ワールド・スイーパー
――あれから、また長い時が過ぎた。人のままの感覚では気が遠くなってしまうほどの永劫にも思える歳月の彼方でニャーン・アクラタカは過去を振り返る。
彼女はズウラの愛を受け入れた。守界七柱の一員となった直後、母星の惨状を知り絶望しかけた心を救ってくれた最も温かく優しい祈りに応えて彼という人間の伴侶になり、妻としてそれなりに長い時間を共に生きた。
夫と、そして彼の妹である親友と一緒に生きた数百年は彼女にとって最も幸せな時代だったと今でも言い切れる。夫との間にできた子供とその子孫達もずっと見守ることができた。
けれど、人の心はやはり長すぎる人生に耐え切れなかった。粘り強く添い遂げようとしてくれた夫も結局は結婚から千回目の記念日を迎えるより先に死を望むようになってしまった。
けして荒んでいたわけではない。ただ何度も謝りながら精霊との同化を解除すると、老化を再開してやがて申し訳なさそうに逝った。
『すまないなあ……もっと、一緒にいてやりたかったんだが……』
あんなに謝らなくても良かったのにとは思う。別に彼と夫婦になったことを後悔はしなかったし不幸でもなかった。別れの瞬間にも彼女は本当に感謝し続けていたのだ。ちゃんと伝わっていたのだろうか?
彼が亡くなってから十年としないうちにスワレも『ごめんね』と言って同じ決断をした。けれど、彼女の場合は最後にこうも言ってくれた。
『とても楽しかったわ、ニャーンちゃん』
自分も楽しかったと答えた。プラスタが亡くなった後、彼女だけが唯一にして最高の親友だったから。他の人々はどうしても彼女を神としてしか見てくれなかった。
プラスタの記憶から生まれた幻影も今はもういない。フェイク・マナの記憶保存能力には限界がある。だからコピー元の魔素に比べて劣化していると断じられたのだ。あまりにも長くニャーンが生きすぎたから、その分だけフェイク・マナに蓄積される情報も増えていき、やがて彼女の記憶も上書きされてしまった。
ただしプラスタの記憶のみ特定して保護することもできた。そうしなかったのは、やはり彼女の意志。やっぱり、共に過ごした時間が千年を越えた頃に疲れたと言われた。先に行って待っているから終わらせてと。
その願いを聞き入れ、見送った。今頃はきっと本物のプラスタと共にその場所にいる。
狭間の世界。死後の世界などとも言う。
時間の理から隔離された空間。全ての死者が行き着く場所。ケナセネスラが教えてくれた、必ず魂はそこへ還る。次の人生に進むまでの準備期間として。
現実の時間の流れに関係無く存在するというそこには、今も本当に死に別れた家族や友人達の魂が留まっているはずである。たとえすでに生まれ変わっていても関係無い。狭間の世界にいるのは次の生へ進む前の彼等や彼女達で、たとえニャーンがこの先さらに数千数万、あるいは数億数兆の時間を生き抜いてから死したとしても必ず会える。
だから彼女は心配していない。いつかまた会えるのだから寂しいとも思わない。本当は寂しくて不安でも、まだ今は平気。もっとずっと遠い未来まで歩んで行ける。
幸い、あの時代の仲間はまだ残っていて、常に支えてもらえているのだ。
だから大丈夫だよ。今日も自分に言い聞かせて鏡台の前から立つ。
寝室を出ると早速彼が待っていた。
【今日もお綺麗です】
「ありがとう、キュート」
ここはズワルタの第六大陸にある森の中。そこに建つ、ほとんど知る者のいない邸宅。ズワルタに滞在する間は大体ここに籠もっている。
人口が増えたので外を歩くと大変なのだ。身動き取れなくなってしまう。たしかに自分は神様としては気軽に付き合える部類だと思うけれど、だからってプライベートな時間を全て彼等との交流に費やしてなんかいられない。だいたい拝まれ祈られ無茶なお願いをされて一日が終わってしまうだけだし。
しょうがないので、こんな辺鄙な場所に屋敷を移した。たしか七百年くらい前の話。
そのうち自分の顔を覚えている者がいなくなった頃、普通の人間のフリをして紛れ込んでみようかな、などとは考えていたりする。ただ、その場合は仮面を外さなくてはいけないのが悩みどころ。顔の右半分は今も白い仮面で覆い隠している。
彼女は傷を消さなかった。顔の火傷も手足の欠損もその他の傷も全て消そうと思えば消せるものだけれど、あえて残したかった。これは自分が神になるため努力した証だから。傷を見ると、いつでもあの時の気持ち、初心を思い出せる。
それに夫の愛情はこれらの傷を見ても変わらなかった。それも彼との結婚を決めた理由。最後はちょっと残念な別れ方だったけれど、だとしてもやはり素晴らしい伴侶だったと今でも思う。まだ愛していると告げることができたら喜んでくれるだろうか? そうだと嬉しい。
キュートと共に廊下を歩き、玄関から外に出ると、もう一人のあの時代からの仲間がやはり出て来るのを待っていた。退屈そうにアリの数など数えている。
「お? やっと支度が済んだか」
「いいかげん学んでください。女の子は身支度に時間がかかるものです」
「お主なら何もせんでも良かろうに」
「誉め言葉なのはわかっていますが、そういう問題じゃありません」
まったく、この相棒はいつまで経っても乙女心がわからない。そういう面では見かけ通りの十代の少年のまま。
「いいですかアイム。何度も言っていますが、女の子にとって身なりを整えることはですね――」
「ああもう、ええわい、ワシが悪かった。面倒だから説教はやめてくれ。お主、近頃ますます話が長くなっとるぞ」
「えっ、そうですか?」
「自覚しとらんからタチが悪い。とにかく謝る、もう行くぞ」
「むうっ、そういうなあなあで済ませようとする態度も駄目なんですよ。でもたしかに、お仕事は早く始めないとですね」
でないと一つの星が破滅してしまうかもしれない。
あるいは、それ以上の災厄に繋がるか。
「今回も厄介な案件らしいな」
「はい。でも私達なら大丈夫です、また三人でパパッと解決しちゃいましょう」
【私とニャーンだけで十分だと思いますがね】
「やかましいわ鳥公。そもそもお主、もうワシに勝てんじゃろう」
【貴方は強くなり過ぎたのですアイム。そのせいで加減が下手になっている。ニャーンの使命には繊細さこそ要求されるのに】
「ユニみたいなのがまた現れたらワシの力が必要になるわい」
【では、それまでは私の天下ですね。割合から考えれば、より多く頼られています】
「この鳥公、本当にケンカを売るのが好きな奴じゃ」
【事実を述べただけです】
「やめて! やーめーてー! もうっ!」
睨み合う両者の間に割って入って頬を膨らませるニャーン。まったく、この二人は顔を合わせるたびに口ゲンカばかり。困った相棒達である。
「仲良くしてくれないと置いて行きますよ!」
「それは困る」
【はい、今から我々は仲良しです】
肩を組む獣と鳥。この脅し文句は良く効く。何故なら超長距離転移ゲートを開けるのは今もこの中でニャーン一人だけだから。
「よし!」
胸を張ってふんぞり変えるニャーン。それからおもむろにアイムに近付いて背におぶさった。
アイムは勝ち誇った顔でキュートを見下ろす。巷ではこれを『ドヤ顔』と呼ぶらしい。
「より多く、なんだったか?」
【ぐぬぬ……】
「なーかーよーくっ!」
もう一回釘を刺す。その直後に爆風で宙へ舞い上げられる彼女。すっかり慣れたそれに身を任せ、すぐに黒い獣毛の上へ着地する。今日も素敵な触り心地。
キュートの力を借りて飛ぶのも好きなのだが、昔のことを思い出したからなのか今日はアイムの背に乗りたい気分だった。
「はい、では出発!」
杖で前方の上空を指してゲートを開く。アイムはすぐに障壁を蹴って上昇を始めた。キュートも翼を広げてついて来る。
この杖は怪塵で作ったレプリカ。でも中にあの杖の破片を取り込んで保存してある。
――ビサックはニャーン達がズワルタに戻った時にはすでに亡くなっていた。三回目の攻撃の時に元の奥さんの子を守ろうとして致命傷を受けたらしい。
それでも彼は元の奥さんとその家族を守り抜いた。だから彼女の子孫は今もこのズワルタの大地に生きている。ニャーンの子孫達と共に。
ナナサン、スアルマ、ナラカ、ザンバ、回遊魚の一族の大半、ンバニヒ達、テアドラスの住民の半数以上。ニャーンがアイムの命を救うためにした選択で喪われてしまった命はあまりに多い。
けれど生き残ってくれた者達もいた。ズウラ、スワレ、メェピン、ナンジャロ、ヌール、砂漠で知り合ったナジームとエミル。それに記憶を失っていたが雨の聖者マリスも見つけた。精霊の加護も喪失し、元教皇のミューリスに保護され、彼女の養子という扱いでその後の人生を活発な少女として生きた。
彼等に対する罪の意識と感謝、それ以外にも様々な感情を忘れないために本物の杖の一部を保存してある。全身の傷と同じで初心に立ち返れるから。
長く生き続ける神にとってとても大事なことなのだ。記憶と精神は摩耗していく。それでも絶対に忘れられない思い出があれば、きっと大丈夫。
(いつの時代にも何人かは仲良くなれる人がいるから、良い思い出はどんどん増えていくしね)
自分の心も夫やスワレのように、いつかは死を望んでしまうようになるかもしれない。それでも今はまだ生き続けよう。ゲートをくぐってズワルタから離れる時、いつも彼女はそう改めて決意を固める。
だって、このゲートの先に進めば神の時間。神として使命に従事する番。それでもなお人の心を忘れてはならない。彼女は人であり神。だからこそ使命を成し遂げられる。
ゲートをくぐる直前、彼女は空に浮かぶ白い輪を見つめて彼等にも挨拶した。やはり遠い時代の懐かしい仲間達に。
「いってきますグレンさん、ユニさん」
――グレンはニャーンの治療によって回復したクメルと結ばれ、その時点で精霊との同化を解き、寿命による死を選んだ。ズウラが不老の妻に合わせて数百年を生きたように、グレンは普通の人間のクメルと一緒に歳を取って死にたかったのだ。
二人とも、あれから六十年ほど生きて寿命を迎えた。どちらも幸せな人生だったと思う。
ユニはある意味では今も生きている。でもやはり完全に自我は喪失してしまった。惑星防衛機構の一部としてのみ今も存在する。あれに寿命は無いと聞いたし、もしかしたら一番長い付き合いになるかもしれない。
直後、一瞬にして転移が終わる。すると先に問題の星を視察していたアルトゥールから早速情報が送られて来た。免疫システムがあらかじめ散布しておいたフェイク・マナからも目の前の惑星の人々の感情が伝わってくる。
黒く濁った悲哀と憎悪。もうほとんど星全体を覆い尽くしてしまっている。きっと地上は地獄のような状況だろう。
『予想より深刻な状態です』
『珍しく気付くのが遅れたな。いつもならもっと早い段階で警告が来るだろうに』
【宇宙は広大ですからね。ましてや今は外敵の脅威が大きくなっている。アルトゥール様の監視が緩んでしまっても仕方ないかと】
『崩壊の呪いか……』
今、この宇宙を含む界球器全体が強大な外敵に脅かされている。崩壊の呪いと呼ばれるそれへの対処にアルトゥール達は奔走しており、内部の脅威への対応は後手に回りがち。
だからこそ自分達が頑張らねばならない。背後の守りをしっかり固めて最前線に立つ他の六柱を支援するのだ。
彼等とも今は数多くの死線を共にくぐり抜けた仲間。誰一人欠けて欲しくはない。
『アルトゥール様達や他の『私達』も頑張ってることだし、こっちもしっかりやりましょう!』
『うむ』
【そうしましょう】
そしてニャーン達は目の前の星の『悪意』を祓う仕事にとりかかった。
他の多くの並行世界でも、やはり神となった彼女の同位体達が同じように使命に従事していると聞く。これも人から神になった彼女ならではの強み。アルトゥールら元から神だった六柱は世界がどれだけ増えようと数を増やすことは無い。けれどニャーンは並行世界の増加に伴って彼女という存在もまた増え続ける。
中には界球器を飛び出して別の界球器へ渡った自分達もいるそうだ。そんな異世界に渡った自分とアイムがそれぞれの世界から増援を連れて来てくれたおかげでアルトゥール達はどうにか崩壊の呪いを相手に互角の戦いを続けられている。
いわばニャーンはワクチンである。悪意という名の毒や崩壊の呪いに対抗するための免疫活性剤。そしてアイムとキュートはそんな彼女を守る守護者。
二人と一体の『掃除』の旅はまだ終わらない。これからも数多くの世界を巡って数え切れない命を救い続けるだろう。その旅路の果てで、いつかの約束が果たされると信じて。信頼できる仲間達と互いに背中を預け合いながら支えて支えられ前に進み続ける。
そんな彼等を他の世界の者達はこう呼ぶそうだ。
毒と病に侵された世界を浄化する者、ワールド・スイーパーと。
今また病んで死にかけた一つの星にほうき星が流れ落ちる。果てしない優しさで未来を作り出すために。
箒の女神が、狼と鳥を連れて舞い降りる。
(完)
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