大和剣の決戦
天文七年(一五三八年) 9月下旬 美濃国篠脇城
「宗滴様、冨樫軍が内ヶ島を下しこちらへ救援に向かっておると一報が入り申した!」
「なんだと?」
遠藤六郎左衛門盛数が興奮を抑えながら宗滴に告げる。瞠目した宗滴は一度小さく息を吐き、虚空を見つめた。
「如何様にして内ヶ島城を落としたかは存じませぬが、白川を獲った明朝には既に発っており、あと二日もあればこちらへ辿り着くとか」
「冨樫は己が身を顧みず我らを救いに来たわけか。愚か、愚かだ」
言葉こそキツいが、糾弾する口調ではなく、呆れ顔というわけでもなく、感謝の意が漏れ出ている表情である。
宗滴は、加賀一向一揆との戦いで救援に向かった際に対面した冨樫家主従の人柄を思い出し、その判断を下してもおかしくはなかったと思い直したのだ。
「しかしこれは我らにとって強力な援軍にございまするぞ。形勢逆転にござる」
事実、宗滴は篠脇城を辛うじて守り抜いてはいたが、郡上の命運が宗滴一人の肩にのしかかっていた。一人で城兵全てを指揮、鼓舞し、ほとんど不眠不休の生活が続いており、決して若くない宗滴の身体は悲鳴を上げている。郡上の領主一族でしかなかった盛数の鼓舞では城兵の士気を保つことはできず、宗滴常に鞭を握らざるを得なかった。
それゆえに、冨樫の援軍は救世主に他ならない。しかも総勢八千の軍勢ともなれば、兵数は一気に逆転するのだ。
「して、このことを次郎左衛門は?」
「じきに知ることでしょう。奇襲というのは難しいかと」
「だが落ち目の老耄を助けるために国を空けるとは、あまりに利が見合わぬではないか」
「冨樫は利でなく民のため、義のため動くと。そういう事ではありませぬかな?」
「ふっ、義のためか。ただ、白川から通ずる越中も兵を挙げるやもしれぬし、飛騨東部の国人もこれを好機と見るやもしれぬ。戦に関して次郎殿はともかく、小次郎殿が何の手も打たぬわけがない。背後を任せるに足る存在を白川に置いたと考えられよう」
「はっ、ご賢察にございまする。小鷹利を調略し、東部及び北部の警戒を任せたとか」
「他に動きは?」
「はっ、我らが放棄しもぬけの殻となっていた鷲見城に入ったとのこと。そして油坂峠を封鎖したとも」
「封鎖、とな?」
泰縄は植田順蔵に命じて油坂峠を崩落させた。景高方の退路がこの道しかないと判断し、機先を制したのである。
「ふはは、敵に露見する前に背後を取るだけでなく退路も塞いでしもうたか。これで一転、袋の鼠となった次郎左衛門を窮地に追い込む算段がついたわけだ」
宗滴は表情に余裕を浮かべて笑う。
「次郎左衛門は阿呆だが考え無しではない。むしろ考え過ぎる性格ゆえにこのような行動に走った。冨樫軍が迫っていることを聞けば、攻勢を強めるはずだ。儂は寝るゆえ、しばらく指揮は頼んだぞ」
「はっ、宜しいのですか!?」
「兵たちに冨樫の援軍が迫っていることを周知し鼓舞せよ。一日くらい儂がおらずとも軽く持ち堪えられるであろうよ」
翌日、同じ報知に触れた朝倉景高は、慌てて一部の兵を阿千葉城へと送り、背後を警戒させた。そして宗滴の予想通り篠脇城の攻略を最優先に攻勢を強める。そこには睡眠を経て万全の体調となった宗滴が立ちはだかっていた。援軍が迫っていることに篠脇城の守備兵は沸き立ち、士気は最高潮になっていた。
一方で朝倉景高は焦りを孕んだ雑な指揮で攻城を行っており、兵数の有利に依存した力任せの攻勢を仕掛ける。
老獪な宗滴に単調な攻勢が通用するはずもなく、宗滴が眠りについてから一部が突破されていた曲輪も奪い返していた。
そうして時間を浪費していると、冨樫軍が阿千葉城を瞬時に落城させ、篠脇城に迫りつつあった。
「何をやっておるのだ……!このままではまた宗滴に嘲笑われるだけであるぞ!」
「次郎左衛門様、このままでは挟撃を受け、我らは全滅の憂き目を見る恐れがありましょう。ここは冨樫と和平を結ぶが吉かと」
「こちらが越前半国を差し出すくらいの譲歩をせねば和平など飲むはずがなかろう! それは我にとって恥辱以外の何者でもないわ!」
「落ち着きくだされ!」
「うるさいわ!」
焦燥に失望を重ねた景高は、供回りの家臣を突き飛ばし、拳を強く握った。床几を足で叩き潰すと、鋭い眼光を周囲に撒きながら乱雑に告げる。
「こうなればもはや是非も無し。宗滴を葬り郡上を獲った暁には飛騨勢に郡上を譲るゆえ、三木や江馬、小島をけしかけて背後を突かせるか?」
「冨樫は小鷹利を臣従させ兵を与えているとのことですぞ。たとえ背後を突かせたとしても我らの命運が決する前に辿り着くのは不可能にございましょう。同様に越中一向一揆を使うのも難しいかと存じまする」
「ならば一部の兵に城を囲ませたまま、全軍死兵となって冨樫軍を迎え討つほかあるまい」
篠脇城は一乗谷のように山間で街と居館、詰めの城を構えており、長良川を下って南に撤退することも可能であったが、長良川を下っていったところで六角領の近江を通らなければ越前への帰還は難しい。それゆえに、景高勢は栗巣川沿いを下り徳永という長良川との合流地点に本陣を構え、冨樫軍を迎え討つ覚悟を固めた。
対する冨樫軍はそこから半里ほど北に離れた剣という地に本陣を構え、景高軍の様子を窺う。景高も昼夜問わず周囲を警戒させた。
そして霧の濃い卯の刻、冨樫軍が動いた。景高勢は一気呵成に冨樫軍を強襲しようと試みる。冨樫勢は一旦は乱戦を繰り広げるが、その攻勢は緩く、手応えを感じさせるように劣勢を演じた。
しばらくして、冨樫軍の先鋒の後背に控えていた弓隊が景高勢に攻勢を仕掛け、虚をついた隙を見計らって素早く先鋒の兵を下げると、弓隊で中距離の攻撃を仕掛けながら一歩ずつ後退していった。
景高勢が距離を詰めようとすると、数丁の鉄砲ですかさず威嚇して決して距離を詰めさせない。そばに長良川が流れ、山間で寒暖差も大きいことから霧で視界は非常に悪く、景高勢も同士討ちを避けて無理に突撃を敢行しようとはせず、冨樫軍を見失わないよう一定の距離を保つばかりであった。
そんな中、景高は長良川がすぐ左に迫ってきていることに気がつく。そして、右側には山が見えていることにも気がついた。
「拙い、これは罠ぞ!」
冨樫軍は少しずつ後退することで景高勢を狭くなった自陣深くにまで敵を誘い込み、側面から同時に叩く戦術だった。
しかし引き返すには気づくのが遅すぎた。次の瞬間視界の隅に伏兵が現れ、鉄砲で斉射を見舞う。虚を突かれた景高勢は篠脇城を攻め続けた疲労もあってか、対応が遅れた。
これが見事に嵌まった要因には、泰縄が本陣をあえて開けた場所に置き敵の油断を誘ったこと、そして泰俊が自ら先鋒を率いて敵陣に一番槍を突き刺したことが挙げられる。
泰俊は囮同然の役目を担うことを進んで引き受け、肝の据わった態度を周囲に示したのだ。敵の大将がのこのこ目鼻の先に迫ったとあれば、景高勢が色めき立つのも無理は無かった。しかもその大将は隣国越前においては今もなお覇気が無く武勇に乏しい凡将として名を知られており、討ち取れば冨樫軍を撤退に追い込むことができる。そんな好機をみすみす逃すわけにもいかず、結果景高勢は深追いしてしまった。
泰縄の智勇と知略に、泰俊の勇気と胆力。それが合わさった冨樫軍はもはや景高勢に遅れを取るような脆さなど孕んでいなかった。
「朝倉右兵衛尉、貴殿の敗因は自らの出世に関わる身内を全て薙ぎ倒し、信のおける身内を作らなかったことだ」
泰俊は景高に聞こえるはずもない声を漏らし、もはや生来の気弱さなど一切感じさせない堂々とした立ち居振る舞いで戦場を俯瞰していた。
最後の最後まで足掻こうと声を荒げ、憎悪に塗れた表情を見せる景高だったが、想定以上の速度で削られていく兵数に本能的な寒気を覚えた。やがて力の入らなくなった手からは刀が力なく滑り落ち、抵抗の姿勢すらも失われる。しかし非情にも一方的な攻勢は止むことがなく、景高は最期にポツリと『降参だ』と呟くしかないまま冨樫軍の槍衾に命を絶たれた。長良川に身を投げた兵も多くいたが、甲冑を纏った兵が急流に抗えるわけもなく、景高勢はなす術なく全滅に追い込まれたのであった。
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