難しい年頃(2)
翌朝、そろそろ起こそうかと思った頃、ニャーンは自分から起き出して来た。こちらもすでに帰っていたアイムを見て即座に視線を逸らす。
「……おはようございます」
ぶすっとふてくされた表情。目が腫れぼったいところを見ると一晩中泣いていたのかもしれない。
「ちゃんと寝たのか?」
「寝ましたよ」
棘のある声。機嫌はまだ悪いようだ。アイムの方もつられてカリカリしてしまう。
「なら早く飯を食え! 今日も訓練は受けてもらうからな!」
「ううっ……やっぱり、またやるんだ……」
「当たり前じゃ!」
「アイム様、朝っぱらからそう大声を出さんでくれ」
「むっ……」
ビサックに諫められ口を噤む彼。ニャーンも無言のまま食卓につく。すでに朝食の支度が整えられているため待たせては悪いと思ったようだ。
「便所はいいのか?」
「……後で行きます」
何故だろう? 余計に顔が険しくなった。我慢していないかと案じただけの話なのに。
気まずい雰囲気のまま食卓を囲み、食事を始める。今朝は森の中で取れる木の実を磨り潰して乾燥させ、粉にしてから水と蜂蜜を練り込んで焼き上げたパン。それから鳥の骨でダシを取り、刻んだ山菜を散らしたスープ。それにアイムが帰りがけに採って来てくれた新鮮な果実。
「どうだい、口に合うかね?」
「美味しいです……」
ビサックに問われ、アイムに対するよりはいくぶん柔らかい表情で頷く少女。彼が昨日したことに関してはさほど根に持っていないらしい。
逆にアイムの方へは顔すら向けようとしない。
(こんガキゃ……)
苛立ちつつ黙々と食事を続ける。彼も子供は嫌いではない。しかし乙女の扱いは不得手。昔から男共とは上手く付き合えるのだが、女相手だと同じようにいかない。精神的に未熟な少女と高慢な性格の女は特に。千年生きてもそうなのだから、筋金入りの苦手意識だと言える。
(しかも修道女と来た。教会の連中はワシに敬意を払わん)
八百年ほど前、当時の信徒達の前で公然と「光の神」を批判してしまった。以来目の敵にされ続けている。
(ワシゃ本当のことしか言っとらんのに。まったく、いつまでもしつこいのう)
だから彼自身、教会関係者とは折り合いが悪い。総本山のある第六大陸へ行く時などは余計に気を遣わされる。
思い返すと八百年分の鬱憤がグラグラ煮え滾ってきた。自覚して、いかんいかんと首を左右に振る。流石に八つ当たりはしたくない。相手もさらに意固地になる。ここは年長者らしく、ある程度寛容に振る舞わねば。
そう思ってニャーンを見ると、彼女はいつの間にか笑顔を取り戻していた。
「このパン、本当に美味しいです。小麦を使わなくてもパンって作れるんですね」
「ははっ、気に入ったんなら後でレシピを教えるよ。材料はどこでも手に入るありふれたもんばかりだし、この先の旅でも役立つかもしれん」
「わあっ、ありがとうございます!」
──美味いものを食っただけですっかり上機嫌。それでも頑なにこっちの方は見ようとしないが、ビサックには完全に心を開いている。なら昨日と同じ訓練でも少しはやる気を出してくれるだろう。
(やれやれ……ワシも
ご機嫌取りの贈り物を見せるより先に目的が果たされてしまい、一晩中駆けずり回ったアイムはそこはかとなくやるせない気持ちでスープを飲み干す。
人付き合いとは、なかなかままならぬものだ。
そして今日も訓練が始まる。改めて説明すると、ビサックは隠れながらニャーンを攻撃。彼女は隠れている彼を見つけて捕まえる。そういうシンプルなルール。
ビサックは今日も能力を使って姿を消した。一晩ふてくされている間にニャーンも一応対策を考えていたらしく、彼がいるはずの「影」を中心に視線を走らせる。
しかしそれでは思う壺。相手は熟練の猟師でもある。
「ほい」
「きゃあっ!?」
背後から泥玉付きの矢が命中。悪臭を放つ泥が撒き散らされた。
「嬢ちゃん、影の中にいるとは限らんぞ」
「おい」
「おっと、怖い怖い」
親切にも忠告するビサック。樹上のアイムに睨まれ慌てて姿を消す。
「ううっ、なるほど……」
昨日のように泣き喚いたりはせず、何が起きたかを冷静に把握するニャーン。ビサックの力を知れば当然、誰もが影のある場所に注目してしまう。けれど、そのせいで今度は影の無い場所が意識の死角となる。
「って、結局どこを見ても見つけられないってことじゃないですか!?」
「だから、それを能力でどうにかせいと言っとろうに」
枝の上から呆れ顔で見下ろすアイム。しかし同時に見直してもいる。
(思ったより気力はあるな)
昨日の落ち込みっぷりや今朝の様子から匙を投げてしまいやしないかと心配していたのだが、なかなかどうして闘志は尽きていない。むしろ昨日よりやる気が見える。ビサックの術中にこそハマってしまっているが頭もしっかり働いている。あとはもう少し考え方を柔軟にできれば攻略の糸口を掴める。
(お主にはもう、そのための知恵と力が身についとるはず。もっと落ち着け。伊達に一人で第六大陸から第四大陸まで旅をしたわけじゃなかろう?)
彼が見つけ出すまで約一年間、彼女は自力で生き延びた。疎まれ、恐れられ、石を投げつけられた。ゾテアーロやバイシャネイルのようにその力を欲し、狙って来る者達もいただろう。それでもどうにか逃げ続けた。怪塵狂いの獣や犯罪者にだって遭遇しただろうに傷一つ無かった。
ならば必ず獲得している。戦う術、生き残るために必要な技を。今はまだ当人に自覚が無いだけ。
(さあ、見せてみよ。ワシに、お主の可能性を)
──じっと見つめていると、不意にニャーンがこちらを向いた。今朝から一度たりとて視線を合わせようとしなかったのに。
「ん?」
「……こっち、かな?」
そう呟き、ちらちらこちらの様子を窺いながら自分の後方にも視線を走らせる彼女。
「おい、まさか……」
ほどなくして彼女の行動の意味が理解出来た。理解してしまったからこそアイムは半ば無意識に顔を動かしてしまう。ビサックが隠れている方向へと。
「あっち!?」
驚きつつも振り返るニャーン。やはり、
「ワシを利用しよった!!」
『何しとんのじゃアイム様!』
両者の視線の先に隠れていたビサックは、姿を消したまま矢を射った。
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