第10話 手芸さえあれば

「実はあの後…私はどうしてもニコラスがペリーヌに取った態度が許せなかったの。それでパメラに床の上に落としたランチボックスとロールサンドを拾うように迫ったのよ」


「え…?まさかニコラスの前でそれをやったの?」


ペリーヌの顔に驚きの色が浮かんだ。


「ええ。自分でも大人げないのは分っていたけど、どうしても我慢出来なかったの。それでつい…ね」


「それで?どうなったの?」


「もう散々だったわ。パメラは涙目で『ニコラス…アンジェラさんが怖いわ…』なんて言い出すのだから」


パメラの真似をしながら言った。


「何て汚い人間なのかしら…!」


ペリーヌは悔しそうに親指を噛んだ。


「そうしたら、今度ニコラスが『アンジェラッ!やめろっ!!』って私に手を振り上げてきたのよ」


「何ですってっ?!とうとうニコラスはアンジェラに手まで上げたのねっ?!大丈夫?何所を叩かれたの?!」


必死になってペリーヌが尋ねて来た。


「大丈夫よ、結局未遂で終わったから。実はね、私も叩かれると思って目を閉じたの。でも叩かれる気配が無くて…そうしたらニコラスの暴れる声が聞こえてきて目を開けてみたのよ」


「ええ。それで?」


ペリーヌが話の続きを促してくる。


「スーツ姿の見知らぬ男性がニコラスの腕を掴んで止めていたの」


「え?!そうだったの?!で、でも…あの有力貴族であるニコラスを止めるなんて…皆ニコラスが怖くて普通は手出しどころか口出しすら出来ないのに…」


「ええ。だから私も正直驚いたわ。しかも相当力が強かったみたい。だってニコラスはその腕を振りほどけなかったのだもの。そして私のランチボックスをわざと落としたのはパメラだって言ってくれたのよ。でも結局パメラはその事実を認めなかったけどね」


「そんな事を言われても認めなかったのね?本当にパメラって嫌な女ね。平民のくせにニコラスに気に入られているからって…あ、ごめんなさい。一応許婚である貴女の前なのに…」


ペリーヌが申し訳なさそうに謝って来た。


「いいのよ、気にしないで。大体私だってニコラスが許婚だなんて凄く嫌だもの。だけど私の身分からは婚約破棄するわけにはいかないし…ニコラスだって私の事を嫌っているから本当は婚約破棄したいはずなのよ。でも私との婚約は父親の命令だから歯向えないのよ」


「パメラは平民出身だから2人の結婚を認めるはずないものね~」


「仕方ないわ…きっと私とニコラスは将来形だけの結婚になるのでしょうね」


思わず溜息が出てしまった。


「アンジェラ…」


ペリーヌが悲し気な目で私を見る。


「大丈夫、私は平気よ。だって私には手芸があるもの。手芸は私の全て。これさえあれば生きていけるから」


笑みを浮かべてペリーヌを見る。


「そうね。いざとなったら逃げてしまえばいいのだから。その為にお店を始めるんでしょう?お金を貯めておけば安心して逃亡生活に踏み切れるものね」


「ええ。勿論その通りよ」


 前世の私は手芸作家として手芸好きな人たちの間ではちょっとした有名人だった。手芸本を出版したこともあるし、私の名を出せばそれだけでネットショップでは即完売となるほどだった。自分のブランドショップの実店舗を持つのが夢だったけれども、夢半ばで病に倒れて果たせなかった。


 前世の記憶を持って生まれ変わって来られたのはある意味私にとってはラッキーだったと思う。

 この世界ではまだまだ女性が仕事に就く事は難しく、学校を卒業すれば女性は結婚するのが当然とみなされている。だからこそ結婚は女性にとって人生を大きく左右するものだった。夫に恵まれれば幸せになれるし、そうでなければ悲惨な末路だ。

まさに私にとってニコラスは最悪な結婚相手ともいえる。


だけど…。


 もし自分で生計を立てられるとしたら?

最低な結婚生活から逃げて、誰も知らない土地に移り住んだとしてもきっと生きていけるはず…!


「あ!アンジェラッ!貴女の新しいお店が見えて来たわよ!」


ペリーヌが馬車の窓から外を眺めて嬉しそうに声を上げる。


「ええ、そうね!」


私も窓の景色を見つめた。


私の目には白い壁に赤い屋根の可愛らしい建物が映っている。


あれが…半月後にオープンする私の店、その名も『アンジュ』だ―。

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