四章【赤い波を越えて】
問いかけ
彼女の眼には全てが映る。過去も未来も現在も、人の心の深奥さえも。
長い黒髪に黒曜石のように煌めく無数の星を宿した瞳。彫像と見紛うほど整った顔立ちの怜悧な女神アルトゥールは遥か彼方の深宇宙から今日もまた青い星を見つめる。かつて人の悪意によって消え去り、そしてようやく輪廻を経て再生を果たした第二の『地球』を。
やがて視線を逸らし周囲をぐるりと見渡した。宇宙の全ての空間、全ての時間軸と可能性。彼女が見ているのは単一の宇宙ではない。未来は無数に分岐して並行する世界と化し、彼等のため用意された器を満たしていく。すなわち
眩い輝きを放つ恒星が見えた。この宇宙で最も大きく強烈な輝きを放つそれは長い寿命の果てに死を迎えようとしており、近いうちに白色矮星と化すはずである。
しかし、そうならない可能性も残っている。
そう、あの青い惑星のように。
「確率は限りなくゼロに近い。彼等は死に、地球が輪廻したあの星も再び消滅する。そこにいたら君も無事では済まないだろう。なのに去るつもりは無いのだな、ケセラ」
もう一度かの星を見つめ、問いかけた。もちろん返事は無い。神と言えど、この距離で対話するには装置の補助が不可欠である。距離に関係無く全ての魂に語りかけられる彼女達の創造主なら話は別だが。
「君の使命感はわかる。優しさも。しかし奴が侵入して来た時点でどうにもならないんだ。あの男の悪意は他者に感染する。そしてまた悲劇が繰り返される」
――地球が滅んだ時、彼女達は最も警戒すべきは知的生命体の悪意だと学んだ。自然災害はどれだけ規模が大きかろうと宇宙を滅ぼすことはない。何故ならあれらは宇宙という巨大な生物の体内で発生する生理現象に過ぎないから。
もちろん生理現象が自身に大きなダメージを及ぼす事例も存在する。くしゃみで死ぬ人間がいるように。ひょっとしたら彼女達も未だ経験したことが無いだけで、宇宙の死に直結する自然災害も起こりうるのかもしれない。
だが『悪意』は明確に危険で不安定だ。その不安定さが時に、ユニ・オーリのような宇宙まで死に至らしめる猛毒を生み出す。
彼等は神より弱いが、十分に賢しい。高度な知性は魂の『
「……ゲルニカの因子を持つ獣か」
アイム・ユニティ。あれはまさに究極深度に到った男の模造品。そう簡単にあの『
今は大人しくしているものの、それでもやはり獣。自衛のためなら躊躇無く実力を行使するし敵に対する攻撃衝動も強い。放置しておくにはあまりに危険。
だがアルトゥールには迷いもある。
もう一人の危険因子。あれが彼女を惑わせる。
「異界の魔王の因子を継いだ少女……ニャーン・アクラタカ」
アイム・ユニティに比べれば危険性は低い。そう断定できる。彼女の操る『
より強力なのはレインボウ・ネットワークから与えられた『破壊』の力の方だが、あの赤い雷は正しき心を持つ者にしか扱えず、正当性の無い状況で行使した場合すぐさま取り上げられてしまう。なのでこちらが『悪』と判断されない限り、さほど危険は無い。
もっとも、能力を失う前の一度限りなら自由意思であらゆるものを破壊できる。だから免疫システムが彼女を宇宙の脅威と判定したことは間違っていない。あの少女はやろうと思えば瞬時に宇宙を滅ぼしてしまえるのだ。ネットワークが与える力はアルトゥール達より上位の神々の権限の一部。なので一旦発動してしまえば彼女達でさえ止められない。
――しかし、そのような結末に到る可能性は低い。否、皆無だ。いくら未来を予知してもありえないことだと結論が出る。
ニャーン・アクラタカは宇宙を滅ぼさないだろう。彼女は他者を害せない。これまでに数回だけ攻撃性を発揮したこともあったが、状況を考慮すると仕方ない話だ。むしろ理不尽に踏みにじられ多くのものを奪われて来た人生でまだ数回しか『反撃』していない事実こそ異常である。
感情が死んでいるわけではない。人並みに怒り悲しみ、憎んで呪う。アルトゥールの眼はそんな精神活動をたしかに観測している。
なのに、それを相手にぶつけられない。どうしても攻撃してはいけないのだとブレーキをかける。あの娘のあれは自身にかけた呪いか一種の精神疾患と診断すべきだろう。
「……両方だな」
哀れな娘だ。だからこそ迷っている。あれは本当に抹殺すべき対象か? 異常者だが、その行動が正しいことはネットワークに選ばれた事実が物語っている。ならば間違っているのは自分達神々かもしれない。
彼女をどうすべきか。その答えは、やはり未来予知でも見つからない。あの少女は今見えている全ての結末で近い将来、死に到るからだ。アイム・ユニティには生存の可能性もあるが彼女は死ぬ。そして命を失う状況になってもなお他者を害さない。最後まで『無害』を貫く。
あまりにも異質。
「我等が母、創造主は全てを愛している。何もかも深く愛し、慈しむ方だった」
そんな御方でさえ必要なら戦うことを厭わなかった。利己的であれ利他的であれ、けして譲れぬものがある限り、人は拳を握って相手を殴る。そういう生物なのだと教えられた。彼女も元は人間だったから人というものを良く知っていた。
だとすると、ニャーン・アクラタカは何なのだ?
「ひょっとすると君も……それを知りたいのか、ケセラ」
未来など見えないはずの友は、にも関わらず信じていたのかもしれない。いつかあの娘のような存在が現れることを。その日が訪れるまでアイム・ユニティが歴史を繋ぐことも。
遠く彼方の友に想いを馳せ、ようやくアルトゥールは気付いた。その眼で過去の情報を振り返り、離れ離れになった朋友の千年の想いを見つめて不意に答えに辿り着く。
「ああ、そうか。やっと見えたよケセラ、君の真意が」
酷い裏切りだ。あまりに身勝手で残酷。
虚空を見つめる瞳から涙が零れる。
「君らしいな」
仲間を裏切ることになるとわかっていたのだ。それでもなお彼女の矜持が、試練を与えて成長を促す神としての信念が選ばせた。この未来に繋がる唯一の道を。
察せた以上、いよいよ手加減はできない。
「手伝おう。そうとも、この攻撃を乗り越えた場合に限り、彼等の処分に再考の余地が生じる」
鍵となるのは、あの二人。アイム・ユニティとニャーン・アクラタカ。
だから今初めて、友ではなく彼等に向かって語りかける。
否、問いかける。
「見せてみろ、私達に。お前達の可能性、我が友の課した試練に対する答えを」
そして解き放たれる十万の抗体。あの小さな星を消し去るには必要十分な兵力。赤い凶星が整然と並んで宇宙を進んで行く。
微かな輝きを放つ、不確定な未来を試すために。
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