第11話・★


『回想・カラクリ』


 カラクリ人形―― 鈴石仁平すずいしじんぺいは、喫茶店で向かい合って座る女性を見た。

 彼女は中学時代の後輩で、仁平の初恋の人だった。いつも図書室にいた彼女と話したいがために、好きでもない本を何冊借りたことか。


 ――あれから十七年がたち、お互い歳をとった。仁平は三十二歳で、彼女は三十歳。にもかかわらず、やはり長年憧れた彼女を前にすると、どんな状況でも心が浮き足立ってしまう。

「ここのチーズケーキ、本当に美味しいんだよ。君にも食べてもらいたかったんだ」

 引き攣りそうになりながらも、仁平は彼女に精一杯の笑みを向ける。

「気を遣わせてしまってすみません」

 対して彼女は口元だけ少し上げて、目の前のチーズケーキを見た。しかし、手をつけようとする素振りはない。今目の前にいる彼女はかつての美しさはまだまだ残しているが、かなり痩せて細ってしまった。

 ほとんど食事が喉を通らないのだろう。気持ちは分かる。彼女の元気がないその原因も、仁平は明確に分かっていた。

 あれは、彼女の精神を壊すには十分の事件だった。なにしろ、数時間前に例の事件の被告、黒中凪砂の死刑が執行されたのだから。

「……なぁ、気持ちはわかるけど、ちゃんとメシは食わないと」

「大丈夫、食べてますよ」

 彼女は力なく笑う。

「その体でか?」

 とても説得力のない、骨と皮だけの体。

「……少し痩せたかもしれないけど、私は本当に大丈夫ですよ」

「……そうか」

 何度も大丈夫を連呼する彼女に、仁平はもどかしさを募らせる。それを無理やり飲み込むように、勢いよく珈琲を口に流し込んだ。

 まるで通夜のような空気の中、仁平は思い切って口を開く。

「……実は、今日は話があって呼んだんだ」

「話?」

 彼女がゆっくりと顔を上げる。耳にかけていた長い髪が、さらりと揺れた。たったそれだけのことでも、仁平の心はいとも簡単にかき乱される。

「俺は、お前が好きだ。今のお前を見ていられない。俺に、お前を守らせてくれないか」

 正直、あの男への嫉妬心でどうにかなりそうだった。なにしろ、真っ向勝負の機会も与えられないままあの男は死んだのだ。あの男の存在は、正直仁平にとってはいい迷惑以外の何物でもない。

「…………ごめんなさい……私」

 彼女は戸惑うように、俯いたまま黙り込んだ。困ったような、泣きそうな彼女の表情に仁平の心は鷲掴みになる。

「わかってる。お前の気持ちはわかってるよ。気持ちの整理が着くまで待つから」

「…………私、今日はもう帰ります」

「送るよ」

 その言葉に返事を返すこともなく、彼女は席を立ち、喫茶店を出ていく。仁平は慌てて彼女を追いかけた。


 駅に着き、彼女は一度立ち止まって仁平に頭を下げると、頼りない足取りでホームへ繋がる階段を昇っていった。

 仁平はその小さな後ろ姿を見つめる。せめて電車が行くまで見送ろうと、反対側のホームに立つ彼女を見守っていた。

 彼女は俯いたまま、改札の近くに立つ仁平には気付いていない。

 ――カツッカツッカツッカツ……。

 ホームは電車を待つたくさんの人でごった返している。そのうち電車到着のアナウンスが流れ、遠くで踏切の閉まる音が聞こえてきた。

 どんどん電車の音が近づいてくる。

 そのときだった。不意に、彼女の体がぐらりと傾いた。傾いた彼女の細い体は、そのまま線路の中へ落ちていく。

 目の前の光景がスローモーションになって仁平の目に映る。

 ――ガタタタタタッッ!!

 仁平が名前を呼び終わる前に、彼女の体は電車に跳ねられ、骨が砕けるような音と共に宙に浮いた。

「おいっ!!」

 線路に飛び込みそうな勢いの仁平を、周りの人間が羽交い締めにして止める。

「きゃぁああ!!」

「人がっ!」

「女性が電車に跳ねられた! 救急車!」

 その瞬間、駅構内は騒然となった。

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