第18話


 王妃ユリアはたくさんの侍女をはべらせて、エイミーの東の塔へとやって来た。


 国王の病が悪化してから、じわじわと権力を強めて来た王妃ユリア。


 エイミーは幼少の時から知っているのに、いつまでも若々しく美しい王妃である。


「アルベルト様、ご歓談中失礼致しますわ。朗報がありましたので、今すぐにでもエイミーの耳に入れなければと、私が直々に参りましたわ」


 ユリア王妃がわざわざ本殿から遠い東の塔へやって来る……これはただ事では無いとエイミーは感じた。


「ルイス王子の率いる遠征軍の出発が早春に決まりました。それによって婚礼が早まる事となりました」


「えっ! 早まる?!」


「一か月後に決まりました」


「一か月後!? そんな、まだエイミーの婚礼衣装も調度品も揃っていないのに……!」


 国王も信じられないとばかりに声を挙げた。それにより、国王の心臓がドクドクと高鳴りだす。


「ご心配なく。私の婚礼衣装と調度品をお使いになればよろしい」

「ユ、ユリア……! お前はエイミーに着古した衣装で嫁に行けと言うのかっ!……お前……あっ!」


「お父様っ!!」


 興奮し過ぎた国王の心臓が叫びを上げた。その場に崩れ落ちる国王を侍女が悲鳴を上げ、慌ててエイミーも駆け寄った。


「誰か! 国王を安静な場所へ!!」


 冷静なユリア王妃の手際よい采配で、女兵士に担がれて国王は連れて行かれた。

 急に倒れた父親にショックを受けていたエイミーはユリアの歌う様な声に顔を見上げた。


「……急なお話で不安に思うのは当然です。でも、大丈夫ですよ。貴女は向こうの国でも大事に大事に扱われて、誰にも傷つけられない場所で幸せに暮らすのですからね。明日にでも私の衣装を仕立て直しましょうね」


 倒れた夫の心配の気配など微塵も見せない王妃は、そう言い残すと再びたくさんの侍女に囲まれて去って行った。


「……お父様……!……リンゼ……!!」


 エイミーは父親の安否と早まる結婚に不安が押し寄せて、思わず愛しい人の名前を呼んだ。


 残された彼女のテーブルには、父親に飲んで貰おうと思っていたハーブティーがし過ぎて、おりを作っていた……。





 当然、結婚が早まった話は直ぐにでもリンゼの耳に届いた。


「一か月後!? そんな馬鹿な!」

「お前、ルイス王子を突いたんだろう? そのせいじゃないか?」


 ジミルの憶測は多分当たっているだろう。

 そして、ルイス王子の方が強硬手段を取って来たとしか言い様が無い。


「もうエイミー様をお迎えする日までルイス王子が来る事は無い。王子に何か不祥事を起こしたくても無理だな」


「……いや、王子なんか来なくても方法なんていくらでもある。……ジミル、今すぐにキューイを呼んで欲しい」


 ジミルは頷き慌てて探偵のキューイを呼んでくれた。そして、リンゼはキューイにある事を頼んだ。

 キューイは三白眼の目を丸くして「そんな事を??」と驚く。

 リンゼは頷き、


「頼む。町中の至る所……特に酒場と井戸のある広場で頼む」


 キューイは「分かりました」と言うと、再び城を去って行った。





 城内が突然早まった王女の結婚に大慌ての中、城下町ではある噂が異常な速さで広がっていた。


「――ねえねえ、聞いた? エイミー様の夫となるルイス様は、ユリア王妃と懇意こんいな仲だって事」


「ああ、聞いた聞いた! うちの亭主が酒場で聞いてきたって」


「なんでも、ご結婚なさるエイミー様を東の塔へと押しやって、ご病気の国王様も放って、お二人は逢瀬を楽しんでいるそうだよ」


「ユリア王妃も実はアグナ国に嫁ぐ前はハンナ人だそうだ。里心でついたのかねぇ」


「そうだよ、王位を継ぐシャルロッテ姫だって元々はハンナ人じゃないか。そんな娘が王位を継ぐなんて、間違っていると思わないか?」


「それに、なんでもエイミー様は側室としてハンナへ嫁ぐらしいぞ」


「ええー!? お姫様が、側室に迎えられるなんて奴隷国の姫と同じ扱いじゃないか!」


「――ハンナは随分とイギルを舐めたものだな!」


 話は酔っ払いの集まる酒場と、洗濯をしながら世間話を楽しむゴシップ好きの主婦たちの間で大きくなり、今やユリア王妃とルイス王子は不貞を働いていて、更にそんなハンナ出身の王妃の娘がイギルの女王になること。更にエイミーが側室として嫁ぐ事が町中に広がっていた。


 ……もし、通常の城下町だったら、警備隊が王家の根も葉も無い噂話を聞きつけた途端、噂を流した人物を探し出し、罰する事もあっただろう。


 しかし、今の警備隊はそれどころじゃなかった。


 それもその筈。

 急な結婚の準備……城下町の警備配置や花嫁行列のルート作成、当日のタイムスケジュールなどに大忙しで民衆を取り締まりをしている暇も無かったからだ。


 そして自由に飛び交う噂は、真実へ変化しつつ、一気に町に広まった。


 噂話が警備隊の耳に届く頃には、もはや町中の人間がエイミーの待遇と、ユリア王妃とルイス王子の噂を信じて収集がつかない所まで来ていたのだった。


 そして、その噂が王宮に入り込むのも必須で。噂をベッドの中で聞いた国王は怒り心頭のあまり、心臓が止まるかと思った。


「……っユリア! ユリアを呼べ!! 今すぐにだ!!」


 怒り狂った国王は妃を呼び出し、問いただした。

 ユリア王妃も全く覚えのない不貞話に「違います! 信じてください!!」と必死と首を振っても、


「お前とルイスがよく二人きりで話しているのを見ている臣下は山の様に居るのだ! 従弟だと思って、お前たちの関係を信じて居た私が愚かだった!! しかも、エイミーが側室だなんて……!!」


 国王は長年連れ添った妃に裏切られた恨みは計り知れなくて、その憎さは倍増し、ユリアを牢獄に入れるように指示をした。


 そして、急いでルイス王子をハンナ国から呼びつけた。

 王子もユリア同様に否定したが、


「ユリアとの関係だけじゃない。エイミーを身分の低い側室にするなんて、あり得ない事だ! ルイス王子、私と民の不信感が暴発する前にこの国と縁を切って貰いたい。貴殿もこんな情けない話をハンナの民に知られたくないでしょう?」



 ――ルイス王子は別にエイミーが手に入らなくても、大した痛手では無かった。

 しかし彼のプライドが、このまま引き下がるのを許さなかったのだ。


 ルイス王子は、その日イギル城から早馬を出して軍を寄越す様に連絡を入れた。


 ――こんなちっぽけな国などちっとも欲しく無かった。

 ただ、プライドが許さなかった。


 たったそれだけの理由で、ルイス王子は三千の軍隊をイギル国へと向けさせたのだった。




 ――リンゼは呼びつけられたルイス王子を注意深く見張っていたので、すぐに早馬がハンナへ行った事に気がついていた。


 状況が読めている者なら、この早馬の意味は分かっている。

 探偵のキューイは顔面蒼白で、ガタガタと震える。当たり前だろう。自分が蒔いた種が、戦争を生もうとしているのだから。


 しかしリンゼは臆する事なく、震えるキューイに言った。


「大丈夫です。想定内ですから」


 リンゼはキューイにそう言い残すと、踵を返し足を速めた。


 父親のエルレーン宰相の元へと急ぐために。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る