玄の章

第1話「オルシニア」


 春の穏やかな日差しの中、旅装の男2人がとある山中を進んでいた。


――ただし、おびただしい小型の魔物に襲われながら。


「……お前、ぜってぇ嘘ついてるだ、ろ!?」


「なんのことかわかりません、ね」


 男たちは素っ気ない言葉を交わしながら、鬱陶うっとうし気に、そして無造作に、襲い来る魔物を排除していく。


 ちなみに2人の内、片方はここらでは珍しい黒髪黒目。もう片方も人目を惹く色彩で、鮮やかな金髪に翡翠のようなみどりの瞳。


 彼らはどちらも似たような旅装を羽織り、旅路を共にする同行者なのだろうとうかがえる。


 ただ、現在の彼らは絶賛、魔物との戦闘中だった。


 黒髪の方は特に武器もなく、すべて両の手と足でさばいている一方、金髪の方は使いこまれた諸刃の剣を慣れた動作で振るっている。


 しかも驚くことに、四方八方から迫る敵に対し、彼らはほとんどノールックだ。加えて、互いに至近距離にいながら、危なげなく対処し続けている。


った!? アル!」

「チッ」


 どうやら黒髪の男が硬い魔物に当たったらしい。


 外見は大きな甲虫類。

 見るからに硬度が高いとわかるその魔物に、さしもの男も音を上げる。

 

 言い争いもそっちのけ。

 端的なやりとりのみで、彼らは互いの位置を入れ替えた。


 そうして、アルと呼ばれた青年は、身を翻すその遠心力を上手く利用し、手持ちの剣を見事に振りぬく。


 質素な旅装に似合わぬ綺羅々きらきらしい長めの金髪が、動きに伴いパッと散る。


 標的の魔物は当然のように、その外骨格を割られ死体となって地に落ちた。


 一方、体を入れ替えた素手の方――黒髪の男は、踏み出した足を軸に躊躇ちゅうちょのない回し蹴りで相方の背後を守り切る。


 慣性に従い、数体の魔物小動物が木々の向こうに吹っ飛んだ。


 彼らは絶えず動きながら片方は剣を、片方はその四肢を振るい、時に左右を変えながら、次から次へと飛び出てくる小動物を叩き伏せる。


 その連携に危なげはなく、やり取りも最低限。

 動きに慣れているというよりも、互いの考えが互いに動きだった。


 一方、襲ってくる魔物の外見は様々。

 小型の鳥類やイタチのような獣。あるいはヘビといった爬虫類にデカい昆虫、などなど。


 姿形はほぼ普通の生物と変わらないが、唯一違うのはそれらが“この世界特有のエネルギー”を帯びていること。


 中には巨大化していたり、鳴き声や羽音に魔力を纏わせ攻撃したりするモノもいたが。


 言ってしまえばそれだけだ。


 一般人には目をくような話だが、彼ら2人にとっては「鬱陶しい」以外の何物でもない程度。


 ただ、そう。

 ひたすらに、わずらわしいのだ。


 黒髪の方は、既に苛立ちが限界に達しているらしい。拳を振るいつつ、この地域ではあまり見ない黒い瞳をすがめて言った。


「こんな、悪路が、王都へ向かう正式な道程なわけないだ、ろ! 明らかに関所破りの獣道じゃねぇ、か! しかも一般人は死ぬヤツ!」


 先程の言い争いの続きだ。

 対する金髪の方は息も乱さず、さらりと返す。


「今頃気づいたんですか」


 ドシッという打撃音、続いてザンッと剣が振りぬかれ、小型の獣が数頭まとめて地に落とされる。


「っ。……お、ま、え、はー!」


「何か不都合ありますか」


 遂に男が牙を剥くも、剣を持った方――声音からしてまだ青年だろう――が、冷淡に返す。その瞳は澄んだ翠。顔の造作も整いすぎるほど整っており、それが無表情に言う様は、美声も伴い必要以上に他人をあおる。


 憤懣ふんまんやるかたない、といったていで男は叫び返した。


「大ありだよ! 現に俺の体力が尽きそうだよ!」


 そう言いながら、彼は頭上から襲い掛かってきた鳥型を踏み込んでかわし、返す身体で蹴り叩く。


 一方、青年も地面から飛びかかってきた小動物と爬虫類をまとめて切り払いつつ、「ハッ」とせせら笑って言った。


「あなたこそ嘘言わないでください。こんな程度で膝を突く体力なわけないでしょう」


「まーそうだけ、ど!」


 男もまたあっさりと前言撤回し、今度はデカい猛禽類の爪を横に躱して拳を振るう。


 彼らが粗方襲い掛かってくる魔物を排除し続け数分後――。




 ひたすら煩わしかった作業もようやく落ち着き、彼らは多少被った血や汚れを払いつつ、態勢を整えていた。


「ふうぅ……。――そもそも、こんなに小型のヤツが大挙して襲ってくるのはなんでだよ?」


 整える息の乱れも全くなく、それでもわざとらしく息を吐く黒髪の男。


 ちなみに、その薄い旅装の内側に覗くのは、上から下まで黒一色の衣服。身に着けている装備自体は貴族の従者といった感じだが、時々ちらりと見える硬質な銀色のアクセントが人目を惹く。


 また、男自身のスタイルも抜群に良い。身長は180 cm以上はあるだろう。スラリとした体躯は細身に見えるが、先ほどまでの近接戦を見るに力も速さも不足はない。特に、反射神経と瞬発力には目を見張るものがある。


 ただ、黒髪黒目、少し色の濃い肌、顔の造作からすると異国人日本人だ。――にも拘らず、発する言葉はこの国――オルシニア王国で広く使われるそれと同じ。しかも、元から母国語だったかのような流暢りゅうちょうさ。


 旅人にしては変に身ぎれいな外見と合わせ、なんとも首を傾げる要素も散見される。


 一方、その同行者たる青年はといえば。


 まるでよくできた人形のような容姿と色彩ではあるものの、こちらは長い距離を移動してきたと分かる程度に薄汚れ、装備も旅人相応の一般的なモノ。


 手元の剣から慣れた動作で血を払い、腰元の鞘に納めた彼は、次いで、何か戦闘中に掠ったのか、の片方に触れていた。


 ちなみに、青年も身長は明らかに180 cm超え。隣に立つ黒髪の方よりも若干高い。


 特に疲れているような素振りもなく、「なぜこんなにも襲われるのか」という問いに、彼は溜息交じりに躊躇なく言った。


「それは恐らく、あなたのせいですね」


「はぁ?」


 青年の返答に、短く憤慨した男だったが、続く言葉に押し黙る。


「明らかに魔物が興奮している――いや、これは恐慌状態と言っていい。大方、あなたという存在が力の弱いモノにとって刺激になっているんでしょう。もう少し魔力を抑えられないんですか?」


「……」


 男にとっても一理ある言葉だったらしく、ぐうの音もでないといった様子。

 対する青年は、耳に触れていた手を下ろしつつ、関心も低そうに言った。


「あるいはいっそ、威圧したらどうです。姿なら迫力もある。少なくとも小型はそれで近寄ってきません」


 経験則に裏打ちされているのだろう青年の言に、今度は男が言った。


「…………でも、その場合、今度はヤバい奴がこっち来ちまうんじゃないの?」


「……」

 

 青年は押し黙った。


 ついでに静かに逸らされた視線からすると、実際彼も過去があるらしい。


 男は確信しつつ、未だ試していなかった自分を称賛した。


 なお、半ば「面倒! 本性晒そう!」と決断しかけていたことはそっと棚に上げている。


「――っていうか、そもそもなんでお前はこんな道選択したんだよ。こんなに襲われてんのはそのせいでもあるだろうが」


 「街道沿いはいくらなんでもこんなじゃないんだろ?」と続いた男の問いに、青年は眉をひそめて言った。


「……そちらはそちらで何かと面倒なんですよ。北の森からは遠回りでしたし、関所では一々面通ししないといけませんし」


 わかるでしょう、とでも言いたげにを指し示す青年。

 その表情は鬱陶し気で、街道に出ることが、魔物に煩わされるよりも更に煩わしいと、雄弁に語っている。


 もちろん一般論では正規の道を行く方が何十倍も安全、かつ、総合的に面倒は無いのだが。


 しかし、青年に限っては実際、そうとも言えないのだ。


 事情を幾分知っている男は、その急激に下降した相方のテンションに内心慌てながらも、言葉を探して言いよどむ。


「ああ……。ええっと、なんだ。……ご愁傷様?」


 結局のところまともな言葉も出なかったが、青年は間もなく独り勝手に持ち直し、先と変わらない、淡々とした態度で言った。


「とにかく、このまま目的地を目指すしか手はないので」


 そうして進行方向に向き直り、歩みを再開させた青年。

 それに続きつつ、男も頷いて言った。


「まあ、そうだな。……しっかし、楽しみだ!」


 ちらりと金髪の陰から視線を向けた青年に、男はニヤリと笑いかける。


「いい加減この国、というか、この世界の文明が見たくてしょうがない。ここまでずっと道なき道を進んできたからな」


 声からもその興奮が窺える様子に、青年は嫌そうに眉を顰めたようだった。


「……精々迷子にならないでください」


「ならねえよ!」


 要らぬ忠告を受け憤慨した男は、しかし実際のところ本人が自覚している以上に浮足立っていた。


 それを察している青年は、目的地に着いて以降の新たなる煩わしさを想って嘆息する。



 そんなやり取りをし続ける2人、その視線の先には――。


 三重の城壁に囲まれた華々しい都がようよう見えてきていた。


 それはこの大陸随一の国――オルシニア王国の中心地。

 威風堂々とした王城を仰ぐ、その王都。




 “大陸の華”と詩に謳われるその都が、彼らの目指す目的地だった。




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 そして、数時間後。

 ようやく検問を抜けた旅装の男2人が城門を背にして立っていた。



「これが王都かー。やっぱ、それなりにデカいなァ」


「あんまりキョロキョロしないでくださいよ。僕が恥ずかしい」


 感動の声をあげた黒髪の男は、物珍し気に周囲に視線をやっている。それに対し、中々に辛辣な事を口にした青年は、先ほどまでと違い、外界を遮断するように外套のフードを目深に下ろしていた。


 せっかくの美貌も綺麗な髪も、そして周囲の人間たちとも、すべてが薄い生地の奥。


 辛うじて覗くのは口元のみ。


 一方、感動の声をあげた黒髪の男以外にも、彼らの周囲では何人かが興味津々で、あるいは不安げに王都の街並みを見回している。


 確かに、王都の関所であるここでは、旅人や商人、近隣住民が忙しなく行き来していて、まさに大国オルシニアの首都、その玄関口にふさわしい賑わいだ。


 鮮やかで華やかで雑多な様相は、初めて見る者を魅了するだろう。


 しかし、それらをあまり見回していると一目で田舎者とわかるし、運が悪ければにされるため、控えたほうが無難ではある。


 王都と言えど、華やかさに伴い治安が不安定になるのはどこであっても同じこと。


「でも、これはしょうがねえだろうが。俺がある意味“おのぼり”なのはホントのことだしぃ」


 青年に苦情を言われ、男は体格のわりに稚気のある口調でそう返す。加えて、相変わらず物珍しそうに周りを見回すのは止めてない。


 フードを被った青年は、その陰から鬱陶しそうに見遣るのみだ。



 やがて、彼らも周囲の人波に沿って歩き出していく。


「まったく。……改めて思いますが、なぜ僕がこんな状況になってるんでしょうね」


 思わずといった呟きがフードの中から零れる。その声は、鈴を振ったように軽いのだが、いかんせん紡ぐ言葉に棘がある。


「それはいくら言っても無駄だぜ? なんたって――」


 一方、黒髪黒眼、一見して年齢の読めない男が、数歩先から相方を振り返り、口端を上げる。


「――お前が俺を張本人、なんだかならな」


 そうして視線を前方に戻し、肩を竦めて言い放つ。


「ついでに言えば、俺とお前はだ」


 そう言って意味ありげに笑む様は、男の抜群のスタイルもあり、妖艶といっても良かった、のだが。


「……その表現、やめろ。……気色悪い。鳥肌が立ちました」


 フードを目深に被った方が、盛大に顔を顰めて否定する。


「ひでえ言い様だな、おい」


 男はガクリと肩を落とし嘆いたが、しかし、実際は大して傷ついていないらしい。


 あっさりと持ち直し、雰囲気を切り替え言った。


「で? このまま、あのバカでっかい城に向かうのか?」


 男は顎をしゃくって前方を示す。


 ちなみに今彼らは、北から南へ縦断する大通りを下っている。その先にそびえる目立つ建造物――彼いわく、バカでっかい城、を指しての問いに、青年は言った。


「まさか。王への謁見ですよ? こんな埃臭いなりで王城に通されるわけがない」


 フードで遮られてなお整った美貌がうかがえるその相方は、呆れている声音を隠す気もないらしい。


 対する男も慣れている。気分を害すことなく言った。


「んじゃあ、宿でも探す?」


 周囲に視線を向けながらのてきとうな提案に、青年は首を振りつつ言った。


「……僕の身分は既に説明しましたよね。さすがに王都に住居くらいあります」


 溜息交じりのそんな返答に、男は何気なくもストレートに言った。


「そうなの? 俺はてっきりそこらへんもされてんのかと思ってたぜ」


 本気で言っているのだとわかる様子に、フードの青年は今度こそ嘆息する。


「あなたもズケズケ言いますね」


「ハッ、お前にだけは言われたかねえよ」


 普段のお返しとばかりに皮肉を放ち、容姿だけでなく、服装まで黒づくめの男は楽しそうに笑う。そして小首をかしげ、彼は言った。


「そんじゃあ、おまえんち、案内してくれよ? アルフレッド」


 周囲の喧騒に引きずられたようなその上機嫌な声音に対し、応える青年は、感情の籠らない声で誰にともなく言った。


「……“自分の家”と思ったことはありませんがね」






第1話「オルシニア」

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