里帰り(1)
「だっ、大丈夫だから! みんな、大丈夫だから安心して!」
アイムの背から飛び立ったニャーンは先行して修道院の前へ降りる。腕を広げて攻撃の意志は無いと示した。その姿に防壁上で弓を構えていた兵士達は驚く。
「待て! 攻撃中止!」
「ニャーンちゃんじゃないですか、あれ!?」
「ニャーン!? ニャーン・アクラタカ!」
「あっ、ちょ、院長!」
壁の上がにわかに騒がしくなり、すぐ下にある正門が開いた。中から僧服を着た高齢の尼が数名の兵士と共に駆け出して来る。この修道院を預かる責任者メリエラ・イスウォルビン院長だ。
「ニャーン、貴女ですか!?」
「院長先生!」
反射的に踏み出すニャーン。けれど一歩目で思い止まり足を止めた。自分はここを脱走した身なのだ。
代わりにその場で頭を下げる。
「あ、あの、すみませんでした……」
「何を言ってるんです! まったく、どれだけ心配したと思ってるの!?」
構わず抱きしめる院長。思わぬ反応にニャーンの方が戸惑う。
「あ、あれ? 怒ってない……?」
「もちろん怒っています。でも、まずは貴女の無事に感謝を。ああっ女神様、ありがとうございます。さあ、もっとよく顔を見せて」
祈りを捧げた後、改めて観察する彼女。あちこちほつれ、薄汚れた僧服。法杖に似た杖。靴は新しい。おそらく以前のものがすり減ったから替えたばかり。よほどの長旅だったのだろう。けれどやつれてはいない。むしろ以前より健康的に見える。
「また背が伸びましたね。僧服も少し窮屈そうだわ。こんなに長い間、いったいどこまで行ってきたの? 危ない目に遭ったりしませんでしたか?」
「それは、ええと……」
口ごもるニャーン。ありのままを伝えたらすごく怒られそうな気がする。あのグレンや怪物と戦って来たなんて言っても冗談だと思われるだろうけど。
「い、院長先生! ニャーンちゃん! 下がって!」
「へっ?」
兵士達が前に出た。そして再び弓を構える。
すると彼等の頭上に影が差した。
『そんなもんでワシを倒せると思うなら射ってみよ。その方が無駄な抵抗だと容易に理解できよう』
獣の姿のまま語りかけるアイム。牙を剥いた獰猛な笑みに兵士達は膝を震わす。こんな巨大な獣と対峙した経験、当然ながら彼等には無い。
「た、隊長……漏らしそうです」
「馬鹿、せめて、二人を逃がしてから……」
「いいい行ってください、院長! 早く!」
「いいえ、私はこの場に残ります」
決然と言い放ち、アイムと真っ向から睨み合う院長。背後にニャーンを庇ったまま詰問する。
「何用ですか異端者ユニティ! 我々に貴方と戦えるような武力はありません! 弱者をいたぶるのがお好きなら自由になさい! そうでないなら、まずは訪問の理由をお聞かせ願います!」
壁の中に逃げ込んだとて、彼には容易く乗り越えられる。そもそも、あの前脚で一薙ぎされればおしまいだ。壁も建物も瓦礫と化す。走って逃げても追いつかれるし、狼の姿をしている以上、嗅覚も鋭いに違いない。つまり隠れることもできない。
ならば交渉によって解決する。彼女はそう判断した。幸いにもこの獣には言葉が通じるらしい。
『ほう、なかなか度胸がある』
感心して目を細めるアイム。すると今度はニャーンが院長よりも前に出た。そして叱りつける。
「だから言ったじゃないですか、人の姿で近付きましょうって! いつもはそうするのに、どうして今回だけそのまま来たんですか!?」
「ニャーン?」
「ニャ、ニャーンちゃ──」
『たしかに、いつもならそうする。だが、時には脅しも有用じゃ。特にこの大陸の連中はワシを強く嫌っておる。そういう場合まずは戦力差を見せつけて戦意を挫く。でなければ話にならん。話し合いをするには、相手に聞く耳を持たせる必要があるのだ』
「じゃあもういいでしょう! 早く変身してください!」
『少し待て』
視線を持ち上げるアイム。
するとニャーン達の背後からも声が上がった。
「す、すげええええええええっ! なんだあの狼!?」
「逃げよう! 逃げよう先生! 危ないって!」
「院長先生! ニャーン! 早く来て!」
「みんな!?」
修道院の住人が正門前や壁上に集まって来た。そして、その中から赤い髪の少女が飛び出し、まっすぐにニャーンへと駆け寄る。
「ニャーン!」
「あっ」
『頃合いか』
少女達が触れ合う直前、アイムは変身した。彼という存在の表と裏、それが入れ替わる際に爆風が生じ、眼下の人々に襲いかかる。
「わあああああああああああああっ!?」
「ぎゃあああああああああっ!?」
「きゃあっ!?」
「プラスタちゃんっ!」
吹き飛ばされた少女の手を掴むニャーン。翼を広げて自分もろとも彼女を包み込み保護する。
それだけではなかった。風が過ぎ去った後、彼等は気付く。
「これは……」
目を見張る院長。怪塵がクッションとなり、転倒した彼女や壁から落下した者達を受け止めてくれている。
さらに何枚もの赤い壁が盾となって皆を守っていた。
一年と半年前にも見た現象。ならばやはり──
「あ、危ないなあ、もう……」
──やはり、今しがた起きた奇跡にニャーンだけが驚いていない。彼女が成したことだからだ。怪塵を操ってこの場にいる者全てを守り抜いた。
「ようやった、ワシとしたことが配慮を忘れておったわ。だがしかし、これでやっと話をできるな」
「えっ!?」
再び驚かされる一同。巨大な狼は跡形も無く消え、その代わり空中に少年が立っている。十五歳前後の野性的な風貌。まさしく言い伝え通りの姿。
プラスタもまたニャーンの腕の中から見上げ、もう一度その名を呟く。
「アイム・ユニティ……」
「おう、ワシがそうじゃ」
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