第33話「バスディオの災厄」

視点:3人称

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 オルシニア南部――カルニス地方には霊峰がある。


 その名もバスディオ山。


 火の神バスディオの名を冠する高く険しい山だ。


 その名の通り神が宿ると畏れられ、草木も生えず無機質なゴツゴツとした岩だけが露出する山肌は、生命全てを拒絶するかのような厳しい1面を見せている。


 また実際、鳥も獣も山には近づかず、あるいは、不用意に踏み入った人間が意識を失い、そのまま死に至った例は枚挙に暇がない。


 加えて、500年ほど文献を遡れば「神の怒りで山が火を噴いた」といった記述も見られ、併せて「燃え滾る岩が一帯を焦土と化した」とか「日の光が衰弱し、黒き雨が降った」とか、後世にも永くその被害が伝えられている。


 特に、その頃この地域を支配した王朝が悪政を敷いていたこともあり、その前後の数年を“暗黒時代”と呼称することさえあるほどだ。


 それだけの被害を“神の怒り”として与えたバスディオ山は、だからこそ霊峰として今も崇められている。


 また、麓の村では「バスディオ様の御姿を見た」などと言い出す者も時々おり、未だ真偽は不明だが、カルニスを訪れる者がいれば「赤く輝くというその御姿を一目見たい」と願うのが一般的だろう。


 そうした積み重ねが、バスディオ山への篤い信仰の根幹を形成していた。






 そんな霊峰バスディオ山を有するカルニス地方だが、一方でこの地域は西のイルドアに次ぐ豊かな農業地帯という側面もある。


 特に、イルドアが穀物の生産を担うのに対し、カルニスは果実の生産を主とし、また畜産業や酒造も盛ん。一点特化のイルドアとは違い、その多様な産物がカルニスの特色となっている。

 また、土地柄も外向的で、文化も派手々はではでしく開放的な雰囲気が随所にみられる。


 そんな土地だ。





 しかし近年。


――バスディオ様がお怒りになっている。





 

 そういった噂がこのカルニスでまことしやかに囁かれるようになっていた。


 そのきっかけとなっているのが、3年前から度々起こるだ。


 大陸の際極東の島国とは違い、このオルシニア王国で地揺れは珍しく、滅多にあることではない。

 にも拘らず、カルニスで地揺れは起こり続け、しかも次第にその間隔が、かつ揺れはなってきている。また、「バスディオ山に地揺れが段々」と言う者もいた。

 

 3年にわたって続くこの不可解な事象に、未だ大きな実害はないものの、カルニスでは混乱が広がり続けており、既に見過ごせない影響も各所に出始めている。


 例えば、カルニスの民――主に町人階級や富農などだ――が“バスディオの災厄”を恐れ、周辺地域に流出しているのだ。

 これにより、その先の地域で物価や地価の高騰が起こっている。


 また、この動きが仮に一般農民にも波及すれば、カルニスの主要産業の担い手が離散し、農地の荒廃につながりかねない。第一、カルニスに入る行商人産物の買い取り手が減っているため、既に農民の生活には悪影響が出ていた。

 懸念が現実となるのは時間の問題だ。


 更には、出回る噂の中に「現国王の治世に問題があるのでは」といった過激なモノも混じるようになっている。


 500年前の“暗黒時代”に由来した根も葉もない話であり、これといって今の治世に問題はない。だが、こういった声を放置すれば、王家への不信が高まり、あらゆる方面に飛び火しかねなかった。


 カルニスの領主らや騎士団らは、地揺れが起こり始めた3年前から今に至るまで、なんとか対応にあたっていたのだが、遂に押さえられないと判断。


 数日前から、事の次第を王へ奏上すべく準備を整えていたのだが……。




 そこに――。

 つい先日、更なる急報が飛び込んできたのだ。




 それは「バスディオ山、山腹から“黒い噴煙災厄の前触れ”が上がった」というしらせだった。



 

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――丁度その頃。

 バスディオ山、中腹。




 白みの強い岩がゴロゴロと転がるそこに、長大な身をくねらせ、


『あ奴ら、また無駄なことを』


 驚くことに、その魔物は念話を発しながら、その赤く輝く身を軽やかに地に伏せる。


 その魔物の全長はおよそ30 m。

 細長い胴に短くも図太い手足。面長い頭部には捻じり曲がった2本の角と、口元を縁取る長いひげ。身体には爬虫類の鱗を纏い、それが発する熱が周囲の空気を揺らめかす。


 要は、地球で言うところの“空想上の生物”だった。


 ただし、水神ではなく、さながら“火の神”とでも評すべき雄々しい姿。


 まるで燃えているようなたてがみは黒から赤へのグラデーションが美しく、また、黒と金の混じった龍眼が周囲を睥睨する様には畏怖を感じさせる。


 麓の村で時々目撃されるという“バスディオ様”。

 その正体がこの魔物だった。




 そして、その龍が向ける視線の先にあったのは――。


 うずたかく積まれた供物――豊かなこの地の農産物や絹織物といった、一般庶民としてはなけなしの贅沢品。


 恐らくは、バスディオ山を神として崇め、カルニスの地から動くに動けない農民らが一縷の望みをかけて掻き集め、運んできたものなんだろう。


 しかも、このような供物が捧げられたのは今回が初めてではない。ただでさえ、カルニスに入る行商人が減り、困窮している農民らにとっては決して軽々しく捧げられるものではないだろう。


 そんな彼らの必死の願いは、人外である赤龍にも多少窺えていた。

 だが、それを承知したうえで、まるで聞き分けのない子供を想う顔で呟く。


『我に縋ろうと、結果は変わらんのだがなア』


 そう言って、姿を一瞬にして――美しい赤髪に中性的な見た目のその人物は、あおの双眸を、噴煙吹き上げるバスディオ山、山腹へと向けた。

 

「あ奴らには悪いが、此度の災厄は――」


 そう言いかけ――。


「……詮無いことだな」


 諦めるように、そして冷酷に切り捨てるように言葉を打ち消し、その人物は瞑目した。





第33話「バスディオの災厄」

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