からくり(1)
「はっ、はっ、はっ、はっ」
過呼吸になりそうなほど早い呼吸を繰り返すニャーン。喉が痛い。尻もちをつくように地面に座り込んだ彼女の周囲は地面が抉られ、沸騰し、蒸気を上げている。暑い。全身が汗まみれ。このまま焼け死んでしまうのかも。彼女はそう思ったが、幸いにもそこまでの熱に焦がされてはいない。興奮状態で感覚がおかしくなっただけ。
信じられなかった。人間がこれほどの破壊を引き起こすことも、自分がその渦中にいて無事生き延びたことも。
壁は全て破壊された。けれどアイムのおかげで強化された翼は無傷。複数の壁を砕いてなお襲いかかって来た余剰エネルギーを、この翼が完全に防ぎ切ってくれた。
「凌いだ……だと?」
流石に驚愕するグレン。今の攻撃はアイムを屠るつもりで放った。つまり彼にとっても全身全霊の一撃。それを、まさかあの男以外に防がれようとは。
彼女が生きているならアイムも同じ。姿を捜す。けれど全く見つからない。自分の攻撃で生み出してしまった蒸気が濃くてどうにもならない。焦りが募る。まさかこうなるよう仕向けられたのか? 今度はこちらが罠にかかった?
「アイム様はどこだ?」
「あの子、本当に
「呪われた娘……第六大陸から来た逃亡者だ……」
「どうしてアイム様と一緒に?」
「グレン様、どうなさるおつもりかしら……」
見物人達のどよめきがうるさい。そのせいで余計に気配を捉えにくい。
すると一瞬、白煙の隙間に動くものが見えた。煙もその動きによって渦を巻く。何かがこちらへ接近しつつある。
反射的に光線を放ち迎撃。同時にしまったと思った。
(あの男が、そんな単純な手を使うか?)
まさかだ。アイム・ユニティは年経た狼。誰より狡猾な古兵。
影が顔に差す。気付いた時には遅かった。
(上!?)
瞬時に理解する。アイムはわざと壁の裏に隠れるのを見せつけ、そこにいると思わせた。だが実際には閃光と煙に紛れて空高く駆け上がり、こちらの意識の死角へ姿を隠していたのだと。
「おりゃあっ!!」
いつのまにか棒まで握っていた。赤い棒。おそらくは少女が形成した武器。それが頭部に打撃を加え、グレンの意識を半分飛ばす。
同時にグレンの視界には今しがた迎撃した「動くもの」の正体が映った。赤い犬。造形こそ歪だが、おそらくアイムを模したそれもニャーンの作った囮。
なんという多彩な用途。あの能力は想像以上に強い。
「く──」
それでも歯を食い縛って耐える。光の精霊と同化していても脳を揺さぶられ昏倒したら戦闘は継続できない。敵の狙いもそれ。気絶させて制圧しようとしている。
させるものか。意識の手綱を掴んで引き寄せ反撃に移る。
「おおっ!」
光の刃で攻撃。けれど、そんな苦し紛れの行動が通じるはずも無い。相手はあの大英雄なのだから。
「大人しく」
赤い棒が光を受け止め、その部分を支点にクルリと翻り、アゴをカチ上げた。
直後、返す刀で振り下ろした一撃がまた脳天を叩く。
「寝とれ!」
空中から落下し、地面に激突するグレン。仰向けに倒れた彼の傷は数秒かけて治癒したものの意識は失われたまま。
直後に精霊との同化が解け、光が消える。
悲鳴と歓声が上がった。
「グレン様!?」
「そんなっ、第一大陸の王が負けた……」
「や、やっぱりアイム様が最強だ!」
「英雄! 流浪の英雄アイム・ユニティを讃えよ!」
「アイム! アイム! アイム! アイム! アイム! アイム!」
「ったく、調子の良い連中じゃ。まあ、それも人間という種の性かの」
ともかく決着である。これで三十年前の借りも返せた。すっきりした顔で地上へ降りるアイム。
グレンのことも心配だが、やはりまずはあっちだろう。
そう思った彼はニャーンの方へ歩いて行った。
しばらくして、グレンは頬を引っ叩かれ無理矢理意識を引き戻された。場所はまだ荒野の中心。
「何をなさいます!?」
彼を庇い、アイムに食ってかかったのはクメル。アイムの方はげんなりした表情で頬をひくつかせる。
「だから、そやつは怪我一つしとらんと言っておろう。地面に激突した時にはまだ精霊と同化しておったからな。うちのガキンチョの方がよっぽど重症じゃい」
「ぜ、全身がひりひりします……私、そんなにひどいんですか……?」
「軽い火傷だ、ちと大袈裟に言っただけで大したこたあない。心配ならさっきやった薬をもっと塗っとけ」
「でもこの薬、臭くて……」
「よく効く薬っちゅうのは、だいたいそんなもんじゃ」
ニャーン・アクラタカは泣きながら顔や手足に軟膏を塗りたくっている。自分の必殺の一撃を受けてあの程度で済むなど、実に屈辱的な話。グレンはプライドを傷付けられた。
しかし認めざるを得ない。約束は約束。
「ちゅうわけで、こやつを認めてくれるな?」
ニャーンを指して笑うアイム。潔く頷く。
「ああ、これで約束は果たせたか?」
「うむ、実に良い仕事じゃった」
アイムは満足気である。けれど、ニャーンとクメルは眉をひそめた。なんだろう、何か引っかかる単語が……。
「仕事?」
「グレン様、それはいったい……」
「ああ、此度の一件はこの二人が仕組んだ狂言なのだ。いや、私も一枚噛んでいるし三人で仕掛けたと言うべきかな?」
──突然、横合いから種明かしを行う国王ナラカ。彼の言葉にニャーンとクメルは唖然とする。
「きょ」
「狂言!?」
「これこれ、声が大きい。民衆にまで聞こえてしまってはややこしくなるぞ」
口に指を当て笑うナラカ。冗談めかした態度ではあるもののアイムもグレンも彼の言を否定しようとはしない。
真実だからだ。
「実はビサックのところにいた時点で思いついてな、お主が寝た後に何度かワンガニまで来てこやつらに相談を持ちかけておったのよ」
アイムがそう語ると、グレンも体を起こして告白する。
「ニャーン・アクラタカ。アイムは君の実力を人々に示し、受け入れさせるために一芝居打ちたいと俺達に言った」
「まあ、グレン殿は反対しておったのだが、それを私とアイム殿の二人がかりで説き伏せ、なんとか味方に引き入れたわけだ」
ナラカが継いだ説明を聞き、ニャーンはアイムとグレンを交互に見る。
「じゃ、じゃあ……もしかして最初から、何もしなくても良かったんですか……?」
「いや、そういうわけではない。この結果は紛れもなくお主が勝ち取ったものだ。誇るがいい、ワシと二人ががりでとはいえグレンを相手に戦い、生き延びたのだぞ」
「……俺は、狂言の片棒を担ぐ代わりに条件を提示した」
鋭い眼差しでニャーンを睨みつけるグレン。その眼に宿る殺意は、やはり今も赤く燃え盛っている。
「本気で戦う。その結果、君を殺してしまったとしても構わない。俺はあくまで君を抹殺すべき対象だと思っている。だが大恩人の頼みだからな、それを条件に譲歩した。つまり、そういうことだ」
「ひ、ひい……」
やはり殺す気ではあったのだと怯えるニャーン。
しかし、彼女を含めてほとんどの人間は一つ勘違いしている。彼が憎んでいるのは怪塵ではない。
あんなものはただの物質。自然界に存在する毒の一つ。
無論ニャーンでもない。彼が本当に憎いのは自分。妻を守れなかった己の弱さ。
(もっと強くならねば。アイムのように、大切なものを守れるように)
第一大陸の英雄は、改めてそう決意を固めるのだった。
「恩人……? アイム様が、ですか……?」
クメルにとっても初耳の話。彼女に問われ、今度は少し照れるグレン。これを語るのは気恥ずかしい。
「妻と故郷を失った直後、しばらくは自暴自棄になっていた。そんな俺を見捨てず救ってくれたのがアイムだった。だから俺は、彼を尊敬しているし目標と定めている。いつかは追いつき、そして追い越すための高い壁だと。そうすることが彼にとって一番の恩返しになると思うんだ」
「本当にクソ真面目なやつじゃな。そこまで気負わんでええと言っとろうに」
アイムは辟易した顔。それもそのはず、以来再会するたびに今の自分の力を示したいと勝負を挑まれている。彼にとっては迷惑な話。
おかげで険悪な関係だと誤解もされてしまった。実際には会えば普通に話すし酒を酌み交わしたりもする友だと言うのに。
「あんたがいなければ、俺はすぐに妻の後を追って死んでいた。あの時、力づくで止めてくれたおかげで今の俺がある。自分で言ったんだろう、この力で救えなかった分まで別の命を救えと。
その通りだった、そうすることで俺の心も救われた。妻がいた時ほどじゃないが、今も十分に幸せだと感じている。少しくらい素直に感謝を受け取ってくれ」
グレンはそう言うとアイムに対し右手を差し出した。けれどアイムはその手にニャーンの手を引っ張って応じる。
「え? え?」
「あの時のことを恩と思うなら、改めて頼む。お主の危惧はもっともではある。こやつは危険な存在だ。それでもしばらく猶予をくれ。ワシが信じたこやつの可能性を、お主にも見守ってもらいたい」
「……わかった。今後一切、彼女には手を出さないと誓う。ただし、人類に牙を剥かない限りだ。敵となったなら、その時は容赦しない。それでいいか?」
最後の言葉は当人への問いかけ。ニャーンはへっぴり腰になりながら素早く頷き、自分からグレンの手を握る。彼は少し戸惑いつつも握り返した。
「あ、ありがとうございます! 精一杯頑張ります!」
「ん? うん、まあ……頑張ってくれ?」
「はいっ!」
「待て、なんかいまいち噛み合っとらんが、お主、本当にわかったのか?」
アイムが問い質すと少女は視線を斜め上に逸らし小首を傾げる。
「た、多分……半分くらいは」
「そんな難しい話しとらんかったじゃろ!? 本当にその頭はどんな構造になっとるんじゃ、このポンコツ娘!」
「ひどい! 火傷がヒリヒリしてあんまり聞いてなかっただけです! でも握手するってことはきっと仲良くなれたんですよね? ねっ、グレン様?」
「馴れ合うつもりは無い」
「あれえ!?」
「はっはっはっ、英雄二人を翻弄しておる。やはり面白い娘だな君は」
ナラカの声は遠く彼方の壁まで響き渡り、その下にいる国民達をも困惑させた。
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