第75話 ちょっと裸になりますね
空を飛んでいました。
ここは──死後の世界でしょうか?
だとしたら、私は地獄に落ちたのでしょう。
目に映るすべてが灼けついています。
眼下に広がる大地は燃え、集落は焼け落ち、悲痛なうめき声がそこら中にこだましています。
炎の中でのたうつ影。人の焦げる匂い。
すぐ近くで誰かが叫んでいました。ずっと、絶えることなく。
叫び続けた喉はとっくに張り裂けているのか、がさがさと耳障りで、ほとんど音にすらなっていません。
それでも決して、叫ぶことをやめない。
血を吐くような呪詛の声。
「……こ……やる…!」
呪って。
「………てやる…っ!」
呪って。
「殺してやる‼ みんな‼ 殺してやる‼」
呪いを吐いているのは──私でした。
燃えている。
何もかもが燃えています。
復讐の炎によって。
ああ、そうだ。
これは──
在りうるかもしれない──
私の──
─────
未来───────
「フラウちゃん」
瞼を開くと、潤んだ紫の瞳と目が合いました。
「…………エリシャ」
「よ、よかっ……フラウちゃぁぁぁぁぁぁぁん‼」
がばっと抱きしめられ、大きなマシュマロのような胸に顔を挟まれます。
「よかったよぉぉぉ! 暗殺者に襲われるなんてっ……フラウちゃんにもしものことがあったら私、私……!」
「……む、ぐ……」
「うええええぇぇえぇ、うぇ、ふぇぇぇぇぇぇっ!」
相変わらずの凶器ですね。初対面のときもこれで押しつぶされましたが……。
泣いているエリシャの腕の中で身じろぎし、なんとか呼吸を確保してから、私は部屋を見回しました。
ティルトの寝室ではなく、与えられた居室。
気を失ってどのくらいたったのでしょう。少なくとも夜は明けているようで、大窓からまばゆい陽光が差し込んでいます。
「あれからどうなったの?」
「うぇっ、ぐ、ぐすっ、うぅぅぅぅぅ」
「落ち着きなさい、エリシャ。私は生きています」
そう。
自分でも不思議ですが。
──生きています。
「暗殺者は捕まったのですか?」
「うぅ、う、ま、まだ捕まってない……」
そんな気はしていました。
城の最上階から何の迷いもなく飛び降りた姿を思い出します。侵入時は外壁を伝ってきたのでしょうか。信じがたい身体能力です。
「ティルトは?」
「無事よ。……でも、ニーナさんが完全にキレちゃってて」
「でしょうね」
「ティルトきゅんもね、フラウちゃんが目覚めるまでそばにいたいって言ってたの。けどニーナさんが有無を言わさず引っ張っていって、窓のない頑丈な部屋に護衛と一緒に閉じ込めちゃった」
「彼女はいま何を?」
「諸侯を集めて会議を開いてるみたい」
息子を失うことをあれほど恐れていたニーナ。
暗殺未遂の憂き目にあって、心中はさぞ乱れていることでしょう。
……こうしてはいられませんね。
「フラウちゃん⁉」
起き上がる私に、エリシャがぎょっとして叫びました。
「だめよ! まだ寝てなくちゃ!」
「平気です。むしろ気分がよいくらい」
正直、すんなり起き上がれたのが自分でも意外でした。痛みも感じません。
さっと肩に触れます。
暗殺者の刃に切りつけられた場所。
包帯でぐるぐる巻きになっているかと思いましたが、そこにあるのは素肌の感触。
「?」
ぺたり、ぺたり。
背中に手を這わせ、ますます困惑します。
「でもでも、フィルさんがっ。もう心配ないけど今日は寝てたほうがいいって……!」
フィル。
その名を聞いて思い出しました。
『許す、とおっしゃってください』
騎士にそう促され、わけもわからぬまま許しを与えた。
そのあと……どうなったのでしたっけ。
首をかしげながら肩口を覗き込みます。んん、よく見えません。エリシャの制止を振り切ってベッドを降り、姿見の前に立って──
着ているものをすべて脱ぎ捨てました。
………………ない。
鏡に映るのは、つるりと白く滑らかな背中。
斜めに切り裂かれた傷どころか、傷跡らしきものすら見当たりません。
まさか、あれはパニックによる幻覚……?
すさまじい激痛。ベッドを染めていた鮮血。すべてが幻だったとは思えませんが。
いえ。
考えていても仕方ありませんね。
「エリシャ」
「っ⁉」
振り向くと、エリシャは手で顔を覆っていました。耳たぶが真っ赤に染まっています。
まあ、指の間からばっちりこちらを見ているのですけれど。
そんな彼女に向かって、私は裸の腰に手を当てながら告げました。
「着替えを手伝って。私も会議に出ます」
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