第79話 大ネズミさん……ハディ、力を貸して。結果で返すから。

 錯乱して滅茶苦茶に暴れるベヒモスの動きに、前肢を拘束しているムルキャンの枝や根が、ブツブツと音を立てて引きちぎられて行く。結果、更にそこにムルキャンの悲鳴が加わって、阿鼻叫喚の地獄絵図の様相を呈し始めてしまった。


「おや、軽く放っただけだったんですが私にも赤いのと桜の君の魔法がかかってしまったようです。本当に桜の君はイケナイヒトですね」


 その場に似つかわしくない、楽しげな口調でオルフェンズが薄い笑みを浮かべる。


「いや、そんな冗談言ってる場合じゃないでしょぉぉ――――――!?」


 暴れるベヒモスに最早近付くことは出来ず、かといってこのまま何もしなければ、折角ムルキャン・トレントが拘束してくれたベヒモスの前肢が解放されてしまう。

 そしたら振り出しに戻る……―――いや、オルフェンズの与えた一撃は完全にベヒモスの右目を潰す大きなダメージを与えているから、手負いの荒ぶる魔物となって、最初よりも格段に危険な状態にランクアップしてしまっている。


「なんてことしてくれてるのぉぉ!?あんな暴れてる大きな魔物、どうやったら倒せるのよ!追い払うだけにしようにも、絶対向こうがこっちを敵認定して襲ってくるわよね!?」

「そうですね。こうなったら倒す以外の選択肢は無くなってしまいましたね」


 焦るわたしに対して、オルフェンズは余裕の笑顔だ。ということはもしかすると、わたしの窮地を好むこのスパルタ暗殺者が、わざとこの状況を作り出したのでは?そんな疑惑がむくむくと頭をもたげる。


「わたしを追い込むのは、オルフェを側に置く以上、百歩譲って仕方ないとも思えるわよ?けどね、この悪趣味な演出で関係のない人が命を落としたりしたら、わたし、貴方も自分自身も許せないからね?」


 護衛従業員の不始末は主人雇用主の責任。バンブリア商会を一代で急成長させた父テラスと母オウナが常々言っていることだ。だから、行き過ぎた趣向を持つ押し掛け護衛の後始末なんて本当に嫌だけど仕方ないとも思う。


 怖じ気付き、震えて前になかなか踏み出さない両足を、気合と意地でじりじりと動かして、やっとの思いでベヒモスに対峙する。そんな風に未だすくんでしまう身体の扱いで苦慮するわたしを余所に、着々と混乱から立て直していた兵士の鋭い指示の声が飛ぶ。


「町の方向から魔道弓一基、並びに第二弓隊射掛けろ!魔物を居住区から遠ざけるぞ!」

「「「応!」」」


 同じように焦燥感を張り付けた表情ながら、訓練を受けている彼等のメンタルの強さと行動は、素人のわたしなんかとは比べようもない。


「放て!」の号令で、一斉に遠隔での攻撃が仕掛けられて、ベヒモスは町外へと身体を傾がせる。


「があ"あ"ぁぁ―――!!」


 痛みと怒りで暴れるベヒモスは、残った左目で未だ兵士達に憎しみのこもった視線を向けてくる。


「大ネズミさん……ハディ、力を貸して。結果で返すから」


 小さな声にもならない微かな音で、自分に言い聞かせるように呟くと、呼んだ名前で脳裏に浮かんだのんびりとした面影に、少しずつ気持ちが落ち着いて行く。

 それと同時に、頭の上から夏の日射しが照り付けるような暑さが伝わってきて、身体全体を熱く包み込む。


「もしかして、これって大ネズミさんの?」


 ふと手元へ視線を落とせば、薄く腕全体に紅色の光の層が纏わりついているのが見てとれる。と、同時に忌々しげな舌打ちがすぐ傍から聞こえてくる。


「オルフェったら……」


 苦笑を漏らしつつ、ほんわりと優しい暖かさと、誰かさんを思わせる魔力の色に和んでいると、いつの間にか震えが止まっているのが分かった。


 ぐっと両手を拳の形に握り込んで、いつもの様に力が入ることを確認すると、熱くなった筋肉が想像以上の答えを返してくる。


「うん、これで何とか動けるわ。」


 呟きながら素早く周囲に視線を走らせれば、遠隔攻撃の弓隊は次の矢を用意しつつまだ弓には番えてはいないし、ベヒモスは弓によるダメージで傾いだ身体を戻しきれていない。


「じゃっ・そう云うコトで!」


 体勢を低くし、地面を力いっぱい蹴ったわたしは、ベヒモスに向かってロケットスタートを切った。

 温まった筋肉は、想像以上の効果をもたらして、いつものわたしよりも格段に速いスピードで前に向かって吹き飛ぶように体を運んでくれる。風を切る音に交じって兵士達の声が聞こえて来るけど、またいつ動き出すか分からないベヒモスに集中し、目的の場所へ出来るだけ速く辿り着けるよう全身に力と魔力を漲らせる。


「とうちゃ――く!」


 体勢を立て直すためたたらを踏んだベヒモスの足元を縫って、辿り着いた先はムルキャン・トレントのもとだ。

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