第11話
こうして考えると、インターネットは知覚過敏に優しいと思う。確かに、目をやられるが、思ったよりも点滅が少ない。
人の言葉が全てテキストで1列に流れるから混乱もしにくい。この逆をしたのがニコ動のコメだが。ドラマでの恐怖を強調するシーンに、たくさんの人の冷たい囁き声がひっきりなしに襲い掛かってくる、という演出がある。
そのような、不可解はインターネットには少ない。
炎上にしろ、音もなく白い画面に心無い言葉が下へ下へ追加されるだけ。現実に家に見知らぬ誰かがスプレーで「死ね」と書きつけられると比べれば、まだ穏健といえる。無言の聴衆の圧力よりも、扉を開けば言葉を求めて飛び込んでくる無数の顔(メディアスクラム等)よりはマシである。
もちろん、それが晒しや、学校、会社への妨害になるような実害にいきなり発展することは知っているが、インターネットの世界が、現実世界への影響を少し和らげてはいないか? テレビも新聞もあるから、インターネットが本人の晒しを更に悪化させたとも思えない。
そう、音や光、スリルやリズムで人を幻惑するようなディズニーランドの方がむしろ危険であると思う。常に緊張状態にあるからだ。(ハイ、行きました。It's a small worldについてやる気が出たら述べたい)
まあもちろん、インターネットは恐怖や不安(安全性は保証しないが)が薄いために、言葉の持つ温もりもまた薄いと思う。
怒った声も、優しい声も、地文では理解できない。「私はそんなこと知らなかった」としたとき、「そんな事聞いてないよ、ヒドイよ」とも、「そんなことがあるのか、すごい」「そんな悲しいことがあったのか」とも、如何ようにもとれる。もちろん、前後の文脈で大抵は理解できるであろうが、しかしどうも、説得力がないときもある。
どこかの学校でのネットモラル講習で聞いたことだが、グループラインで話しているとき、メンバーの上手く撮れた写真を紹介しようと、「この写真可愛くない」の文面と一緒に写真を送信したとき、かわいく無いなんて酷いこと言うね、と非難される、というケースがあったそうな。
もちろん、送信したいメッセージは、「この写真、可愛いと思うよね?」であるのに。僕自身も慣れてしまったが、チャットのメッセージは非常に誤解されやすい。
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