一時の別れ
「アイム!?」
口の中から叫ぶニャーン。アルトゥールが剣の柄に手をかけたため、巨狼の姿となったアイムは反射的に障壁を蹴って空中へ駆け上がる。
直後にしまったと悔やんだ。一太刀浴びるくらい覚悟の上で扉へ突っ込めば良かった。おそらく未来予知でこちらの選択肢を狭めたのだろう。まんまと誘導されてしまった。
しかも口中のニャーンがじたばた暴れる。くすぐったい。
「何してるんですか! 出してください!」
『やかましい! そんな無茶な試練に行かせるつもりは無い! どうしても行くならせめてワシを連れて行け!』
彼にだってわかっている。この娘を止めることなどできない。ニャーンは他者のためなら平然と己を犠牲にできるし、そういう時には酷く頑固になる。七柱とて決定は覆すまい。
ならばこのまま共に旅立って手伝う。彼にはもうそれしかしてやれない。一人で旅立たせるなど許容できるか。彼女にはまだ保護者が必要だ。
ある程度上昇したところで素早く切り返し、扉を睨みつける。
(クソッ、小さい入口にしおって! 人の姿になってから飛び込まんと!)
変身の際の爆風でニャーンを吹き飛ばさないようにしなければ。キュートが一緒に飛び込めるかどうかは賭けだ。待っている暇は無いし自己判断でついて来てくれるよう祈るしかない。
いや、あの怪物がいなかったとしても自分が――
(ワシがこの手で必ず守る!)
並行世界の同位体達の力を結集して我が身に集め、光にも迫る速度で急降下をかけた。一直線に扉めがけて駆け下る。
しかし、その速度にすら対応できるのが神。
武神の拳が腹にめり込む。衝撃が背中まで突き抜け、巨体がくの字に折れた。
『カハッ!?』
「想像以上の力だ。だが、それでもオレ達には届かん」
テムガモシリの一撃を喰らった瞬間、ニャーンを吐き出してしまうアイム。代わりに彼女を掴み取る長い薄絹。ケナセネスラが伸ばした羽衣。
「女の子を唾液まみれにするなんて失礼な子。愛情は感じるけれど紳士的とは言いがたい」
『返せ!』
歯を食いしばり、テムガモシリを無視してケナセネスラに襲いかかる。そんなアイムの顔を今度はウーヌラカルボの鉄拳が横からぶん殴った。
「フンッ!」
『グゴッ!?』
「――冷静さを欠いた状態で儂等に勝てるとでも?」
逆方向から振るわれたストナタラスの大槌がさらにこめかみを打つ。激しい揺さぶりを受けた脳が一時的な機能障害に陥って視界も歪む。
それでもアイムは諦めない。長年の戦闘経験により培われた直感が、なおも目標の位置に向けて彼を正確に走らせた。全身を障壁で包み、獣毛を硬化させて次の攻撃に備えながら。
当然、正面に立ちはだかる性別の無い神。
「止まれ」
アルヴザインはただ一言、そう命じただけ。なのに、たったその一言で身体の全細胞が強制的に動きを止められてしまう。
『あ……が……グッ、ウウウっ!』
「むう、我が『言霊』にも抵抗しおるか」
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』
アイムは咆哮する。テムガモシリの力に抗った時と同様、急速にアルヴザインの能力に適応して自由を取り戻し始める。
「化け物め」
「仕方ない、ゲルニカの因子は窮地に陥るほど急速な進化を促す。彼にとって彼女はそれだけ大事な存在なんだ」
黒い瞳を青く輝かせるアルトゥール。途端にさらに別種の力がアイムにのしかかった。続けざままた一つ、もう一つと絡み付く縛りが増えていく。テムガモシリとウーヌラカルボ、ケナセネセラとストナタラスもそれぞれの権能で『限りなき獣』を封じ込める。
六柱が力を合わせてようやく完全にアイムは止まった。
否、それでも彼は抗う。抗い続ける。
『グウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウッ!!』
全身の毛が逆立ち、漏れ出した魔力と気がスパークを生じさせ、六重の封印に亀裂が走り始めた。ニャーンだけを行かせはしない。絶対にそれだけは許さない。
ここで彼女を見送ることになったら、彼は一生自分の弱さを許せない。
(帰って来れるかわからんのだぞ!? 生きて帰って来たとしても、元のお主のままとは限らん!)
彼女が変わり果ててしまったら母星に残った仲間達になんと言えばいい?
守ると約束した者達に、どう言って詫びればいい?
なにより、そんなのは自分が嫌だ。
(だから行くな! ワシを置いて行くな!)
「アイム……」
ニャーンはそんな彼に歩み寄って少しだけ背伸びすると、鼻先にそっと触れた。そこから彼女の感情が流れ込んで来る。ユニと戦った時のように怪塵を通して心が伝わる。
ゆえにアイムは泣いた。泣きながらさらに抗う。
『行くな! 行くなっ!』
「嫌です、行きます。だって――貴方のことが大好きだから」
どこまでも大きく深い愛情。出会ってからまだ一年と少し、なのに彼女にとってのアイム・ユニティもまた、かけがえのない存在になっていた。
これはきっと恋ではないし友情とも異なる。
家族? それも少し違う気がする。
わからない。言葉にならない。
それでも大切な存在だとハッキリ言える。温かく熱い感情をそのまま言葉にしただけ。
彼女はアイムの鼻に口づけする。どうか彼の涙が止まりますようにと祈って。
そして走り出した。扉に向かって大急ぎで、誓いながら駆け込んで行く。
「必ず帰って来ます! 待っていてください!」
【私も行きます。どうかお任せを】
『行くな! 頼む!』
キュートだけがついて行った。アイムは全身全霊に力を込めて封印を砕く。驚愕する六柱の前で人の姿に変身した彼は、追いかけながら必死に手を伸ばした。
けれど、その指先が届く前に扉は閉ざされ、ニャーン達が跳んだ宇宙のどこかへ通じる道は消失してしまう。
膝をついた彼は、やるせない想いを拳に込めて地面に叩き付けた。初めて透明な床が砕ける。
「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
神々の庭園に響く獣の慟哭。自分のせいだと、呪われた出自の我が身と無力に憤る。
そうして彼の見つけ出した希望の星は、彼の手を離れて旅立った。たった一人、人ならざる従者だけを連れて過酷な試練の道へ。
彼にはもう、その帰りを待ってやることしかできない。
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