第78話 寛容な赦しは、将来夫婦関係の手綱を取るための布石ですもの。

「しっかり聞こえたんですね、ホーマーズ様。あまりにお2人の話を聞く耳がなかったみたいなので、ちゃんと理解されるか心配だったんですけど、そのご様子なら大丈夫ですわね?」


 猫の子の様に首根っこを掴まれて吊り下げられたカインザに視線を合わせ、殊更ニッコリと微笑んで見せると、途端に分かりやすく彼の顔は屈辱に歪む。


「なっ‥‥何が大丈夫だ!!そんなの俺は認めない!ちがうっ!セレネ・バンブリア、お前の卑怯でっ卑劣極まりない悪質な陰謀だ!!そうでなければこんなこと―――!ぐぅっ。」


 カインザの襟首を後ろから持ったままの手を、オルフェンズが挙手する様に高々と上げた。何も持たないような、優雅ささえ感じさせる軽やかな動きで、鍛えられた筋肉と恵まれた体躯で大柄なはずのカインザが、凧のようにふわりと持ち上がる。結果、カインザは自身の纏う服に首を絞められてしまったようだ。


「桜の君、この口の減らない屑を廃棄しても良いでしょうか?」


 人ひとり片手で持ち上げているとは思えない、涼しげな薄い笑みを浮かべるオルフェンズに、カインザの顔が赤から青へと変わる。


「ば‥け、も‥‥。」

「躾が必要ですかね?」

「そんなの気にしなくて良いわよ。オルフェだって、特に気にも留めていない人を相手にするのなんて億劫でしょうし、何より貴方にそんなことして欲しくないもの。そのまま下ろしてくれる?」

「はい。」


 オルフェが微笑んで短い返事すら言い切らないうちに、襟首を掴んでいた手を開く。


「―――っ!」


 悲鳴をあげる間もなく、うつ伏せに床へ落下したカインザは、それでも咄嗟に両手両足を突っ張って顔面強打は回避したようだ。さすがは武力で学友候補になっているだけあって、よく鍛えている。けれど、襟首によって絞められた喉へのダメージはどうしようもなく、地面に手足をついたままの姿勢で激しく咳き込み続ける。


「カインザ様!」

「ゲホゲホ、グゥッゴホ‥‥ゲホン、ゲホゲホ‥‥。メ・リリア‥‥ゴホッ‥ン。」


 未だ、激しく咳き込むあまり立ち上がることもままならないカインザのもとへメリリアンが駆け寄って、その背を擦る。ついさっきカインザのことを『これまで以上に愚鈍でふわふわして、驚く程どうしようもない』と称してはいたけれど、嫌いなわけではないのだ、メリリアンの場合は。


 カインザが、どれだけ駄目なところを見せても、婚約者であることを大前提としているメリリアンは、彼を支えて共にあろうとしている。だからこそ、自分とユリアンが側にいることによってカインザが駄目になると気付いた彼女は距離を取ろうとしたし、カインザがユリアンへの好意を少なからず持っていると気付いた彼女は、そんなカインザを否定せずに、より良い方向へ矯正しようと行動した。それが貴族らしからぬ振る舞いを繰り返すユリアンを、メリリアンが教育しようとしていた理由なんだろう。当然一生側にいると決めた存在だからこその寛容と赦しがそこにはある。婚約者としての形を年下のご令嬢オンナノコに突き付けられた気がする。


 メリリアンがそこまで惚れ込んでいる理由は、どれだけ考えても全く思い付かないけれど、目の前の2人の婚約関係は、父親同士が同じ騎士団の親友と云う繋がりで赤ん坊のころから結ばれていると、ギリムから聞いていた。わたしよりも年下とは云うものの12年の長きに渉って結ばれてきた関係性など、未だ婚約者もいなければ、本命もいないわたしには理解できるはずもない。

 それでも、わたしの及びもつかないところで恋に頑張っている女の子を応援したくてこんな真似おせっかいをした。


「愛情とか絆とか、まだまだ分からないわたしだからこそ、あなたたちを――と言うか、ジアルフィー様の応援をしたいと思ったんですよ。なので、ホーマーズ様の甘えを許す気は一切ありませんわ。わたしはあくまでジアルフィー様推しなだけですから!」


 だから、メリリアン嬢を泣かせる真似は許さないんだからね・と、カインザを軽く睨んでみせる。すると、カインザはポカンと口を開いてわたしを見、すぐにまだ傍に寄り添って背中を優しくさすり続けるメリリアンに視線を移すと、何かを考え込む様に口の両端をぐっと引き結ぶ。


「ゴホッ‥‥メリリアン、俺は君が婚約者でない事が想像できない。居てくれて当然だと思っている。けど君は俺から離れるつもりなんだよな?」

「――そうですね。今は離れさせてください。カインザ様は、まず全力でアポロニウス王子の信頼を得る事。今しかその機会はありませんから。それが出来るのなら婚約者の肩書は残していただけると嬉しいです。」


 控えめに微笑むメリリアンは、離れると言いつつも、カインザへの想いに満ち溢れている。


「メリリアン‥‥わかったよ。俺が馬鹿だった。王子のところへ行って頭を下げてくる。」

「はい、応援しておりますね。」


 ふらふらと、王子のもとへと向かうカインザの後姿を見守るメリリアンの微笑はまるで聖母のように暖かいもので―――けれど、突如としてその表情がすんっと抜け落ち、冷静な視線に切り替わる。そうやってしばらく婚約者を観察した後、力強くわたしを振り返った。


「バンブリア生徒会長、ありがとうございます!私だけがカインザ様に話したところで、大して取り合って貰えない所だったのを、先輩にご助力いただいて何とか今回のようにこちらの話を飲んでいただけるようになったことが一番の収穫でした!寛容な赦しは、将来夫婦関係の手綱を取るための布石ですもの。妾を連れ込んでも立場をわからせて、自分の女主人の座を揺るがさない良い練習が出来ましたし、夫となるカインザにも、結婚後にこちらが有利になる様な対応が堂々とできます!」

「え?‥‥ええ。」


 メリリアンは晴れやかな笑顔で告げる。きっとこの言葉は、背中を向けて離れたところを歩いて行くカインザには聞こえていないのであろう。どうやら彼女はわたしが考えるよりずっとしたたかな女性だったようだった。

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