悪意襲来
「なんじゃ、あの男……」
「見たことも無いぞ」
次々に異変に気付き、警戒心を抱く老人達。スワレもすぐに背後にニャーンと子供達を庇った。
現れたのは若い男。紫がかった銀髪と濁った鉛色の瞳を持つやせぎすの青年。年齢は二十代半ばから三十代前半。あまり日に当たらないのか不健康な青白い肌でテアドラスの民には見慣れない服を着ており、さらにその上から拘束具を着用している。
「テアドラスか。実際来たのは初めてだけど、なるほどなかなか良いところだ。温かくて明るくて、いつも寒い上に暗い第七大陸とは大違いだな」
周囲を見渡す謎の男。現れたその瞬間からずっとにこにこ笑っているが、しかしその笑みにも声にも全く実感がこもっていないように見える。本当は何も感じていないかのように淡々としていて無機質で気味が悪い。
「え? え?」
戸惑うニャーン。彼女は男の出現にすぐには気が付けなかった。しかしそれも無理は無い、ここには怪塵が無いのだから。彼女自身の手で綺麗さっぱり除去した。
ニャーンは周囲の怪塵の存在を感じとることができる。普段はその能力によって怪塵が付着している物体の位置や動きを目で見ずとも感じ取れるのだが、ここでは不可能なのである。
一方、スワレはニャーンからそういった力の使い方があると聞いて以来、冷気を放出し操作する自分にも同じことができるのではないかと考え訓練を積んで来た。今も放出した冷気を周囲一帯に漂わせてそれに触れた物体を感知していたのである。まだ未熟で範囲も精度も低いが、だとしても至近距離に突然人間大の物体が現れたら見逃しはしない。
――そんなからくりを、男はいともあっさり見破る。
「冷気を周囲に放出して触れた物体の位置や動き、形状まで見て取れるんだね。なかなかどうして良い能力の使い方だ。たしか十九歳だっけ? その若さにしては良く鍛えられている」
「なっ……!?」
能力ばかりか年齢まで知られている。ここテアドラスの情報は住民のことまで含めて秘匿されているはずなのに。
この男は危険。本能的にそう感じ取ったスワレは農具を構えて男を包囲し、じりじりとその輪を狭めつつある老人達に警告を放つ。
「待て! じいさま達、そいつに近付くな! おそらく能力者だ!」
心を読む祝福か人知れずここへ侵入して情報を集められるような能力だろう。そう思ったのだが、男は即座に否定する。
「たしかに僕も広義の意味では能力者だよ。でも君が考えているのとは違う。僕はいかなる精霊の祝福も受けていない」
「何?」
「そもそも、あんなものは魔力と知識さえあれば容易に従えることができる。君達は魔法の存在を知らないからね、一から教えるよりこうした方が手っ取り早いと思ったんだろう。オクノケセラも僕が知る彼女の姉に似て雑な性格らしい」
「オクノケセラ?」
初めて聞く名に眉をひそめる一同。男はまた「おや?」と首を傾げた。
「知らないのかい? 特に君は知ってなくちゃいけないんじゃないかな、ニャーン君。嵐神オクノケセラは君達『陽母教会』が信仰する光の神の名だよ。そしてアイムの育て親でもある」
「!」
想像もしていなかった事実を知り、凍り付くニャーン。もちろん他の面々も動揺した。
その一瞬の隙を男は見逃さない。
「――おやすみ」
パチン。一度も、そして誰も視線は外さなかったはずなのに男はいつの間にかニャーンの目の前まで移動していて文字通り彼女の眼前で右手の指を鳴らした。途端にニャーンは目を開いたまま糸が切れた人形の如く彼に向かって倒れ込む。
「おっとっとっ、色んな意味で大きいなこの子。抱えて戻るのは大変だ」
「貴様!」
冷気を使って空気中の水分を凝結させ槍を作って突き込むスワレ。ところが男はニャーンを肩に担いだまま軽々と跳躍したかと思うと、周囲を囲んだ村人達の包囲すら越えて手近な家の屋根の上に降り立つ。先の言葉とは裏腹に少女一人の体重など意にも介していない。
いや待て、そもそも今どうやって彼女を担いだ? あの男の両腕は確かに拘束具によって動きを封じられているのに。
「化け物め!」
スワレはさらに追撃をかける。まずこの場から逃がしてはならないと考え、男の周囲に立方体の氷の檻を形成し、閉じ込めた。あの怪力なら氷くらい簡単に砕いてしまうかもしれないがわずかな時間を稼げればそれでいい。
次の瞬間、彼女は高速で宙に駆け上がった。兄の能力が鉱物限定の念動力なら彼女のそれは対象となる氷を自ら生み出し操る念動力。自分の足下に氷の足場を作り、それを持ち上げて急速に男に接近する。
「うん、それもなかなか良い使い方だ」
褒めつつ氷の檻を打ち砕く男。今度は何をしたのかおぼろげながら掴めた。男の周囲に漂わせた冷気が教えてくれる。
(しなる鞭のようなものを操っている! 長さは私の身長と同程度!)
伸縮自在かもしれない。だとしても懐に飛び込んでしまえば関係無い。高度を合わせたところでスワレは水平の道を作り、その上を靴裏に形成した氷刃で滑って駆ける。攻撃を防ぐため前面には氷の盾を展開。
「それはちょっと無謀かな」
ふっと笑って鞭を操り、氷の盾を打ち砕く男。ところがその向こうにスワレの姿は無い。
(もらった!)
彼女は盾と氷の道を目くらましにして一旦道の下へ潜ったのだ。そして相手の足下を潜り抜けて背後に回り込んだ。ほとんど一瞬の出来事なのでおそらくまだ感知されていない。
何者かなど考える必要は無い。ニャーン・アクラタカは救星の希望であり友人。その身柄を強引に奪おうとするなら敵だ。敵は躊躇せず殺す。彼女にはそれができる。
スワレは槍で男の足を狙った。まずは機動力から削ぐ。足狙いなら肩に担がれているニャーンを誤って刺す心配も少ない。
けれど、槍は穂先から砕け散ってしまう。
「え――」
「残念だね、君にこれは破れない」
よく見れば光の膜が男の全身を覆っていた。その輝きはアイムが狼の姿で空を駆ける時に足場とするものに酷似している。
つまり魔力障壁。
男は振り返らず、ただ自分の背後に向かって鞭を振るう。否、それは鞭でなく樹木の一部。枝か根か、いずれにせよそうとしか見えないもの。
打ち据えられたスワレは左肩から右の脇腹にかけて斜めに衝撃を受け、そのまま地面に叩きつけられた。肺の中の空気が絞り出され、悲鳴すら上げられず、その代わり全身から脂汗を噴き出す。
「う……! あ……!?」
「スワレ!」
駆け寄る老人達。男はそんな彼等も傷付いた女戦士も一瞥すらせず、村の入口を見てあの薄気味悪い笑みを浮かべる。
「遅いよアイム、君は本当に動くのが遅い」
ここに彼が出現した直後、アイムは襲撃に気付いた。ニャーン・アクラタカによって味方に引き入れられた白い怪物が教えたから。だからこの村のもう一人の能力者の青年と共に全速力で階段を駆け下りてここへ戻ろうとしている。
でも遅い。悠長に待ってやったりはしない。いつまで経っても来てくれない方が悪いのだ。
「この子はもらっていくよ。取り返したきゃ第七大陸まで来ることだ。ああ、皆さん伝言を頼めるかな? 簡潔に『アリアリ・スラマッパギが来た』と、そう言えば伝わるからさ」
「アリアリ……!?」
「スラマッパギ、じゃと……!!」
恐怖と驚愕で再び凍り付き、目を見開く老人達。アイムから聞いて知っているのだろう、自分がどんな存在なのか。
なら噂通りのろくでなしだと示しておこう。そういう気分になった。
「全員死ぬんじゃないよ? 一人は生きていてもらわないと伝言が伝わらないからね」
子供のように無邪気に笑う。その男の懐からいくつもの肉塊が飛び出し、地面に落ちてもぞもぞ蠢き始めた。
するとそれは、すぐに醜悪で凶暴な獣の群れと化す。そして悲鳴を上げた老人達に襲いかかって行く。
彼自身は、その時にはもう姿を消してしまっていた。ニャーンと共に。
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