第53話「郷愁」


 その夜。

 みんなが寝静まった頃のことだった。


 寝ずの番ってわけじゃないが、いつものように寝転がりながら空を眺めていた俺は、頭越しに近づいてくる気配を感じた。


 勿論誰かは分ってたんで、そっちを見もせず俺は言う。


「――なんだアル、眠れねぇのか?」


「……ええ、まあ。……なぜか目が冴えてしまって」


 そう言いながら、アルは俺の隣までやってくる。


「ハハ、あるよな、そういうの」


 俺は暗闇の中アルを見上げ、声を抑えつつ笑って返した。

 一方のアルは、そのまま俺の右側に片膝を立てて座りこむ。


 珍しいこともあるもんだなと思ったが、俺は特に話すことなく夜空を見上げ続けてた。 


 ……たぶん、こいつにも色々思うところがあるんだろう。

 今日はルドヴィグから返信も来たことだし、先の事に関してとか色々――。







 沈黙は別に悪くなかった。

 俺は頭上へ視線を向けるのみだ。


 因みに、今夜は快晴。雲量ゼロ。

 空には満天の星が広がっている。


 夏特有の霞がかった様な夜空だが、ギラついた光源のほとんどないこの世界においては、たとえ今いるような平地だろうと文句のつけようのないレベルで、空の宝石を堪能できる。

 

 更には、今夜の月齢は3未満ってところ。とっくの昔に月は地平線に沈んで、月明りも全くない。


 まさに絶好のシチュエーション。


 生憎、林の中だから視界は少し制限されているが、それを補って余りあるだろう。


 こうしてキラキラと天上で瞬く星々を見ていると、音まで聞こえてきそうな気がしてくる。手を伸ばせば届きそうな感覚、とも言えるかな。


 いやあ、このレベルの夜空を地球で見ようとすれば、それなりの山に登らなきゃ無理なんだが。

 こっちの世界じゃお手軽に見れちまうんだからお得だよ、ホント。



 ただ、ここまで美辞麗句ばかりを並べ立ててはみたものの――。


 現実はそんなロマンティックな事ばかりじゃない、というのは覚えといてくれよ、諸君。


 まず第一に寒い。


 夏とはいえ晴れた夜は結構冷え込む。

 特に屋外にいるからその冷えがテキメンだ。


 因みに、この“晴れた夜の冷え込み”は、「放射冷却」っていう現象で説明されるが、なにも小難しい話じゃない。

 昼間、太陽によって大気中や地中に蓄積された熱が、夜、雲に遮られることなく宇宙空間へと放出されていく。だから冷える。


 なので、背中に布を敷いていても地面からは容赦ない冷たさが伝わってきて、そろそろ身体がツラい。それに、夜露で全身濡れてもいるから、加速度的に体温が奪われる。


 そう。

 夏の夜の第2の大敵は「夜露」だ。


 日中の気温が高く、夜になって冷える晴れた夏の日は、大気の飽和水蒸気量の落差が大きい。

 つまり、中学理科で言う“露点に達する”ってやつだ (詳しくは割愛するぞ?)。


 だから、大量の夜露が生じる。


 日が昇ればあっという間に蒸発しちまうが、夜間は全身がしっとり濡れるからしっかり対策しとかないと風邪をひく。

 その点では野宿の大敵でもあるな。


 特に今は、内陸とはいえ海に近くなってるから、空気中の湿度も高いらしい。「もうこんな濡れてたのか」と俺は感慨深く指をこすり合わせた。


 そうして指越しに見える夜空へ視線を戻しつつ、俺は1つ深呼吸をする。


 そうすると、嗅覚に訴えてくるのは濃密な緑と冷えた土の匂い。

 俺にとっては悪くない、むしろいい匂いだ。


 ハハ。


 なんだか笑えてくる。

 こうしていると段々、地面と融合しちまったような気になってくるんだよな。


 益体もないようなことを考えつつ、俺は無言で横たわってた。


 そんななか――。





「クロ」


「あ?」


 アルがふと、言った。


「貴方は、そうして時々夜空を見ていますけど、いつも何をしているんですか」

「んー?」


 その静かな声に合わせ、俺は言った。


「――まあ、言ってみりゃ……天体観測?」


「テンタイカンソク」


 アルは俺の言葉を片言で繰り返す。


「そ。恒星とか惑星の運行を観測する。……まあ、ボケッと適当に眺めてるだけだが」


「……」


「あ、すまん。……えぇっと、ちょっと待ってくれ? どぉっから説明したもんか――」


 俺は何気なく言葉を放っちまったが、アルから不満げな空気を感じ取り、慌てて言った。俺はそうして場を取り繕いつつ、思考を巡らせる。


 この世界の、この時代において、一体どんな理解で“宇宙”というモノが語られているのか知らないが、絶対に俺の知ってる知識とは隔絶していることだろう。


 たぶん名前が違うだけで惑星の特定とかはされてるだろうし、この国にもこよみとか時計とか (って言っても日時計や水時計だが、それでも)しっかりあるから、そのレベルの観測は既にされているだろうが……。

 

 ……しかし、“恒星の実体夜空の星々は、はるか遠くにある太陽の仲間だ”なんていう話は、到底理解しにくいのは確実だ。


 俺は数秒迷った末、額を抑えぼやいた。


「ハァ。――やるしか、ねぇか……」


 そうして矢庭に起き上がり、俺は人型を崩して本性になる。そしてアルへ向き直り、念話で言った。


『同化していい? 深いやつ』


「いいですが、説明を求めます」


 ……正直、俺的には「裸になって?」よりもヤバいこと言った認識なんだが。

 アルは表情も変えずに頷いた。


 おいおい、同化自体には躊躇の欠片もねえな。俺が言えた話じゃねえが、思考を覗くなんて、最大のプライバシーの侵害だぞ?


 だがひとまず、話が進まないんで俺は言った。


『……お前が知りたい知識は、あまりにも非現実的過ぎて、説明が難しすぎんだよ。俺のイメージを直接伝えてやっから、ちょい頭貸せ』


「わかりました」


 相変わらず淡々としながらも、知的好奇心に対して躊躇の無い相棒へ呆れつつ、俺はアルに同化した。


 そうしてどうにかこうにか、俺の知識でいう“宇宙”というモノをできうる限り伝えてやったのだが……。




「……」


 その作業が終わり、俺が同化を解いて実体を構成している間、アルは新しい知識を処理しきれない感じで頭に手をやっていた。


 俺は言った。


『な? すごい世界があるもんだろ』


 アルは幾分戸惑いながら言う。


「……俄かには信じられないですが、少なくとも貴方の世界では事実のようですね」


 お。


 端から拒否しないあたり、ホントお前は思考が柔軟だな。

 若さゆえかねぇ。


 俺は、獣型から再度人型に戻りつつ、アルの言葉へ頷いた。


――そうして俺は、いつもの如く余計なことまで言っちまう。


「海の向こうの大国が大物映画監督と共謀してたり、世界の天才たちが結託して証拠を捏造してたりしない限り、まあ、本当だろう。――あ」


 またやっちまったー。


 しかし、今度はアルの反応が違った。

 一瞬、質問を発しそうになったが、寸でのところでやめたらしい。

 

「……ひとまず、さっきの知識から凡そ推察できるのでいいです」


 アルはそんなことを言うが……。


 あれ?

 俺、そんなところまでお前に教えたっけ?


 意識的に俺がアルへ伝えたのは、約138億年前のビックバンから始まり、約46億年前の太陽系の形成とその進化。そして、地球とその衛生・月の形成過程として最有力なジャイアントインパクト説について、イメージ映像付きで概説した感じだ。


 いや、ホントかる~くな?


 俺も相対性理論がどうのこうのなんて専門的な知識はねえし。



 というわけで、しばしの沈黙が流れたが、それを破ってアルが言う。


「それで?」

「?」


「――今の流れで、貴方が空を見上げていた理由は分りました。つまりこちらでも、貴方の知識が通用するか確認していたんでしょう」


 うわぁお。


「その結論は、出たんですか?」


「さっすがアルちゃん、オミトオシ」


 俺は察しの良すぎる相棒に気分を良くしつつ言った。


「ひとまず、恒星の運行は怖いくらい地球の北半球と一緒だな。観察を始めてまだ半年弱だし、そんな正確に記録取ってるわけじゃないが、日周運動も年周運動も大体一緒」


「――ま、とはいえこれは1日が約24時間、1年が365日前後って時点で確定だったわけだが」


 そう言いながら、俺は再度寝転がって頭上を見上げる。


「……なんと、この世界の北極星も見つけちまったよ。ありえねぇ。惑星の数も目視で3つ火星、木星、土星。ついでに、明けと宵の明星金星もあるから、合計4つだな」


 俺は苦笑しながら「地軸の傾きも23.4°ってか? 確かめる気はねえけど」と言う。


 アルは静かに言った。


「――ですが、それ以外の星の位置は、違うようですね」


 俺はその言葉に、「うわ」と軽く引きつつ、傍らへ目をやった。


「……なんでわかんの」


 それに対し、アルは俺を見下ろして言ってくる。


「さっき見せられた記憶の中で、貴方が見上げていた星空が全く違ったので」


 うわぁ。

 嘘だろ、おい。


「……正直引くわ。普通見ねえし、気づかねえだろ、そんなとこ」


 俺は本格的に引きつつ言ったが、アルは多少顔を顰めて返してくる。


「……そのが見えた瞬間、とても強い違和感があったんです」


「……」


「やはり、今まで何気なく見ているだけでも、記憶には刻まれているようですね」


「……まぁな」


 そのアルの言葉に、俺は色んなモノを吞み込みつつ、短く返す。

 幸い今夜は真っ暗闇に近い。俺はなんとか誤魔化しきったと思ったんだが――。


 アルは、仰向けの俺を再度見下ろし、言った。


「――貴方にとっては、もっと酷い違和感が、あるんでしょうね」


「っ」


 俺は思わず目を見開く。

 そうして数秒沈黙し言った。


「……やぁっぱ、お前はスゴイね。全部、お見通しだ」


「――今更気づいても」


 そう返したアルの声音は、俺の軽い言い方に反して苦々しい。


 一瞬、アルがどういう含意で先の言葉を言ったのか、それが掴めなかった。だが、自己評価の低いこいつが自画自賛するはずもなし。


 なら、答えは1つだろう。


 俺は思わず苦笑して言った。


「おいおい、なにお前が自分を責めてんの?」


「……違います」


 ハハ、言葉で否定したって無駄だろうがよ。


「俺が好きでやってたことだ。なんらお前が気にすることじゃねーよ」


「……」


 そう返してやれば、アルは黙り込んで視線を逸らす。


 おーい。せっかくこんな満天の星が見えてるんだから、どうせなら上見ろ、上。ま、未だ不夜城のないこの世界じゃ、この程度の星空、珍しいことじゃねえんだが。


 そんなことを脳内で呟きつつ、俺はなんとなく口を開いた。


「……お前が気づいた通り、俺はこの星空を見上げるたび、異世界にいるんだ、ってことをこれ以上なく実感させられる」


「……」


「――別に、前世で専門に学んだわけじゃねえし。正直、星の名前や星座の配置もうろ覚えではあるんだが。……それでも」


「……」


「やっぱ、全然星の配置が違う空を見上げていると、時々どうにも、な」


 そう言って、俺は一旦口を閉じた。



 だが、闇の向こうの窺うような気配を知ると、どうにも口端を崩しちまう。どうやらアルは、一所懸命言葉を探しているようだが、適切なモノを見つけられないらしい。


 俺は遂に堪らなくなって、揶揄う調子で言った。


「でも一方じゃ、地球との共通性を見つけては愚痴ってんだ。有り得ねえ! ってな。……どうか笑ってやってくれ」


「……」


 ありゃ、ダメか。


 俺はこれでも、自己の矛盾を渾身のネタにしたつもりだったんだが……。

 アルはピクリとも笑わずに、眉を顰めたまま言った。




「……貴方は、元の世界に戻りたいんですか?」




 その突然の問いに、俺は多少面食らう。


「いや。そういう訳じゃない、と思う」


 そう反射で返しつつ、俺は言った。


「お前に会って以降は、すげぇ楽しく過ごせてるし。それに――」


 それに。


「――あっちの世界で、俺は1回死んでるからな」


「!」


 アルが目を見開いているだろうことは見ずともわかった。そして次の瞬間、後悔にも似た感情を発し始めたことも伺えた。


 ……俺はなるべく何気なく言ったつもりなんだが。

 やっぱ無理か。


「……きっと俺は、戻るに戻れねぇんじゃねぇか?」


「……」


 そう続けて、俺は笑みさえ浮かべてアルへ言ってやった。


「だから、これはただの郷愁だ。そして純粋な知的好奇心。……お前が気に病むことはなーんにもねえよ」


「……そうですか」


 それでもアルは、無表情ながら重々しい雰囲気を醸し出してるんで、俺は呆れて言った。


「――お前、俺がさっき言ったこと聞いてた?」


 そうして俺は、頭上の星に目を遣りつつ言う。


「俺はお前と会って以降、結構楽しく過ごせてんだよ」


「……」


「ほれ、詰まんねぇこと考えてないで星でも見上げろ。そして寝ろ」


 俺が手を振って促してやれば、アルはようやっと動き出す。


「……その言い方に不満はありますが。……わかりましたよ」


 そう言って、アルは大人しく寝転がった。





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