第31話 天罰って、この極彩色なウミウシが?

 占術館せんじゅつかんで、占い師に障害となる者がいることを匂わせて退出したわたしに声を掛けてくる者がいた。まんまとこちらの思惑にはまって、薄黄色い魔力を放つ液体をたたえた香水瓶を差し出してきたのは、案内人と同じローブを纏った、不健康そうに瘦せた男だ。


 男の全身には、差し出された香水と同じく、ごく淡い黄色い魔力が纏わり付いている。そのせいで、男から受ける陰鬱いんうつな印象は一層増して見える。


 この人もメルセンツやアイリーシャみたいに、自分の意志に伴わない『暴走』をしているのかしら?取り敢えず、こんな気持ちの悪い黄色はいらないわよね。


 と、男に扇をかざして力を込めてあおぐ。

 男の全身を隙間なく覆っていた、ごく淡い黄色いもやが一気に引き剥がされて、人型を保ったままぶわりと背後に浮かび、霧散する。


「うぅっ!?」


 男が眉間に深い皺を寄せた苦悶の表情で、その場にうずくまる。寒さに耐えるように両腕で自身を抱き締めたその手は、微かに震えている。

 え?何かわたしの想像と違うっ!黄色い魔力が無くなったらスッキリするんじゃなくて、苦しんでる?


「あなた……いえ、お前……何をした!?」


 おろおろするわたしを余所に、男が低い声で唸る。


「あのお方のお力が……お力の気配がっ、消えている……」


 憎々しげにわたしを睨み付けながら、確かめるように自身の全身を両手で忙しく触れて行く。時折「無い、ここにも無い…無い」などと呟く姿は、どこか錯乱しているようで怖さを覚えてしまう。いや、まだ被害者の線も消せないし。


 まごついていると、さっきまでわたしが居た占い部屋から、占い師の女が飛び出してきた。薄手のヴェールで覆われていても、その表情からは憤怒を簡単に読み取ることが出来る。


「あなたっ!さっきから変な事をしていると思っていたけれど、一体何者なの!?」


 鋭い声とともに女が手にしていた細身の壺をわたしに向けて振ると、中から黄色く光る液体がばしゃりと飛び出る。難なく飛び退いて水から逃れるけれど、細かなしずくまでは避け切れなかった。


「私たちをただの占い師と侮らない事ね!私たちは神聖なる力を操る正真正銘の運命の導き手、殿の流れを汲む者よ。その私たちに仇なす者には大いなる女神の怒りが訪れるわ。ただで済むと思わないことね!!」


 女が朗々とした声で宣言すると、液体にけていた黄色い魔力が蠢き、ひとかたまりとなってわたしに押し寄せる。例えるなら、お布団に丸まった大人サイズの、ウミウシの様な形状のものがズルズル近付いてくる感じだ。

 ついでに、わたしの服に僅かに付いた水滴も黄色い光を放って、不快感が湧きあがる。


「気持ち悪っ!」


 開いた扇で、全身をバシバシ叩く様にして扇げば、黄色の魔力は霧散してゆく。そんなわたしの正面で、こちらに向かって怨嗟の声を上げ続ける女と、その中間地点を蠢く巨大黄色ウミウシ。どう見ても、これってヤバイ魔力よね?この大きな塊も、どうにかしなきゃ!


 今や、目に痛いほどの黄色を纏うその物体だけれど、わたし以外には見えていないのか、占い師の女も、やっと立ち上がった陰鬱なローブの男も、憎々しげな勝ち誇った表情でわたしを見るばかりだ。


 こちらの騒ぎに気付いたのか、程近い別の部屋から出て来た、貴族女性がこちらを見て怪訝な表情で静止する。


「危ないから、部屋に戻って!」


 女性に叫んだ一瞬をついて、黄色いウミウシが一気に飛び掛かって来る。と、同時に占い師とローブの男が一際大きく声を上げる。


「女神に仇なす不遜者に天罰を与える!」

「はぁ?!」


 天罰って、この極彩色サイケデリックなウミウシが?冗談きついわ、気持ちわっるーい!!


 ぶわりと黄色に眼前を覆い尽くされて、嫌悪感と鳥肌、寒気が一気に沸き上がり、無我夢中で不快なウミウシを払い除けようと、意図しない量の力と魔力が籠ってしまったのは仕方無いよね?


 わたしのありったけの力を込めて振り抜いた扇が、風を纏いながらバチバチと云う放電音を立てて巨大ウミウシに当たる。打たれた黄色い塊は一瞬全体をびりりと震わせ、特撮ヒーローものの怪人のように派手に爆散した。


『ブバ―――ン』


 奇妙な音が響き渡り、黄色の欠片が壁や床に当たっては霧散して行く。

 想像以上の大惨事に、わたしは扇を振り下ろした間の抜けた格好のまま目を見開いて硬直した。勝ち誇った笑みをこちらへ向けていた2人も、予想外だったんだろう。すぐに顔を強張らせて、周囲をキョロキョロ見回す。


「な、何なの?今の音は!」

「どうして、女神様の天罰が当たらないんだ!?」


 驚愕の視線が向けられてくるけど、この人たちにはやっぱりウミウシは見えてなかったみたいね。それに今の男の言葉で確信したわ。ウミウシあれがくっついたら、何か良くないことが起こるはずだったのね。


「キャアッ」


 か細い叫び声と共に、先程別の部屋から出てきていた貴族女性が、頭を抱えてその場に膝をつく。

 真っ青になった顔に、焦点の定まらない瞳で戦慄わななく女性は、黄色い靄にぼんやりと覆われている。

 爆散で飛び散った欠片が当たったらしい。


「いやぁぁぁ……女神様の怒りがっ、恐ろしい……息がっ、で・き・な……」


 え!?『暴走』かと思った黄色に殺傷能力があるの?


「ちょっと!あなたたち、関係ない人苦しんでるじゃない!何とかしなさいよ!」


 呆然とした2人に強く叫ぶけれど、女も男も「なぜ」「どうして」と繰り返すだけで動こうとしない。


「あなたの水でこうなったんでしょ!この人はあなたたちのお客様なんでしょ!わたしと違って。助けてあげなさいよ!」


 捲し立てるけど、2人は顔を見合わせて動くことは無い。そして未だ「こんなはず無い」なんて生産性のないことを繰り返すだけだ。

 呼吸が出来ないと訴える貴族女性が、喘ぎながらその場に膝をつく。


「何よ、まさかあなたたち、治せないの!?」


 慌てて女性に駆け寄り、女性の背をさする。

 けれど、呼吸は戻らず、ハクハクと口を動かす顔色はどんどん土気色に近付いて行く。


「大丈夫よ!こんな胡散臭いもの、全部まやかしよ!女神の力なんて有りはしないから。この人たちには何の力もない!ちゃんと息を吸って!!」


 言いながら、女性に入り込んだ黄色い魔力を追い出そうと扇で祓うけれど、女性の呼吸は戻らない。

 そうこうしている間にあえぐ口許も動かなくなり、身体から力が抜けて行く。


「駄目よ!ウミウシなんかに負けないで!!」


 何とか助けたい一心で思いを込めて叫ぶ。すると、扇はまたバチバチと放電のような音を立て始める。その扇で女性の背を、黄色の魔力を叩き出そうと打つ。


 ぶわりと、女性の姿がぶれた。そう思ったけど違った。先程の男と同じく、女性の輪郭がズレたかと錯覚するくらいに鮮明な黄色い霞が、一気に弾き出されたのが見えたんだった。


「―――っは!!」


 大きく口を開けた女性の胸が、上下する。


「よかった、助かったー」

「「「「何事だ!」」」」


 安堵の声を上げて、へにゃりとその場に座り込んだわたしのもとに、いくつもの足音がドタドタと近付いてきた。

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