工房と噂話

 翌朝になると雨は止んでいた。

 とはいえ、あまりいい天気とはいえない。相変わらずこの季節特有の湿っぽい空気がじめじめと身体中を包み込み、寝汗と入り混じってなんとも不快だった。


 三人が訪れたのは、宿からほど近い工房だった。

 流石に大きな建物で、3階建ての隣の建物と同じくらいの高さがある。隣には工房専用らしい原動機専用の棟が並んでおり、その煙突からは絶えず煙が吹きあがっていた。

 前の道に向かって大きく開いた開口部からは、客や職人たちが次々と出入りしている。どうやら繁盛しているのは間違いなさそうだ。


 工房の中を覗くと、そこには様々な機械類が並び、そのそれぞれに職人がついて何やら作業をしている。特に数が多いのはウォーカーだ。大型のものから小型のものまで、何十という数が今まさにメンテナンスや修理のために分解され、部品を交換され、また組み上げられていた。

 上を見上げれば、内周に沿ってぐるりと取り付けられた足場にも職人たちがいる。そこには一人乗りの気球型飛行船やオートジャイロが浮かんでいた。どうやら飛行の状態のテストをしているらしい。


 一歩中に入ると、油の臭いが三人を包んだ。古びた機械油と、燃料の臭い。それらがあちこちで噴き出ている蒸気の熱気と入り混じり、蒸し風呂のようになっている。

 コーは手近にいた事務仕事らしい女を捕まえると、周囲の作業の音にかき消されないよう大きな声で尋ねた。


「すまんが、人を探しているんだ。真っ黒な飛行船に乗っている、アツという男。見たことはないか」


 すると女は眉を顰め、無言で肩を竦めた。知らないということらしい。


「誰か知っていそうな人はいないか。この工房を訪れていたかもしれないんだ」


 なおもコーが大声で食い下がっていると、工房の奥から一人の職人が出てきた。それを見て女が職人を指さし、それから踵を返して去っていく。この男に聞けということだろう。

 コーがもう一度口を開くと、職人の男はそれを手で制し、三人を連れて外へと出た。

 道には人が行き交い、その喧騒もなかなかのものである。ただ、工房の中と比べればだいぶましだ。そこで男は、ようやく髭に覆われた口を開いた。


「誰を探してるって?」


 男は随分だみ声だった。作業中などあの騒音の中で会話をしているせいだろうか。


「アツという男だ。真っ黒な小型の飛行船に乗っている。硬式の珍しい型らしい」

「年齢は? 写真か何かないのか」


 そう言われてレンが鞄から懐中時計を取り出した。裏面を開いてみせると、男は目を細めてしげしげと眺めていたが、やがて首を振った。


「うちに来たかもしれんが覚えてねえな。何しろ毎日これだけの人間が出入りしてるんだ。それに真っ黒な硬式の小型飛行船っていうのも記憶にねえ。俺はもう10年はここで飛行船の整備を担当してるが、そんなのがいりゃ流石に覚えてると思うが」

「ああ、いやもしかすると飛行船の整備で来たんじゃないかもしれない。そのアツという男はウォーカーを使ってたんだ。だからそのメンテナンスで――」


 シーナが横から口を挟んだが、男はそちらをちらっと一瞥しただけで言葉を遮るように首を振った。


「無理言うな。何台のウォーカーがここに持ち込まれてると思う?ウォーカーの職人どもに聞いてもいいが、覚えてる奴なぞいねえだろうよ。賭けてもいいぜ」


 男は怒鳴るようにそう言い残すと、話は終わりだと言わんばかりに手を振り、工房の中へと戻っていった。

 残された3人は顔を見合わせる。いずれにしてもこのままではどうしようもない。仕方なく一旦工房を後にして、少し早めの昼食をとることにした。


 工房のすぐ向かいにある階段を登り、2階の高さにある通路を建物に沿って進む。

 誰に聞いたわけでもないが、そちらから一際強烈に美味そうな匂いが漂って来ていたのだ。3人の足は自然とそちらの方へと向かった。


 たどり着いた先にあったのはパブとレストランが一緒になったような、賑やかな店だった。店先の通路にまで客席がはみ出し、人々が思い思いに料理を楽しんでいる。匂いからすると野生豚の肉だろうか。何種類ものスパイスが入り混じった複雑な香りが肉の油を包み込むようにコーたちの鼻腔をくすぐった。

 客の中には昼間から酒を飲んでいる連中もちらほら見える。酔った男たちの騒ぐ声が店の外までよく響いていた。


 空いているテーブルを見つけて陣取った3人がメニューを眺めていると、すぐ後ろの席から酔客の声が聞こえてきた。


「だからよ、あれは間違いねえんだって。だって考えてもみろよ。ハロスの中であんな小型船が何年浮かんでると思う?」

「そりゃクーロンの野郎が言ったことだろう。あてになるかよ、あんなやつ」

「そうそう。大体7年も8年も前に見たのと、こないだ見たもんがどうして同じだと思うんだ」


 どうやら恰好からするとスカベンジャーの一団らしい。いずれも脂ぎった中年の男たちだ。ハロスの中から戻ってきたばかりなのか、皆腰にはガスマスクをくくりつけたままだった。

 シーナが煩そうに少し顔をしかめ、煙草に火をつけた。レンはメニューを眺めながらも聞くとはなしにその会話を聞いていた。


「でもな、こないだはクーロンの他に3人、一緒に潜った連中が見たと言ってるんだよ。少なくともあの黒い飛行船は今もあそこを飛んでるんだ。しかも8年前と同じ場所をだぜ?やっぱりハロスを克服した新人類なんだよ」

「仮に見たのが本当だとしても、たまたま8年前もこないだも同じ場所に潜ったってだけだろう? 確かに飛行船で潜る奴は珍しいが、いないこともないし――ああ?なんだお前?」


 男が会話を中断して顔を上げる。

 レンが気付くと、コーが男たちの目の前に立っているところだった。


「すまんな。今の話、少し詳しく教えてくれないか。黒い小型の飛行船だって?」


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