、辛そうな顔で黙りこむんだ。それがなかったからな。それに、足取りはしっかりしてた」

 そう云ってにっと笑い、ユーリがヘルメットを被ってトライアンフ・スピードマスターのエンジンを始動させる。

「……まいった」

 テディはそう呟いてヘルメットを被ると、右手でグラブバー、左手でユーリのベルト部分をしっかりと掴んだ。

 夏の夜の生ぬるい空気を、小気味良い爆音が切り裂いていった。

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